転機の前ぶれ

 愛美が、事故に遭った時。

 俺はただ祈るだけしかできなかった。


 脳死という判定が下ったときに流した俺の涙は、果たしてどこへ行ったのだろうか。


 ──きっと、愛美の心臓と一緒に、誰かの中で、生きている。そう信じたい。


『……お兄ちゃん』


『……大丈夫だよ』


『いつでも愛美は、お兄ちゃんのそばにいるよ……』


 ………………


 …………


 ……


「……夢、か……」


 久しぶりに愛美の夢を見た気がする。


 いつでも、そばにいるよ──か。

 そうだな、俺が忘れなければ。忘れられるわけもないけどさ、そりゃ。


 だけど。

 俺のその気持ちを共有できる華子は、いったい何者だ……?


 何度も何度も繰り返し浮かび上がるその疑問。それを俺の頭からきれいさっぱり消し去ったのは、時計が示している時刻だった。


「やばっ! 遅刻する!」


 愛美がいなくなり、夕貴が来なくなってから、何度繰り返した朝のお約束だろう。

 自分のだらしなさに少しだけ呆れつつ諦めつつ、俺はベッドから飛び起きた。



 ―・―・―・―・―・―・―



 少しだけ気合いを入れて走ったおかげで、正門をくぐったところでも今日はまだ時間的余裕はあった。セフセフ。


 そして校内に入ると。

 昇降口近くにある校内掲示板に、速報でこの前の美術展の結果が貼られていた。


 有象無象がざわめく中、そこには当然のように。


【三年の渋谷洋司君が、県高校美術展で、今年も優秀賞に選ばれました】


 などと書かれている。


 ──はっ、、か。もう誰も驚かんだろ、それだけの才能があるんだから。

 というか、渋谷先輩って確か、高校入学直前にこっちに引っ越してきたんだよな。もっと美術部に力を入れている高校に進学することだってできたはずなんだけど、なぜこの高校を選んだのか。それがわからない。


 …………


 ま、そんなこと考えても仕方ないわ。俺が口を挟むことではないので。


 どれどれ、今年はどんな絵を描いて──


「──!」


 優秀賞に選ばれた作品の画像を見て、俺は思わず息をのむ。

 そこには、前に美術部でのぞき見をした絵──愛美にそっくりな女の子の絵が堂々と。


 やっぱりおかしい、渋谷先輩が愛美のことを知っているはずがないんだ。中学も一緒じゃないし、高校に来た時には愛美はすでにこの世にはいなかったし。


「……偶然、だよな」


 言葉を口に出すことで、俺は自分をむりやり納得させた。

 きっとモデルが愛美にそっくりなだけだろう。


 だが、それでもこの絵にはなにか違和感がある。なんだろうな……


「せーんぱい♪ おはようございます!」

「……おう、華子か。おはよう」


 おっと。

 どこからともなく出てきたな小悪魔な犬っころ。


「ふっふー、延樹せんぱいセンサーが校内掲示板前にいると知らせてくれたので来てみたら、案の定でした」

「おまえやっぱエスパーだろ!?」

「あー、渋谷先輩やっぱり優秀賞に選ばれたんですねー! さすが美術部のエース!」


 人の話を聞けやこんちくしょう。


「画像でもわかりますねー、キレイな絵です! でも……」

「……でも、なんだ?」

「なんていうんでしょうか、この絵って……渋谷先輩の……」


 華子が何やら勝手に絵の批評を始めようとしているが。


「モデルに対する、贖罪みたいな気持ちが、見え隠れしませんか?」

「……へっ?」


 どういうこと?

 というか華子よ、おまえも気づいてるだろ? この女の子が愛美にそっくりだってことを。


「だってですね……こんなに笑顔の女の子なら、背景ももっと明るくしたりしますよね普通。なんでこんなに薄暗い背景なんでしょう?」


「……確かに」


 そう言われてみると、確かに背景がおかしい。

 女の子ははちきれんばかりの笑顔なのに、背景には無機物すらも存在せず。

 まるでこれからこの笑顔が崩れていくことを示唆しているようだ。


「それにですね、この絵、女の子を下から見上げるような構図じゃないですか。まるで土下座した状態から顔を上げた時に見えるような……」


「……」


 華子よ。おまえ本当にエスパーだろ。

 いう通り、なにか違和感を感じたのはそこだ。


 じゃあなんだ、この絵を渋谷先輩が描いたのは、愛美に対して土下座をして謝罪の意を示すため、ってことなのか?


「……華子。この絵の女の子……愛美に似てるよな」

「ああ、そうですねー」

「なんで棒読みで答えるんだよ……」

「まあいいじゃないですか。この絵が素晴らしいことは違いないですし」


 ごまかしてるようにしか思えない華子の態度を、俺はますます訝しんだ。

 が、追及することはしない。俺がそれをしたところではぐらかされるのがおちだってわかってるから。


「……さあ、クラスにいくか」

「あ、そうですね。じゃあせんぱい、また放課後に! 絶対ですよ! 約束ですよ!」

「……おう。気が向いたらな」


 あきらめて俺はいったん立ち去る宣言をする。

 たかが放課後までの別れだというのに、それを受けた華子は大げさに手を振ってきやがった。

 少しだけ恥ずかしいが、悪い気分じゃないのはなぜなんだろうかね。


 …………


 華子は、何か知ってるのか?

 そして、渋谷先輩の意図はいったい──

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