ハナコの子ども論
――――もう、やめよう。
俺は美術部を辞める決意を固め、今日の放課後を迎えた。
少しだけ華子のことが頭に浮かんだが、もう気にしてもしょうがない。
新入部員も入ったことだし、俺が退部しても何の変化もないはずだ。
そしてひとり、美術部室を訪ねたが。
……誰もいない。なぜだ。
「あ、先輩はっけーん。やっぱりここでしたか。あのですね、今日は第二校舎に清掃業者がやってくるから、部活は休みみたいですよー」
無人の美術部室に唖然としていると、なぜかそこに華子がやってきて、誰もいない理由を伝えてくれた。
肩透かしを食らった俺は、思わず脱力してしまう。
「……わかってたのに、おまえはなぜここに来たんだ」
「あのですね、先輩を探していたんですけど、教室に見当たらなかったので。ここにきてるのかなーって」
「……探してた?」
「はい。部活もないことですし、放課後デートしましょー!」
「……デート?」
「デートです」
「デートか」
「デートですってば」
「断る」
「こんな美少女に誘われたからって、照れなくても大丈夫です。さあ、行きますよー!」
意思の疎通ができない。拒否権すらないのか俺は。
むりやり俺の腕を引っ張って、華子がずんずんと前へ進む。
「さて、どこに行きますか?」
「…………」
こいつの強引さは、いったいどこから来るのか。
――――いや、こいつは、なんで俺にこうも付きまとってくるのか。
華子の態度に、少なくともからかいとか悪意などは感じられない。だからこそ俺は戸惑うのだ。
「無言は、どこでもいいと解釈しました。ならば、駅前で適当にブラブラしませんか?」
「……俺に予定があるとは思わないのか」
「予定があったら、部室に顔を出さずに直帰してますよね、先輩は」
「…………」
こんの、都合のいいエスパーめが。そんなことまで把握されてるのかよ、行動パターンを。
「だから、先輩を笑顔にするために、わたしがつきあってあげるんです。感謝してくださいね?」
ふざけた様子で恩着せがましくそう言ってくる華子に、一瞬俺の身体が硬直した。
――――そんなに浮かない顔をしていたのか、俺は。華子が一目見て、すぐに察するくらいに。
「……せんぱい、冗談ですよ。からかっちゃってごめんなさい」
俺が軽口を返さずにしばらく棒立ちだったせいか、しばらくしてから華子が謝罪をしてくる。
その言葉にすら何も返せなかった俺を心配したのだろう、華子がそっと俺の左腕に抱きついてきた。
「何を悩んでいるのかは、わかりません。でも、先輩がそんな顔をしていたら、わたしも気持ちが沈んじゃいます」
「…………」
「……ね。せんぱい。遊びに行きましょう?」
いつもはやかましいくらい畳みかけてくるくせに、なんでこんな時に限って優しいんだ、
「……ああ」
このまま無言でいると涙をこぼしそうだ。そんな危機感から、俺は仕方なくその誘いを受けた。
仕方なくだ、そのあたりを勘違いしないでほしい、華子には。
だが、華子はそれを聞いて、顔をくしゃくしゃにしながら、ギュッと俺の左腕に全身をゆだねてくる。
「えへへ、嬉しいです。先輩と初めてのデート」
「……デートじゃない」
「えー、デートですよ? 立派な」
コアラを腕に巻き付けながら、俺はゆっくりと歩きだす。
「一緒に遊びに行くだけだ。なんでそうまでデートにこだわる?」
「だって、デートの締めは、熱いキスを交わすものですよね?」
「……はい?」
「そしてお互い離れがたくなって、『おまえとひとつになりたい』なんて展開、かーらーのー、うれし恥ずかしラブホでの初たいけ」
「あるかボケ! だいいちキスすらせんわ! つーかおまえは制服でラブホ入るつもりか!」
「わたしはいつでもウェルカムなのにぃ……先輩のい・け・ず」
「発情期もたいがいにしとけ、メス犬」
「だから人間扱いしてくださいってばーーー!!!」
――――なんでだろうな。
華子と叩く軽口が、俺の沈んだ気分を上げてくれる気がする。
沈んだ気分を上げてくれる存在。そんな相手が、昔の俺にはいた。他でもない、妹の愛美だ。
俺が落ち込んだり沈んだりしている時、愛美はそれを察して、そっと俺の隣に座って寄り添ってきた。
言葉などはそこになかった。でも、兄妹の安心感が、不安定だった俺の心をそっと慰めてくれた。
愛美が天に召されてから、俺は年中ネガティブになったような気がする。
夕貴が、どこか遠くの人になってしまってからは、余計に。
同じような心地よさを感じるなんて、不思議だ。華子とは知り合って一週間も経ってないというのに。
「あ、でも先輩が、獣のように交尾したいっていうのならば、メス犬でもいいですけど」
――――前言撤回。似ているなんて言ったら、天国の愛美に怒鳴られそうだ。
「おまえ、本当に年中
「え、先輩は、子どもほしくありません?」
「ぶはっっっ!」
俺が迂闊なツッコミを入れたせいで、華子のトンデモ発言が飛んできた。
この年齢でなぜ自分の子供がほしいとか考えなきゃならんのか、理解に苦しむ。
「子どもを作る行為は、素晴らしいことです。わたしの子どもは、わたしがこの世に生まれた意味を与えてくれるんですから」
「……どゆこと?」
トンデモ発言の後に持論らしきものを展開してくる華子に、礼儀として一応詳細説明を促してみた。
だが、華子の顔は、俺をからかう時のような小悪魔の表情ではない。いたってまじめだ。
「わたしがもし死んだら、わたしの存在はこの世から消えます。でもですね、わたしが子どもを産んだら、わたしの存在が、その子どもを通してずーっと残るんですよ? すごいことだと思いませんか?」
「……」
華子の言うことが何となくわかってしまった自分に、自己嫌悪する。
愛美も、もっと生きて、自分の子供を残すことができたら。
俺はああまで愛美を失ったことを悲しまなかったかもしれない。
愛美の代わりに、愛美の子どもをかわいがったかもしれない。
そんな不謹慎なことを考えてしまったから。
でも、その在り方は、寿命というものから逃れられないヒトたちが繰り返してきた当たり前のことなのだ。
そんなようにも思う。だから、否定はできない。
「だから、わたしは生きているうちに、自分の子どもが欲しいんです。なるべく早いうちに」
「……そうか。がんばって子作りしろ」
そしてもう一つ納得した。こいつがビッチ街道をひた走っているのは、妊娠上等だからだと。
つまり、妊娠したいんだな。だからやりまくっているわけだ。
俺にできるのは、こいつが性病を
「誰の子どもでも欲しいわけじゃありませんよ。先輩の子どもだけです」
「ぶっはっっっっっっっ!!!!!」
そして、いつものように俺へと飛び火した。認知しなければ……なんてゲスい考えは置いとくとして、さすがにまだ父親になる覚悟はない。
いや、そこじゃなかった。なんで知り合ったばかりの俺の子どもを欲しがっちゃってるの、華子は。
「だから、子作りしましょう、先輩」
「今の立場で子ども作っていいわけないだろバカ野郎!!!」
「別に実の兄妹で子作りするわけじゃないんですから、問題ないと思いますよ?」
「学生の問題はどうするんだっつーの!」
「けっこう先輩って現実的なんですね……大丈夫ですよ、作っちゃえば何とかなります」
「おまえのその楽観的すぎる思考回路はどうなってるんだ!」
「人生一回きりなんですから、たまには快楽に負けちゃってもいいんじゃないですか?」
「一生背負うような過ちは勘弁してくれよ!!!」
ぶっ飛んだ会話がだんだん深みにはまっていく。
こんな会話知り合いに聞かれたらなんて言い訳すればいいんだ。
一般常識豊かな俺は恐怖しながらも、華子が俺に対してなぜそう言ってくるのか、そんな無理難題の答えを必死で探していた。
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