幼なじみという足枷
ピロン。
ピロン。
ピロン。
スマホに立て続けに入るメッセージ。おそらく夕貴からだ。
俺はベッドに突っ伏したまま、動く気力もなかった。
だが。
ずっと無視しているとスマホがけたたましい音を上げ始めた。通話着信である。
「……マナーモードにするべきだったな」
俺が出るまでずっと鳴らし続けているつもりなのだろうか。鳴りっぱなしのスマホに根負けした。
「……はい」
『のんちゃん!? のんちゃん、今どこにいるの!?』
夕貴が何やら慌てたような焦ったような声で俺の居場所を確認してきた。
「……体調が悪くなって、家に戻った。今日はごめん」
夕貴との約束を破ってしまったのは事実なので、表面上だけでも取り繕う謝罪をする。だが、そんなことは付き合いの長い幼なじみにはわかってしまうようで。
『……本当にそうなの?』
「なにが?」
言い訳をいぶかしむ夕貴を黙らせるために、俺はわざとそんな言い方をした。
――まったく、夕貴にすら嘘をついて。自分が嫌になる。
『どのみち岸川君なんて、廃部にならないように籍だけおいてくれれば、どうでもいい人じゃない』
美春先輩の言葉に俺の心が急下降したまま、浮き上がる気配すらない。
暗い海の底にひとりいるような感覚。
そうだ、俺は、だれの一番にもなれないんだ。
「……とにかく、今日はごめん。ちょっと休みたいから、切るよ」
きっと、最後のこの話し方を耳にした人間は、俺が本当に具合が悪いと信じて疑わないだろう。
そんなふうに夕貴も思ったに違いない、あわてて急に連絡してことを謝罪してきた。
『あ、ご、ごめんね、具合悪い時に。お大事にね』
ブツッ。
最後の夕貴の言葉に返答すらせず、俺は通話を切断した。そしてそのまま目を閉じる。
本当に、自分ひとりしかいない。そんな感覚がまたよみがえってくる。
そのまま俺は、海の底で、眠った。
―・―・―・―・―・―・―
――――夢を見た。
乗用車が愛美に向かって、スピードを緩めずに、突っ込んでくる、夢。
その車は愛美をはねた後、止まる様子も見受けられずに、さらに俺の隣にいる夕貴に向かってくる。
俺は助けようとするのだが、足がすくんでしまい、まったく動けない。
そして、車が夕貴を飲み込む直前、なぜか俺のほうを向いてきた夕貴の声が聞こえた。
『……のんちゃん……』
夕貴は、悲しそうに微笑んでいた。
俺は何もできずに力の限り叫ぶのだが、そこで世界がホワイトアウトして。
『……のんちゃん……』
――――目が覚めた。
「……のんちゃん? 大丈夫、苦しくない?」
「……夕貴、先輩?」
なぜか目を覚ましたら、ベッドの横で、夕貴が俺の顔を覗き込む様が確認できた。
「うなされてたよ。体調、そんなに良くなかったんだね……今日はごめんね。そんな時にお願いしちゃって」
どうやら夕貴は『俺の体調が悪い』ことを心配して、わざわざ部屋まで来てくれたらしい。
夢のせいでうなされていたのだとは思うが、寝汗が尋常じゃないくらいびっしょりだ。
「熱、高そうだね。タオル持ってこようか?」
そんな夕貴の気遣いに対し、おざなりに俺が答える。
「いや、いいよ。着替えてシャワー浴びるから」
「だめだよ、そんなに具合悪そうなのに、シャワーなんか浴びたら!」
必死で制止してくる夕貴に、俺は苦し紛れの笑いを見せながら答えた。
「ガキじゃあるまいし、ひとりで大丈夫だって。心配性だな、夕貴
あくまで先輩呼びを崩さない俺に普段なら寂しそうな顔を見せるはずの夕貴が、なぜかその時はむくれて俺に強く出てきた。
「のんちゃんがそんなだから、心配なんじゃない!」
珍しいな、夕貴がこんなに心配するなんて。
何となくそんな疑問を脳内に浮かべるも、次の夕貴の一言でそれが思いっきり吹っ飛んでしまった。
「……ねえ、心配だから、シャワー浴びるの手伝ってあげようか?」
「え゛」
冗談で言っているふうではない。大真面目にそんなことを提案してきたら、俺の顔もへのへのもへじ並みに変化するってもんだ。
「な、な、なに言ってんだよ!」
「別にいいじゃない。小さい頃は一緒にお風呂入ったこともあるんだし」
「え゛」
しまいには俺から表情が消える事実を告げられた。まったく記憶にない。あるわけがない。愛美と一緒に風呂に入った記憶すら残ってないのに。
「……記憶にないんだけど。いつの話?」
「え? ええと……私が小学校に上がる前だから、五~六歳のころだったかな」
「…………」
もう十年以上前じゃねえか。憶えてるわけがないといえば当然なのだが、それでもなぜ憶えていなかったのかと後悔しきりである。
ダンジテオレハロリコンデハナイヨー。
というかですね、あの、夕貴さん。もう十年以上経ってるんですけど、なんでその時とおんなじ状況で物事考えるんですか?
それとも俺に対しての認識なんて、十年前から全く変わってないわけですか?
思わずそんなことを言いたくなった。だいたいが呆れて、だ。
「……まさか、のんちゃん、憶えてないの?」
「……すいません」
なぜか謝罪してしまう俺。誰に対して、というわけでもなく。しいて言うなら俺の脳細胞にだ。
「ええ……私は忘れてないのに……」
そして残念そうに糾弾してくる夕貴。
だからもう訳が分からないよ。一緒に風呂に入ったことが大事な思い出なんすかね、夕貴にとっては。
記憶にないことを何とかしようとしても無理。つまり、夕貴に訊かねば解決不可能。よし、尋ねよう。
「なんでそんなこと憶えてるの……?」
「だって、のんちゃん、一緒にお風呂入ったとき、私のおへその下に興味津々で」
「……え゛?」
おへその下、という不穏さ満点の単語を淡々としゃべりだす夕貴、瞬時に凍り付く俺。ふたりの間の温度差が激しくなった。
「やたらと『ぼくのと全然ちがーう! どうして? ゆーきちゃんのここ、どうなってるの?』って、まじまじと……」
「わーーーーーーっ! タンマタンマ!」
俺の体中に、違う意味で汗が噴き出した。訊かずに流すべきだった。つーか『タンマ』なんて何年ぶりに使った言葉だろうか。……まあそれはわりとどうでもいい。
十年以上前とはいえ、そんなうらやまけしからんことをやっていたのか俺は! なんで記憶に残ってないんだよ! 今からでも遅くない、がんばれ、俺の脳細胞!
……………………
うん、無理。出てくるのは妄想のみだったわ。妄想の中ですら夕貴を穢した気がして、申し訳なさの加速が止まらない。
「……ごめん、なさい……」
「まあ、憶えてなくても仕方ないよね。記憶に残らないくらい昔のことだし」
「…………」
あのですね、憶えてないことを謝罪したわけじゃないんですが。俺が真っ赤なのに、なぜ夕貴はきょとんとしたまま平静を保ってるのだろう。
ある意味、夕貴の純潔を奪ったに等しい行為だというのに。
――――なんて、考えるまでもなかった。
今までのやりとりからも明らかだ。きっと夕貴にとっては、俺はどこまでも弟なのだろう。
そんな結論に至ると、急激に恥ずかしさや申し訳なさも薄れてくる。冷静さを取り戻した俺は、夕貴に話の舵を取られないよう、きわめて不機嫌そうに言い放った。
「とにかく、大丈夫。夕貴先輩が心配することは何もないから。俺ももう高校二年生だから、ちゃんと朝は一人で起きれるし、自分のことは自分でできる。昔とは、違うんだ」
特に、語尾を強調した。それまで過保護な姉モードだった夕貴の表情が、来た時よりも暗く濁る。
でも、俺は怯まない。――――だから。
「だから、夕貴先輩は、俺にかまわず自分のやりたいことをやってくれ。俺を守る必要なんてない。俺のために、自分を犠牲になんて、しなくていいんだ。自分のことだけ、考えていればいいんだ」
そう、これは、俺の本心。
俺のために、美術部の中に俺の居場所を作ろうとしなくていい。
俺のために、他人を敵に回してしまうことなんて、しなくていい。
俺のために、自分の恋心を我慢することなんて、しなくていいんだ。
しなくて……いいんだ。
よかったな。夕貴が抱えていたお荷物が、ひとつ減って。
きっと、明日からは、夕貴にとって、今までよりも充実した部活動の日々が待っているはずだ。
……なのに。
なのになんで、夕貴は――――涙を流しているんだよ。
号泣する夕貴の姿に俺が固まる。
目の下を右手で押さえながら、俺がいる方とは反対側へと駆け出してドアも閉めずに去って行く夕貴の姿は、今の発言を後悔させるのにじゅうぶんすぎるほどだった。
「……約束、守れなくて、ごめん……」
きょうのことに対する謝罪をいまさら俺がしたところで、それが届くわけがなかった。
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