嬉しさとみじめさ
今日も、新しい朝がやってきた。
そしてまたまた、登校中に夕貴と遭遇してしまう。
「おはよう、のんちゃん」
「……おはよう」
なぜ、いままでうまくいっていた遭遇回避が、ここのところよく失敗してしまうのか。
「待ってたよ。……あのね、のんちゃんにお願いがあるの」
と思ったら、今日は夕貴の待ち伏せらしい。
「……珍しいね。なに?」
いつもは頼られることに嬉しさを感じる夕貴だ、他人に――特に俺に、お願いをしてくるなんてレアケースである。
内容を聞いてみないとわからないと思い、詳細を尋ねてみると。
「うん、あのね、今日の放課後空いてるかな? 部の画材購入をしたいんだけど人手が足りなくてね。手伝ってほしいんだ」
「……ああ、そういうこと」
俺の少しの期待は裏切られた。当然といえば当然なのだが。
「別にいいけど……し」
「し?」
「……なんでもない」
承諾の後に続くはずの、『渋谷先輩と一緒に行けばいいのに』という言葉は飲み込んだ。
「……なら、今日は美術部に来てね。ありがとう」
そのセリフに、俺は無言で頷く。それを確認し、夕貴はくるっと前を向いて歩き出す。いつも通りに歩の速度を緩めながら。
俺は今朝も横に並ぶことは避けた。だが夕貴は、学校へ着くまでずっとゆっくり歩いていたのだ。
……おかげで遅刻しそうになった。
―・―・―・―・―・―・―
そしてあっという間に放課後。あまり気乗りはしないが、夕貴との約束を破るわけにはいかない。
俺はあまり軽くない足取りで、美術部室まで向かう。
そして部室の前でドアを開けようとすると、中から話し声が聞こえてきた。
『……ふーん、じゃあ今日は岸川君と買い出しに行くわけね』
『うん。たまには部のために貢献してもらわないとね、なんて。わざわざ来てくれたのにごめんね、美春』
この声は……どうやら中には、夕貴と、美術部副部長である
『別にいいよ、ほかの人が行ってくれるなら。でもさ、夕貴』
『ん、どうかしたの?』
『岸川君ってさ、夕貴とどういう関係なの?』
ドアを開けて部室に入ろうとした俺を、美春先輩のその言葉が止めた。
『どういう関係って……幼なじみだけど』
『そうなの? でも、岸川君が入部した去年の六月からさ、なーんか、部の様子がおかしくなった気がして』
『……なんで?』
『だって、夕貴と渋谷君なんて、一年の時ほんと仲良かったじゃない。いつくっつくんだろうとまわりは思ってたんだけどさ』
『…………』
『なんとなくだけど、岸川君が入部してから、渋谷君の様子がおかしくなったんだよね。まるで岸川君に遠慮しているような』
『……気のせい、だと思うけど』
『そう思ってるのは私だけじゃないよ。夕貴だって、渋谷君のことが好きなんでしょ?』
美春先輩のそんな言葉を聞いてしまっては、もう俺は部室内には入れない。今の俺にできることは、ただ中で交わされている会話を盗み聞きするだけだ。
『!! ……なんでそんなことを訊いてくるの?』
『だからさ、渋谷君が夕貴に対して遠慮してる理由が、幼なじみの岸川君のせいだとしたらさ』
『…………えっ?』
『岸川君、絵なんか描かないんだし、そんな強引に岸川君を美術部に参加させなくてもいいんじゃないかな、って』
『…………そんな』
『そうすれば、岸川君の邪魔も入らないから、夕貴だって渋谷君と彼氏彼女になれるかもしれないし』
『…………』
『どのみち岸川君なんて、廃部にならないように籍だけおいてくれれば、どうでもいい人じゃない』
俺は、美春先輩と夕貴の会話内容に、つい達観したような苦笑いを浮かべてしまう。
最近、華子と一緒で考える機会も減っていたが、忘れるわけがない。
――――俺は、誰にも必要とされていない、そのことを。
視界がなぜかぼやけはじめ、部室に入らずに引き返そうとしたその時。
『美春!』
怒気を孕んだ、夕貴の大きな声が聞こえた。
『それ以上言うと、いくら美春でも、怒るよ?』
『……夕貴……』
『美春は、のんちゃんのこと、どれだけ知ってるの? 繊細で、思いやりがあって、いつもまわりに気を遣って、とても心の優しい、のんちゃんのことを』
『…………』
『わたしにとって、のんちゃんは大事な大事な幼なじみなの。嬉しいことも楽しいことも、悲しいこともつらいことも、一緒に経験したの』
『…………』
『誰かと比べられないくらい大事なわたしの幼なじみを、よく知りもしないくせに、そんなふうに言わないで』
『……ごめん、なさい……』
夕貴に対して完全に迫力負けをした美春先輩。謝罪の言葉も勢いがない。
そして俺は、先ほどとは違う感情で目が潤んで、瞼を閉じずにいられなくなった。
――――ちくしょう。
人には見せられないこの姿。俺は制服の袖で目をぬぐい、美術部室に入るのを完全にあきらめて帰宅することにした。
校門を出てから、夕貴にメッセージを送る。『ごめん、今日は買い出しにつきあえません。美春先輩と行ってください』と。
こんな状態では、とてもじゃないが夕貴と顔を合わせられない。
――――誰かと比べられない、か。
それが単なるごまかしだとしても、俺はそのひとことで救われ、そしてみじめになる。
誰かと比べるまでもなく、一番の存在ではないということだから。
俺は帰宅して早々、スマホを放り投げ、ベッドに制服のまま突っ伏した。
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