悪夢の共有
華子と並んで駅前の大通りまでやってきた。夕方の帰宅ラッシュ前、やや人の数は少ない。
「さーて、せんぱーい、どこに行きますかー?」
「…………」
いつの間にか腕を組んでいる華子に対する抵抗も、すでに意味をなさなくなっている。
この距離の詰め方、やはりビッチは手慣れてる。
他の人間に見られるのも慣れた……わけではないのだが。
「あ、そういえば、ロックンミュージックが更新されたんですよね、おとといあたり」
「……意外だな。華子が音ゲーを知っているとは」
「先輩、大好きですもんねー? 小学生のころから音ゲーマニア」
「……俺、そんなこと言ったっけ」
「そのくらいわかります、見れば」
「…………?」
俺から、音ゲープレイヤーという雰囲気が漏れ出してるなんて思わなんだ。
いや確かに一時期ハマって、市内でも有名なプレイヤーだった時期もあったけど、愛美の事故以来手を出してない。
大通り交差点でそんなことを考えながら、華子に腕を掴まれたまま信号が変わるまでボーッと待つ。
信号が点滅すると、人も車もあわただしく渡り切ろうとするその光景を、ただ眺めていた。
そして、ふと気づくと。
点滅している信号が赤に変わったのも知らずに。
歩きスマホで注意を怠ったまま、交差点を渡ろうと歩き進む中学生くらいの女の子がいた。
青の矢印が車を導くその瞬間。ちょうど、進む先の安全を確認せずに交差点を曲がろうとする車が突っ込んでくる。
――――車が、突っ込んでくる。
その事実に一瞬俺は硬直し、見える世界が白黒反転した。
そんな中で、俺は必死にもがく。確か、過去にも同じようなことがあった、はずだ。
思い出せ。
――思い出せ。
――――思い出せ。何も、出来なかった自分を。
昨日うなされながら見た夢が、甦る。
俺は身体を硬直させる恐怖を壊して、無意識に華子の腕を振り払い飛び出していた。
「まなみぃぃぃっっっ!!!」
なぜかそう叫んでから、車に轢かれそうになる女の子の肩を後ろから制服ごと掴み、思い切り引っ張る。
「きゃっ!!」
女の子は突然身体を後ろに引かれ、俺とともにしりもちをついて倒れ込むが、直後にクラクションを鳴らしながら目の前を通過していく車を視認し、瞬時に顔を青ざめさせていた。
「あ……あ……」
――――間に合った。今回は。
あの日、何もできなかった自分。大事な人を救えなかった後悔。夢にまで出てくるトラウマ。
そんな事実がすべて帳消しされたわけではないが、少なくとも俺はあの日よりはマシになったみたいだ。
女の子を助け起こし、落ちて画面にヒビの入ったスマホを拾い上げて手渡すと、「ありがとう、ございます……」と力ないお礼の言葉が返ってくる。俺は特に何も言わず頷いただけだが、直後に華子の叫び声が耳まで届いた。
「のぶきせんぱい!!!」
何事かと思って振り向くと同時に、華子が心配そうな顔とともにガシッと抱きついてきた。
「……華子」
「もう、もう! 危ないです! わたし、わたしぃぃぃ……」
抱きつきながら顔をすりすりしてくる華子だが、声は鼻声だ。よく見ると涙ぐんでいる風に見える。
「……大丈夫だ」
俺はそれだけを華子に向けて告げた。必死で俺を離すまいと、抱きついてくる腕に力をさらに込めてくる華子を、そのセリフで安心させられたかはわからない。が、俺の体温は伝わっているはずだ。
「せんぱい、せんぱい、せんぱいぃぃぃ……」
人だかりが大きくなり、辺りのざわめきが、何度も繰り返される華子の叫びをかき消す。
周囲の視線は、車に轢かれそうになった女の子よりも、なぜか俺のほうに集中していた。
「おい、華子。俺は生きてる。五体満足だし、助けた子もけがはないみたいだから、そろそろ離れろ」
「いやです! 絶対に離れません!」
一身に浴びる視線の痛さに背中がむず痒くなり、華子に対してそう説得を試みるもかなわず。仕方なしに俺は、轢かれそうになった女の子に「危ないから歩きスマホはやめろよ」とだけ言って、華子ごとその場を離れた。
―・―・―・―・―・―・―
「……いやな夢が、甦りました」
駅前から少し離れた百貨店前の広場にあるベンチへと、俺と華子は避難した。
俺に抱きついたままだった華子が、ほっとしたのかようやく俺の身体に必死でまわしていた腕を放し、ボソッとそうつぶやく。
「いやな夢?」
「……はい。もうひとりのわたしが、いつも見ていた、夢です」
―――ーもうひとり? もうひとりのわたし?
本人以外には理解できないであろう華子の言い回し。その意味をどう尋ねたものかと俺は悩む。が、華子はそんな雰囲気を感じ取ったらしく、ちゃんと説明を付け加えてきた。
「幸せだった、ただ幸せだった日々が――――たった一台の車によって、壊されちゃった、夢なんです」
「……なんだって?」
「不思議ですよね。実際に経験したわけじゃないのに、わたしの中にいるもうひとりのわたしが、いつもわたしに見せてくる夢。いつのまにか、その出来事が自分の経験のように、深く深く脳裏に刻み込まれちゃっているんですよ」
しかし、華子の説明はさらに俺を混乱させた。
華子は二重人格なのだろうか。まず思ったのはそれだ。
――――うん、二重人格だとしたならば、俺の前でかしましい華子と、美術部内でひたすらおとなしかったという、夕貴の言っていた通りの華子。この説明がつく。漫画の中でしかそんな状況見たことないし、正確には確か解離性同一性なんちゃら、とか今は言うはずで、専門家に訊かないと詳細はわからないから断言はできないけどな。
そして、もう一つ。華子も――――俺と同じような、いやな夢を抱えている、ということ。
なぜ、そんな悪夢が俺たちの間で共有されているかのように存在するのだろうか。
そのあたりを踏まえて、俺の脳みそが導き出した質問は。
「そういや華子、おまえ確か、愛美と知り合いだったんだよな?」
俺のセリフを認識した華子が、心臓の鼓動のように身体をビクンと跳ね上げさせ、直後に下を向いたまま黙り込んでしまう。
いつもと違うそのリアクションに、俺は戸惑うばかりだ。
「……愛美さんは、わたしの、命の恩人なんです」
狼狽える心に逆らえずに俺も黙り込んでいると、聞き取りづらいボソボソ声で、華子が言葉を絞り出す。
「恩人?」
「はい……愛美さんは、わたしの心の中で、今も生き続けています」
これがいつものように冗談を交えたような華子の物言いだったら、俺は愛美のことを会話に出されたことに怒りをあらわにしたかもしれないが――――華子の様子は、少なくともふざけたりしてはいない。いつになく真剣な空気だ。
「愛美さんが、繰り返し繰り返し延樹先輩のことをわたしに教えてくれるもんだから……わたしもだんだんと先輩のことが気になっちゃって……」
「……はぁ?」
「だから、わたしは中学を卒業してからこっちに引っ越してきて、延樹先輩とおんなじ高校に入学したんですよ?」
その独白とともに再度俺に顔を向けてきた華子にも、茶化している様子は一切ない。逆に真剣なまなざしに俺が射抜かれそうだ。
どういうことだろうか。話の内容から察するに、華子と愛美は親友といっても差し支えないくらい仲が良かったように思われる。
が、華子はこのあたりに住んでいて愛美と知り合ったわけではないはずだ。もしそうならば、俺も知っているはずだし。
確かに、今はSNSなどのおかげで、離れていても友達になれる。そういう知り合いでかつ年齢が同じだったから、親友みたいになれたのかもしれない。
現実の友人だと毎日会話しないこともあるけど、ネットを介した友人はなぜか毎日メッセージのやり取りをしたりするしな。
――――なるほど、納得した。いちいち何で知り合ってどーのこーの、なんて説明はしないことも多いだろう。
俺がそのように自己完結した直後に、華子が少し悲しそうに微笑んで、さらなる事情説明を続けてくる。
「先輩は、愛美さんに聞いていた通りの人でした。少しめんどくさがりで、少しぶっきらぼうで、少しいい加減で。でも、すごく繊細で、すごく優しくて、一緒にいるとすごく楽しくて」
「…………」
「そして……すごくステキな人でした。先輩と知り合って、愛美さんに感謝することがまた一つ増えたんです」
俺はその言葉を受けて、どんなリアクションをすればいいのか決めかねていた。
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