第12話 森の異変
「麻酔薬さえあれば……」
私がそう呟いたのがお師匠の耳に入ったらしい。
「『ますいやく』? それはなんじゃ?」
「あっちの世界にある、痛みを感じさせなくする薬だよ。」
「ほう、痛みを、のう。」
「痛みというのは、体の表面にある、痛覚を感じる神経細胞によって、脳が感じているものなんだよ。そして、内臓は、痛みを感じないの。つまり、この痛みを感じる神経細胞を麻痺させてしまえば、痛みを感じる事無く、手術をする事が出来るんだよ。」
「なんと、それはまた革命的な薬じゃのう。それがあれば、この世界の治療術も飛躍的な発展が出来るじゃろうが……今はそんなものが無いので、なるべく短時間でえいやっとやってしまおう。」
「ちょ、ちょっと待ってください老師! 私、まだ心の準備がー」
ドリュアスの少女の悲痛な叫びを無視して、お師匠は既に石化解除の魔法詠唱に入っていた。
詠唱終了と共に、ドリュアスの少女の左足を緑色の光が包み込み、左足の腿の部分から下に向けて白化していた皮膚の色が元に戻って行く。
それに伴い、今まで麻痺していた痛みが少女の体を襲う。
「きゃああああああぁぁぁぁぁぁぁ…………あ、あれ?」
お師匠ドヤ顔だよまったく。
チラチラこっちを見てくる。
殴ってやりたい。
「い、痛くありません! 何故!?」
「じゃろう? わし、頑張ったもん!」
殴りたい。
お師匠が今やったのは、5魔法同時詠唱。
【石化解除】、【
こんなの、お師匠以外出来る人は居ない。
神経が痛みの信号を脳へ伝える前に修復を完了させてしまった。
普通の1つ2つ程度の魔法なら、お師匠は詠唱無しに発動出来るからね。
工房裏の路地で、私がやっちゃった少年の腕は、お師匠は無詠唱で治したでしょ?
あれは、【リペア】と【キュアー】の2つの魔法だったから。
ちなみに、最初にリペアを掛けてから石化解除すれば良い様な気がするけど、リペアは生物しか治すことが出来ないのね。石化した体は、無機物なので無理だったの。
残念ながら、大きな欠損までは完全に修復は出来ないのだけど、日常生活では不自由無い程度には修復されている。
「流石はロルフ老師、大賢者の称号は伊達ではありませんね。お礼を申し上げます。」
「うちの好き好き爺がお役に立てて何より。」
「ロルフ老師、さっきから気にはなっていたのですが、こちらのお嬢さんは?」
「こやつは、わしの愚弟子じゃよ。」
「へい、愚弟子です!」
「申し遅れました、私はドリュアデスの代表を努めます、エウリケートと申します。」
「私はソピアだよ。エウリケートさんは、一体何から逃げてたの?」
そう、事の本題。
何故、エウリケートは足を石化させて、何から逃げてきたのか。
並の敵ならば、ドリュアデスの精霊魔法とエントの攻撃力、それで足りなければ、トロールだってエルフ達だって居るのだ。
いや、その全戦力を集結したら、相当のかなり強い敵だって撃退出来るはずなのに。
「何故、ドリュアデスは敗走したの? 他に生き残っているドリュアスは居るの? 他の森の住人達は?」
こんな驚異は、伝説に出てくる邪竜位しか思いつかない。
「最初は、エント達が頑張ってくれました。しかし、奴にダメージを与える事は叶わず、10日10夜の戦いの後、多くの犠牲を出してしまいました。疲弊しきった我々森の住人は、それぞれの判断で散り散りに逃げ、最後まで奴の進行を食い止めていた妾も、この様な無様な姿を晒して此処まで逃げて来るのがやっとの有様でした。
「ふむ、邪竜以外でこれ程の被害を
「あれ以外無いでしょう。」
「ソピア、お前、本当に判ったのか?」
お師匠は、また私が知ったかぶりしていると思ったのか、冷ややかな目線を送ってきた。
「バシリスコスでしょう。」
「おお、ソピアにしては珍しく当たっとる。」
地球でも有名な怪物だ。
バシリスク、またはバジリスクとも呼ばれる、同じく石化の能力を持つコカトリスの別称とも謂われる。
雄鶏の産んだ卵をヒキガエルが温めると生まれるとか、見ただけで死ぬとか、バシリスコスの通った後には永久に草一本生えないとか、馬に乗った騎士が、槍でヴァシリスコスを突いたら、その毒が槍を伝って騎士を殺し、その乗っていた馬をも殺してしまったとか、ドラゴンでさえ逃げ出すとかいう伝承も残っている。
「でも、バシリスコスは、魔物じゃないのだから、戦っちゃ駄目でしょう。」
そう、この世界の魔物の定義は、【攻撃性害獣】で、腹が減った訳でも、こちらが何かちょっかいをかけた訳でなくても襲いかかってくる、無差別攻撃性の生物の事なんだ。
バシリスコスは、その存在自体は迷惑極まりないのだけど、向こうから積極的には襲いかかっては来ないので、魔物の定義からは外れている。
普通の災害の様に、何処かへ避難して通り過ぎるのを待つのが、正しい対処法なのだ。
つまり、森の住人のの誰かが対処を間違った?
「はい……、お恥ずかしい話ながら、妾の判断ミスです。」
エウリケートの話では、森の霊脈を司る中心点に建つ神殿に向かって一直線に歩いて来ていたのだという。
放っておけば、霊脈は破壊され、森全体が死んでしまう。
エント達がバシリスコスの進行方向を変えようと手を出した所、それを攻撃と受け取られ、周囲に壊滅的打撃を与えられてしまったのだという。
「ドリュアデスが代々何万年もの間、大事に守ってきた森でした……」
これは不可抗力かな、何万年も守ってきたという自分たちの棲み家はそう簡単に捨てられるものでは無いのかもしれない。
「じゃあさ、私達で倒して来ようか? 未だ神殿までは到達していないんでしょう?」
「ううむ、やっかいじゃのう。目が合っただけで死ぬとか言われておるしのう。実はわしも未だバシリスコスに出会った事は無いのじゃ。効果範囲がどの位なのか、さえ判れば、その範囲外から攻撃できるのかもしれんが……」
「あ、それなら妾が判ります。凡そ0.5リグル以上だと思います。」
でた、また聞いた事の無い単位が!
なので、お師匠にどの位の距離なのか聞いてみた。
「1リグルは、1600ヤルトじゃな。」
「と、言うことは、800ヤルトだから、うわ、人間の魔力到達距離の凡そ3倍かー。」
「あくまで興奮時での石化視線の、大凡の効果範囲です。身体から吹き出す瘴気の範囲は、150ヤルト、風向きに寄ってはその数倍の距離でも危険です。」
「ふむふむ、では、視線を外した風上から狙撃しよう。」
「それが……」
バシリスコスの移動速度は遅いので、神殿に到達するまでには未だ2日~3日はかかりそうとの事だけど、もたもたしていると、それだけ被害範囲が増えてしまう。
「何か気に懸かる事でもおありか?」
「……はい、実は地形に問題がありまして……付いて来ていただけますか?」
◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇
エウリケートに案内されて、バシリスコスの進路予測地点に先回りして地形を確認してみた。
「こりゃあ……」
なんと、そこは、緩やかで浅いとはいえ谷地形で、風は進行方向から谷に沿って吹いている。
谷の深さは、2から3ヤルト程度で、なだらかな浅い空堀りと言った地形だ。
多分、普段は涸れ沢で、雨季にだけ水が流れるのかも知れない。
問題のバシリスコスは、この地形の谷の部分に沿って進んで来ている。
多分、明日の朝位にはここから見える位置まで来るだろう。
側面からの狙撃は、谷の下へ撃ち下ろす形になるのだけど、瘴気の範囲に入ってしまう。
それ以上離れると、谷の下が見えなくなってしまうので、狙えない。
後方からは、完全に風下となり、瘴気は谷によって拡散しない為、おそらく1リグル以上離れないと危ない。
正面からだと石化視線の有効範囲となってしまうため、安全を考えてやはり1リグルは離れて狙いたい。
「何じゃこの悪意のある地形は。」
「うーむ、詰みましたね。」
というのは冗談として、なんとかしないと。
私の魔法スリングショットでは、1リグル(地球で言う所の1.6キロ)の狙撃は無理だ。
届いてその約半分。
もっと何か、工夫しないと無理だ。
1リグルの超長距離射撃で凡そ体長1ヤルト弱、正面から見たら、1アルム程度の的に当てる事が出来るのか?
金属素材が手に入っていないから、持っている鉄製ボルト(矢)は、2本しか無いんだよねー。
一撃必中必殺、出来るかな?
何より問題なのは、その長距離を飛ばす、何かの方法を考えないと話にならない。
魔法で火薬みたいなものを再現出来ないかな?
この世界には、火薬が無いんだよね。
考え込んでいる私をお師匠がじっと見ている。
あ、また新しい単位が出てしまいました。
1アルムというのは、2パルムです。
1パルムというのは、地球の単位で言うと、およそ16~17センチ位かな。
そこから計算すると、1アルムは、約33~34センチになります。
そして、3アルムで1ヤルトになります。
1ヤルトは約1メートルね。
そして、1600ヤルトで1リグルとなります。
お金の単位の方もそうだけど、10進で繰り上がらない単位って、本当にクソですね。
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