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「目には目を」という古い法を守っていたら
世の中の人々はみんな目が見えなくなってしまう。
彼女に惹かれる数時間前
僕は両親と夕食を食べる為、昼間に予約したレストランに来ていた。
大学に入ってから一人暮らしを始めた僕は、バイトに勉強に友人に、と中々忙しく実家に帰る暇無く過ごしていた。
今日こうして両親と顔を合わせたのも、ゆうに二年ぶりだろうか?
だからと言って別に避けていたわけでも、家族が不仲な訳でも無い。
優しく穏やで料理上手な専業主婦である母。
寡黙で多くは語らないが研究所の所長である父。
友人は数人で反抗期も無かった僕。
ごく普通、一般的、模範的な家族。
不満も不平も問題も無く、普通の意味を辞書で引けば僕達が出てくるんじゃないかと思うくらい何の変哲もない有りふれた家族だった。
久し振りに会った母は、以前より少し痩せていたけれど相変わらず穏やかに笑う人で、二年振りの父は相変わらず寡黙だった。
「久し振りね、
母はそう言って微笑んだ。
そう言えば小さい頃、名前が女っぽいと言う理由で同級生に馬鹿にされたな…なんて事を思い出した。
僕はあの時、同級生に何か言い返したかな?
いや、ただ静かに笑っていた気がする。
それが普通の対応だと判断したはずだ。
言い返して喧嘩になるのも、懇々と名前の意味を説明するのも、同級生を無視するのも…どれも普通じゃないと判断したんだと思う。
いつだって僕は
普通に普通を通し
普通を普通に変え
普通と普通を足し
普通も普通に話し
普通で普通を塗り
普通な普通と戯れ
そうやって生きてきた。
だから久し振りに会った両親とも普通に接するし、それなりに会話も楽しむ。
「本当、久し振りだね。元気にしてた?」
僕は両親と対面する形で椅子に座り、飲み物のメニューを開いている二人に挨拶をする。
母は変わりなく元気だと言い、父は静かに頷いた。
「んー、私はカクテル?このオレンジ色のにしようかしら!お父さんは?何にします?」
母は珍しくお酒を飲むみたいだ。少しはしゃぎ気味に飲み物を決めた後、父にもそのメニューを見せる。
ゆっくりとメニューに目を向け、静かに
「芋焼酎。」
と言い放った父に、変わらない安心感を覚えた。
かく言う僕は大学に入り、少しお酒も飲めるようになったので、父と同じ芋焼酎を頼んだ。
父ほど飲めはしないので水割りだけれど、久し振りの家族団欒にお酒は不可欠だろうと思う。
「それで緑、大学はどう?たまに連絡はくれるけれど…全然帰って来てくれないから…」
一通り店員さんに注文が終わった後、母は飲み物が来るのなんて待てないと言ったような口振りで、僕の大学生活を聞いた。
どう?と言われても、特に突出した問題も無く平和にやっているのだけれど…
「全然、普通だよ。勉強して、バイトして、友達とも遊んで…普通に充実してる。」
僕は気苦労をかけないようにそう答え、母に微笑んでみせた。実際、本当になんの問題も無い。
それでもこうして心配するのは親としての性だから仕方ないのだろう。
こんなにも普通な僕の人生と性格に対して、詰まらないと言う人もいた。
裏では何か悪どい事をしているんじゃないかとか、相当ねじ曲がった特殊癖があるんじゃないかとか、実は夜な夜なヒーローの様に人助けをしているんじゃないかとか…そんな根も葉もない事を言う人もいた。
普通に過ごしているのになぜか人目に止まる、そんな矛盾を孕んでいる事が滑稽に思える。
「そう、普通に…普通に過ごしてるのね。」
母は目を細め、安堵しているように見えた。
そんな僕達のやり取りを見て、父がそっと口を開く。
「緑───」
父の声を聞いた事はある。先程の"芋焼酎"しかり、寡黙とは言え意志を伝えない訳では無いのだ。
しかし、それはいつも端的で会話をする様なものでは無かった。
父親とはそういう者だと僕は思っていたし、言葉少なくとも父の行動からは優しさが感じられた。それだけで十分だったのだ。
低く、穏やかでどっしりと深みのある声に僕は背筋を伸ばす。
父が返答では無く会話をしようとするのは珍しい。僕の大学が決まり、実家から出る前日に会話したのが最初で最後だった筈だ。それも別段、僕は普通だと思っている。
「お前は
「それにお父さんに似て、冷静で賢い子よ!」
急に僕を取り巻きながら始まった両親の褒め合いに、少し驚きながらも父の真剣な眼差しから僕は目を逸らせずにいた。
「私はお前の事を本当に誇りに思っている。もしもこの先───」
「お待たせしました~!ファジーネーブルと!芋焼酎のロックと、こちらは水割りです~!」
父の重厚な口振りを遮るかのように、店員さんの間延びした明るい声が聞こえた。
頼んでいた飲み物が来たのか、全く間延びしている上に間の悪い。父が話すのをやめてしまった。
ごゆっくりどうぞ~!と言われた後、運ばれた飲み物を三人で見つめ、暫し沈黙が包む。
「───乾杯。」
再び口を開いた父から出た言葉は、そんな端的なものだった。
一口お酒を口に含んだ母は、料理を頼もうと再びメニューを開きながら父と何を食べるか相談し始めた。僕はさっきの話の続きが気になって仕方なかったのだけれど、楽しそうな母を見て、聞くのを止めた。
もう二度と聞くことが出来ないんだと分かっていれば、母の楽しそうな声を遮ってでも話を切り出していたはずだ。
この先───
父は僕に何と言いたかったのだろうか?
「緑は何食べる?あ、これ!これ美味しそうじゃない?」
いつも微笑みを絶やさない母ではあるけれど、今日は一段と楽しそうに笑うので、僕はこの先なんて予想していなかった。
いや、もしも母が険しい顔をしていて、父が饒舌だったしても…この先なんで誰も予想出来なかっただろう。
普通に普通を普通で普通の僕には、それこそ滅茶苦茶に無茶苦茶、到底無理な話だ。
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