1-1 零課

 警視庁零課に所属する新島はペン型アイス(携帯端末)を操作して画面を納め、ニュースを見るのをやめた。古い型のアイスはディスプレイを端末内部に収納して元のペン形になった。彼はそれをスーツの胸ポケットに戻した。

 さっきからドローンやヘリコプターの音がうるさい。高層ビルの屋上は風が強かった。

 眼下には町中の明かりが見え、光の海を目の前にしているようだ。

「まったくいいねえ。あんな当たり前のこと言ってるだけで給料が貰えるんだからな」

 ポケットに手を突っ込んだ新島真一は件のビルをうんざりしながら見下ろした。

「俺が知りたいのはあいつらがなんでテロリストになったかじゃなくて、どうやったらあいつらを制圧できるかだっての」

 中肉中背の新島は眠そうな目で天然パーマをショートカットにした頭をかきわけた。彼も今年で三十になるが、見かけは若く、二十代前半と言っても信じられた。

 それはぎらついた目と活発的な雰囲気が思わせるのかもしれない。着古された黒いスーツのネクタイは緩められている。

「それを考えるのが新島さんの仕事でしょう?」

 舌打ちする新島にオペレーターの臼田の声が聞こえた。右耳に付けられた小型のワイヤレスイヤホンが若い女の声をくっきりと伝える。

「分かってるよ。うるせえな。他のメンバーは?」

「待機中です。あとは夏音ちゃんだけですよ」

「なんだよ。ケンさん、まだなの?」

 新島が後ろを振り向くと、ケンと呼ばれた中年の男がやって来た。

 豊かな髭を生やす恰幅の良い矢頼健は彼らの中で一番の年上だった。新島と同じスーツを着た矢頼は髭を触りながら困ったように告げる。

「それがなあ・・・・・・」

 矢頼は自分の背後をちらりと見た。そこにはなんとも場違いな少女が立っていた。

「真一君。これ、可愛くないよ」

「仕事中に名前で呼ぶな。夏音」

 新島に夏音と呼ばれた少女は白いミディアムヘアーの前髪を左に分け、後ろは小さなポニーテールにしていた。少女らしい大きな目に白い肌。健康的な肉付きをした一六歳の皐月夏音は皆と同じ黒いスーツを着ていた。

「夏音だって名前だもん」

「お前ら姉弟は二人いるだろうが。いいからさっさと外殻つけろ。死ぬぞ」

「だって、可愛くないんだもん」

 夏音はむすっとした。

 新島が言う外殻とは矢頼が持っている機械の腕だ。

 カーボンナノチューブと合成チタン製のプレート九枚で構築されている。肩、腕と比べて大きな手が特徴的だ。

 大きさの割に軽く、矢頼は竹刀ほどのそれを軽々と持ち上げた。通常の腕より一回り大きく、白い色をしていた。

 様々なギミックを有したこれを付ければ、通常人間ができないようなことができたり、身を守れたりするものだった。

 新島は夏音の言葉に怒鳴り返した。

「可愛いとか可愛くないとか、んなもんはどうでもいいんだよっ! お前が白色が良いって言うから夜間のステルス製を無視してケンさんが塗ってくれたんだろうが! いいから付けろ!でないと明日は一日飯抜きだ!」

「ええ~・・・・・・。もう、しょうがないなあ」

 夏音は嫌々右腕を出した。そこに矢頼が外殻を付ける。

 白い腕は一瞬、機械の花が咲くように広がり、次には夏音の腕をばくんと食べた。その感触に夏音は顔をしかめる。

 装着が終わると夏音は手の平を自分に向けてグーパーした。すると中の手と外の外殻が連動する。

 それを見て矢頼が説明した。

「重さとバランサーの調整は出来てる。反応は前に使ったオカモト工業製と変わらんが武装を減らした代わりに防弾シールドが大型化されてる。センサー類と同期しておけ。ある程度の攻撃なら自動で予期して防いでくれる」

 矢頼の難しい事務報告も夏音の耳には届いていなかった。

「もっと可愛かったらなあ。今度はピンクのラインとか花柄とか入れて下さいね」

「・・・・・・そうは言ってもなあ。兵器だからな。俺が許してもドグマゼロの最適化スコアが悪くなるぞ」

「AIには可愛いって感情が分からないのかなあ?」

 いつまでもそんな話ばかりしている夏音に新島の怒りは爆発した。

「夏音っ!」

「・・・・・・はい。いつでも行きますよ」

 夏音はしょぼんとしてとぼとぼと前に歩いた。

 屋上の端へ行くと風が下からも上がってきて、夏音は髪を抑えた。だが高さによる恐怖感はなかった。これからテロリストと戦うというのに、それへの恐怖も薄い。

 全て、一〇年前のあの日に味わった恐ろしさと比べればなんでもなかった。夏音の手足を奪った戦争に比べれば、テロリストなど子供のようなものだ。

 なんの緊張もしていない夏音の目を少しの間見ていた新島は静かに告げた。

「臼田。始めるぞ。圭人とジンを降ろせ」

「了解しました」

 臼田の緊張した声が返ってくる。しばらくして、テロリストが籠城しているビルの屋上に何かが空から舞い降りた。

 それを見て夏音は右腕、つまり外殻を前に突き出した。

 その隣では矢頼がスナイパーライフルを取り出し、狙いを付け、ビルの壁に弾を撃ち込んだ。

「座標を固定した。これで衛生リンクを使えば迷子にならない。ビル風は気にしないで良い」

 矢頼がそう言うと夏音が付けた外殻の肩部分から折りたたまれた金属の棒が出てきた。棒の先には三つの鋭い突起が付いていて、それが屋上のコンクリートをがっちりと掴む。

 しばらく誰も何も言わなかった。夏音はただ耳を澄まし、新島の指示を待った。

 すると向かいのビルから銃声が聞こえた。それを聞いて新島は告げた。

「行ってこい。怪我はするな」

「はい! 行ってきます!」

 夏音は元気よく挨拶した。すると外殻からワイヤーが発射された。ワイヤーの先はやはり突起になっていて、それは数百メートル離れた向かいのビルに刺さった。

 それと同時に肩から伸びた金属の棒は取り外され、ワイヤーが巻き取られる。夏音の軽い体はまっすぐに正面のビルへと飛んでいった。

 ビルの壁に体が当たりそうになる少し前、突起は外れ、夏音の体はぴったりと窓枠の中に入った。

 ガラスが割られ、夏音は瞬時に床へと着地する。衝撃を受け止めた金属の足はしゅーっと圧力を逃した。

 そこは逃げ遅れ人質になったOLが居た給湯室だった。

 突然の襲撃、それも少女によるものはその場に居た二人のテロリスト達は驚いた。

「な、なんだ!?」

 慌ててアサルトライフルを向けるが、夏音の近くにいた一人は狙いを付ける前に外殻に頭を捕まれた。

 バチバチと音がして、電流が走る。すると男は気を失ってどさりと横たわった。

「て、てめえ!」

 それを見た仲間は怯えて銃を向ける。だが、彼が撃つ前に二発の弾丸が窓から飛んできてその腕を撃ち抜いた。

「ぐわっ! どこだ? どこから撃って――」

 銃を手放し痛がる男は窓の方を向くが、その頭を夏音の外殻が掴んだ。またバチバチと音を立て電流が走る。

 白目を剥いたテロリストはすぐに沈黙した。

 夏音がふうっと息を吐き、笑顔でお礼を言った。

「ありがとうございます。ケンさん」

「いいさ」向かいのビルでスナイパーライフルのスコープを覗きながら矢頼は言った。「さあ、次へ行こう。気をつけなよ。お嬢ちゃん」

 矢頼がそう言うと、夏音は窓の外に笑って手を振った。

 それを見て矢頼はやれやれと嘆息する。そしてスコープから顔をはなして隣に立つ新島と同様ビルを眺めた。

「あんな子供が戦わなきゃいけないなんてな」

「・・・・・・その話はするな。あいつにとっても、これしかないんだ」

 二人共寂しげな視線でイヤホンから聞こえる夏音の声を聞いていた。

「皆さん安心してください! あたし達警察が来ればもう大丈夫です!」

 年端もいかない少女の明るい言葉に、居合わせたOL達は脅えの表情を崩し、小さく笑った。

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