第56話 謎空間再び

 ヴィヴィは焦っていた。

 王都では、今朝から降り出した雨は、より激しさを増している。

 雨雲はまだケイティーの言ってた渓谷の方へは届いていない様に見える。しかし、それも時間の問題だろう。

 夜半頃には向こうでも降り出すかもしれない。


 幸い、1000人規模の騎士団の緊急招集はすぐに行われ、まだ、日が落ちる前に出発する事は出来た。

 重い鎧さえ着ていなければ、馬で4つ刻(8時間)程度の距離だろう。

 騎士団は、登攀行軍する事もあり、全員がロッククライミングのスキルは持っている。渓谷探索には打って付けだ。



 「遭難した少女は、国宝である! 発見者には特別報奨金を約束しよう!」



 軍隊を率いるヴィヴィは、いつものオットリした口調では無くなっていた。



 「必ず生きて、救出するのだ!」


「「「「「「「「「「おおおおおお!!」」」」」」」」」」


 (あの子、この距離をたった一人で、真っ暗闇の中、一晩で走り切ったのね……)



 探索隊の進む街道は、途中で2又に別れた。

 片方はケイティーが言った山の上へ続く道、もう片方は川沿いの道。

 川は、ソピアが落ちたという渓谷を流れる川の支流だ。

 ヴィヴィは、ここで隊を3つに分け、一つはそのまま山側の道へ、一つを支流沿いに、もう一つを更に先にある、本流を遡る道へと向かわせた。

 川側へ向かう部隊は、簡易カヌーを積んだ荷車を引いている。部隊を分けたのは、もしも流されていたら……考えたくは無いが、万が一にも考えたくは無いのだが、例え生存は絶望的だとしても、身体だけは何としてでも回収したいという思いゆえの事である。

 ヴィヴィは、ソピアを既に家族として見ていたのだ。公僕としての自分が、国の宝として大事に思う気持ち以上の、個人的感情として、絶対に失ってはならない家族として既に捉えていた事に、事ここに至って初めて気が付いたのだ。



 大賢者は、ケイティーが目を覚ましたら共に後を追ってくる事に成っている。

 我が孫を思う祖父の気持ちを考えると、一刻も早く現場に向かいたいだろう。

 しかし、魔導師である自分では何の約にも立たない事も分かっている。

 それを自覚し、たった一人の血縁者としての気持ちを押し殺し、全てをヴィヴィに託している。

 ヴィヴィは、きっと生きて助け出すと、王でも大賢者でもない、天に誓った。



 王都を出発して、月明かりだけを頼りに進む事およそ3つ刻半(7時間)、救出隊は、渓谷のすぐ手前の森まで来ていた。

 空を見上げると、雨はぽつりぽつりと降り始めている。

 雨雲が上流の方へ流れて行けば、川の水位は一気に上昇するだろう。

 雨の中、飛行術により飛んできた大賢者とケイティーが追いついて来た。

 森の中は、ケイティーの先導により最短距離で進む。

 森の下草を払いながら進んで来た痕跡を、慎重に探しながら進む事1つ刻(2時間)、遂に森を抜け、渓谷のあの崖に到着した。

 日の出まではまだ半刻はかかるだろう。時は一刻を争う。

 まだ空が薄く白み始める前に、捜索隊は木々にロープを掛け、崖下に降下する準備を初めた。



 「むう、この場所でさえ魔力を大量に奪われて行く感覚がするわい。」


 「ええ、立ち眩みがする程に力が抜けて行きます。この場所に来て、ソピアちゃんは何も違和感を訴えなかったの?」


 「はい、全く何も。渓谷の景色を楽しんだ後、飛んで帰ろうとして、崖の先に出たんです。そしたら急に力が抜けるって言って、私だけを崖の上に戻すのがやっとで、ソピアはそのまま一人でゆっくりと落ちて行ったんです。」



 「あいつの魔力量といったら、全く……ふう、立っているのもしんどいわい。」



 大賢者もヴィヴィもその場で座り込んでしまった。



 「この感じでは、崖下はもっと凄い事になっているのでは無いかしら。ソピアちゃん、気を失って居なければ良いのだけど。」



 その時、降下する為に崖下を覗き込んだ探索隊が叫んだ。



 「崖下、発光する岩の箇所があります!」


 「どこ?」


 「あの右下の辺りです!」


 「ふむ、太陽石は、マナを吸収すると発光する性質が有る。あのあたりにソピアが居る可能性があるやもしれん。」


 「よし! あの発光地点を目掛けて降下開始!」








◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇








 夜半過ぎにぽつぽつ降り出した雨は、明け方までに土砂降りになった。

 この雨雲が、上流の方へ行ったら、水嵩があっという間に増えて、私、流されちゃうんじゃないの?

 ヤバくない?


 なんて、考えていたら、徐々に水嵩が増してきているみたいで、突州の幅が徐々に狭くなって来たよ。

 ソピア、ピーンチ!!


 水がゴウゴウ言ってて、超怖い。

 救助はまだかー!


 水の音で気が付かなかったけど、かすかに人の声が聞こえた気がする。



 「ぉーぃ! ……ぉーぃ! ……」



 あ、本当に聞こえる!



 「おーい! おーい!」


 「おーい! ここだよ~!」



 先行して下りてきていた捜索者が私の声に気が付いた!



 「生存確認! 生きています!」

  「生存確認!」

   「生存確認!」

    「生存確認しました!」



 先に下りて来ている者がら順に、上に居る者へ伝言を回す。



 「生存を確認しました! 崖下で声が聞こえるとの事です!」


 「おお! そうか!」


 「よかった……」


 「ソピアー!!」



 生存確認の伝言は、直ぐにお師匠達の所へ伝えられ、安堵の声が起こる。

 ケイティーは、崖下に向かって力いっぱい呼びかけた。


 所が、救助の者が私を視認出来る位置にまで来た時には、水嵩は既に私の膝上にまで達していた。

 背後の崖につかまり、なんとか体勢を保っているのがやっとの状態だ。



 水難事故で恐ろしいのは、人は膝下の水深でも簡単に溺れてしまう事があるという事だ。

 水の抵抗は想像以上に強く、膝下程度の水の流れでも脚を掬われて転ばされてしまうには十分な力がある。。

 一旦転んでしまうと、身体の重量は頭の方が重いため、脚側が浮き上がり、容易に立ち上がる事が難しくなってしまう。

 しかも、手を水底に着いて顔を水面に出せるのがギリギリ難しい深さなのだ。

 一旦鼻から水を吸い込んでしまうと、パニックに陥り、簡単に溺れてしまう。



 私はそれが分かっていたので、背後の壁に必死につかまり、身体を横向きにしてなるべく水の抵抗を少なくなる様にし、救助が降りてくるのを待った。


 救助者が私の目の前まで降りてくる頃には、水嵩は腰上にまで達し、踏ん張るのも厳しくなりかけた頃、こちらへ伸ばす手を握ろうと私も岩から片手を放し、手を伸ばした瞬間、……


 流れによってバランスを崩し、その差し伸べられた手を空振った。



 「ガボガボゴボ。」



 あれっ? 私、このまま死ぬのかな?

 頭の中は妙に冷静だった。

 濁った水の中でグルグル撹拌され、上も下も分からない状態。


 ここで死んだら、元の世界に戻れるのかな?

 それとも、再び他の世界に転生するのかな?


 そんな事を考えて居た。


 お師匠悲しむかな。

 ヴィヴィさん、悲しんでくれるかな。

 ケイティー、泣いちゃうかな。


 冒険楽しかったな。

 長距離砲撃、もうちょっと何とかならなかったかな。

 レールガン、もうちょっと改良したかったな。


 水中でグルグル回転しながら、頭だけは冷静にそんな事を考えていた。

 光りの射さない、真っ暗な水の中で、身体は激しく上下に揺さぶられ、岩壁に激しくぶつけられた。

 その直後に、今私が居た場所に大きな岩が転がって来て、岩壁に当たり、砕ける音がした。

 水中では音が伝わり安い。遠くの音も近くの音もごっちゃだし、そもそも回り中から轟音が鳴り響いているので、聴覚で聞いたのか魔力で探知したのかは定かではないが、それは判った。


 これはもう、助からないなとふと思った時、そうだ、あの変な空間にもう一度入れたら、助かるんじゃないかな?

 ふと、そんな考えが過った。



 確か、こうだ!



 両の手の拳に、ありったけの魔力を込めて、目の前の空間を殴りつけた。



 ドンッ! ビシッ!!! ガシャーーーーン!!!



 やった! 空間が割れた!

 直ぐに手を伸ばしてその割れた穴の向こう側の空間へ手を突っ込むと、体全体が吸い込まれ、背後で空間が閉じた。



 「やった! ごほっ! ごほっ! げええ……」



 大分水を飲んだ。でもギリギリ大丈夫。気管には入っていない。

 周囲を見回すと、濁流が目の前で上下左右に別れ、私の身体を避けて通り、背後で再び一つになって流れて行く。

 時々、大きな岩が転がって来るけれど、それもすり抜けて行く。何物も私の身体に当たる事は無い。


 意識を上に向けて、一歩踏み出すと、身体は水面に出た。

 上流側を見ると、さっき手を伸ばしてくれたおじさんが、こちらへ手を伸ばしたまま悲しそうな顔をして固まっていた。

 自分の目の前で、幼い命が自分の手から零れ落ちた、そんな絶望の顔……

 その上の方に居る人達も、悲しそうな顔をして、慌ただしく動いている。


 早く、元気な姿を見せて、安心させてあげなくちゃ。


 また、意識を崖の上の方へ向け、一歩。

 瞬時に崖の上へ移動し、天を仰ぐお師匠と、地面に手を着いて項垂れるヴィヴィさん、地面を叩いて泣き崩れるケイティーが居た。

 伝令が伝わったのだろう。皆、悲しみに暮れた顔をしている。



 「悲しまなくて大丈夫だよ。私はここに居るよ。」



 そう声に出して言ってみたが、外にいる人達には全く聞こえないみたいだった。


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