九条先生のヒミツ
「あいたたた……」
二時限目の体育の授業。
バレーボールをしていた俺は、調子に乗ってアタックをした瞬間に着地に失敗し足首を痛めた。
モヤモヤをスポーツで発散したくて張り切った結果がこれだよ。なんとも締まらない。
ガラッ。
「あのー、足首ひねったんですけど……」
「おう、ようこそ保健室へ……って、岸川君、キミか」
「キミか……って」
ノックもなしに保健室へ入ると、九条先生が白衣姿で足を組んで椅子に座っている。
挨拶もそこそこに……いやいや。
「よく俺の顔をおぼえていましたね、九条先生」
「キミは、私をバカにしているのか?」
「いやだって……」
おそらく人間に興味がないのだろう、なんて陰で言われているくらいに、九条先生は驚くくらい生徒の顔を覚えないので有名なのだ。
この前だって俺の名前を知ってたことにびっくりしたし。
「キミはトクベツな生徒だからな。ハナちゃんと同じく。そりゃ覚えもするさ」
「いや、今までを顧みてくださいよ。だいいち俺みたいななんの特徴もない量産型高校生の顔を九条先生が覚えることなんてどんな珍事でしょうか」
「自分も私も同時にディスってくるなどという、高等テクニックを駆使しなくてよろしい。どれ、ひねったところを診せてみろ」
いちおう保健医としての仕事をしようとする九条先生に逆らうつもりはない。
俺は素直に九条先生の前の椅子に座り、診察を受ける。
「ふむ……まあ捻挫まではいってないようだが、少し腫れてるな。いちおうシップくらいは当てておこう。ジャンプした後の着地でひねったりしたか?」
「そこまでわかるとはさすがですね」
変人という評判でも、やはり保健医である。
「テキトーに言っただけだ、感心せんでよろしい。君に万が一のことがあったらハナちゃんが悲しむからな。気をつけろ」
「……さーせん」
なんでここで華子のことが出てくるのやら。
「はい、処置終わりだ。念のためしばらく安静にしていること。歩けなくはないと思うが、激しい運動は控えるように」
「ありがとうございます」
いちおう手当終了後、頭をペコリと下げて。
顔を上げた後、そのまま九条先生の顔をジーッと見つめる俺。
そんな様子を見ても、九条先生は何ら訝しむそぶりすら見せない。
「……なんだ? 言っておくが私は年下の男子生徒に恋愛的な興味は持たない主義だぞ?」
「そんなに俺の視線から恋愛の波動を感じたんですか?」
ボケに呆れつつ俺は返した。だが九条先生が動揺などするわけもなく。
「いいや、それは全く感じなかったが。疑問と好奇心に満ちた視線は感じたな」
「!」
「私に何か、聞きたいことがあるんだろう?」
そこで九条先生はしばらく大声をあげて笑い。
笑い終えたかと思うと瞬時に真面目な顔に切り替え、俺と向き合う。
「まあ、言わなくてもわかる。私とハナちゃんの関係についてだろう?」
「……はい」
「岸川君は、ハナちゃんから何も聞いてないのか?」
「……」
そういや俺、華子の過去について知らないことだらけだ。
T県から引っ越してきたとか、愛美と知り合いだとか、自称病弱だとか。そのくらいしか知らない。
ここに引っ越してくる前の、華子のことは、ほとんど。
口ごもったことを恥じたせいで、俺の顔は赤くなっていたに違いない。
九条先生は俺の様子を察し、今度は眉をひそめたような笑い顔になった。
「……まあ、わざわざ言うことでもないだろうしな」
「そうですね……ところで」
「ん?」
「九条先生は、なんで黎明高校の保健医になったんですか? 噂では優秀な大学の医学部出身だったと聞きましたが」
赤い顔をごまかすような俺の質問。
そこで間を置き、衝撃の事実発表が開始される。
「ハナちゃんは、私の父が勤務している病院で、入院していたんだ」
「……は?」
入院?
今はあんなにけたたましい華子が──いやでも、そう言われれば思い当たる節はたくさんある。
「娘の私が言うのもなんだが、父は腕の立つ心臓外科医でな。そこにずっとハナちゃんは入院していた」
「まさか……華子が? どこが悪かったんですか?」
「おいおい、心臓外科医がわざわざ専門外のところを見るのかい?」
そこで、青白い顔をした華子の顔がフラッシュバックする。
「ハナちゃんはな、日に日に状態も悪くなる一方で、いつ命を落としてもおかしくなかった。だが、そんな状態で耐え忍んだハナちゃんは、ある日神からの贈り物を授かることになる」
「……それは?」
「……移植用の心臓だよ」
ああ。腑に落ちた。
そうか、あの胸の傷は──手術痕だったんだな。
「しかし心臓に限らず、臓器移植というものは移植すればおしまい、というわけにはいかない。移植してからもとても厄介なものなんだ」
「それは……なぜですか?」
「拒絶反応、というものがあるからだよ」
それは聞いたことがある。
体内に異物が侵入してきたと同じに見なされ、自分の体の免疫細胞から攻撃をされる、と。
「だから、普通は免疫抑制剤を使うなりして、うまくそのあたりをコントロールしていかなくてはならないのだが……」
ここで神妙な顔つきになる九条先生を確認して、思わず俺は
「不思議なことに、ハナちゃんの場合は、拒絶反応がほとんど起こらなかったんだ。血縁的に近いという要素もなく、だ」
「……え? そんなこと、ありえるんですか?」
どういうこと?
「奇跡に近い、と言っていい。そして今のところまで、心臓は問題なく機能している。父も首をかしげていたよ」
奇跡──そんな言葉を信じるほど、俺は脳天気ではない。
だけど、そのとき九条先生が見せた笑みは、そんな俺すらもうなってしまうような説得力にあふれていた。
「苦しくても必死で頑張っていたハナちゃんに、神様がプレゼントしてくれたのかもな。拒絶反応の起きない、移植用の心臓を」
「……
まさか──ね。
「ああ。実習のころからハナちゃんのことは知っていたんだ。いつも苦しそうで、寂しそうで、はかなげで。それでもいつか普通の人と同じような生活を送りたいと、強い意志を持っていた、そんなハナちゃんへの贈り物だ」
「……」
「ただ、それを奇跡で済ませては、医学の進歩はあり得ない。優秀な医師でさえも説明不能な不可解事象だ、医学に従事する者としては解明してみたいと思うだろう?」
──だから私は、この高校にきたんだ。
そこまで言うことなく、『はい、話は終わり』とばかりに、九条先生は足を組みかえた。
…………
「九条先生って、優しい人なんですね」
「……あ゛?」
予期せぬ言葉だったのだろうか、そこで九条先生が普段からは想像もつかないような間抜け顔を晒すとは。
いや、だってさ。
華子がここの高校に通うということがわかってもさ。
赴任準備なんて、前々からしなきゃ間に合わないでしょ?
つまり九条先生は、華子とかなり仲が良かった。もしくは華子のことを詳しく知ることが出来るくらい、華子のことを気にしていた。
そうとしか思えないわけだから。
結論として、九条先生は、華子が心配で、半ば強引にここに赴任して来たんだと。
俺ですらわかるよ。
「……何を勘違いしているのかはわからないが、岸川君。推測でものをいうのはやめたまえ」
「そういうとこですよ、先生」
ちょいとだけ、華子のことが知れたのと。
九条先生が慈愛にあふれた、まさに白衣の保健医だったことを確認して、気分がよくなったせいで。
──どういう経緯で華子がこの高校へ進学することになったのか、という疑問まで、この時の俺は頭がまわらなかった。
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