ベン・トーの悲劇

「……のんちゃん、おはよう」


 明けた日の朝。登校途中で、たまたま夕貴と遭遇した。


 ――――なんでわざわざ時間を遅くずらしているというのに、遭遇してしまうのだろうか。


「……おはよう、先輩」


 最近は、俺が『先輩』と呼ぶたびに、寂しそうな笑みを浮かべるようになった夕貴。


 先に行く夕貴は、相変わらず俺に会うと歩の速度を緩めてくる。それは姉としての矜持なのだろうか。俺が隣に並ぶことはないのに。


「…………」

「…………」


 いつもだったら、このまま言葉少なに学校まで到着するのが当たり前である。

 が、新入生が入ってくるこの季節のせいか、勧誘日の時と同じように、夕貴がわざわざ後ろを振り向いて話しかけてくるのだった。


「……のんちゃん、昨日部活に来なかったから、結城さんが寂しそうにしていたよ」

「…………」

「借りてきた猫のようにおとなしくて、初日と比べて拍子抜けしちゃったくらい」

「…………」


 寂しそう? 借りてきた猫? おとなしい?


 人違いじゃないよな。少なくとも昨日の華子は、出会った時と変わらないけたたましさを醸し出していた気がするんだけど。犬みたいになついてきながら。


 そんなふうに思った俺であるが、口には出さない。夕貴は前に向き直り、歩きながら話をつづけた。


「ふふっ。のんちゃん、なつかれてるね、結城さんに」

「…………」

「なんとなくだけど、時が戻ったみたいに、感じない?」

「!」

「不思議な感覚、だよね。……私にもなついてくれないかなあ、結城さん」


 思うことは一緒、か。不思議な感覚の正体に、夕貴も気づいたんだな。


 ――――時が戻ったみたい、か。本当にそうなったらいいのに。そうすれば、夕貴にも、そして愛美にも……


 俺は結局、その登校時間に夕貴に対して言葉を発することは、なかった。


―・―・―・―・―・―・―


 昼休みの購買部せんじょう


 争いは何も生み出さない、至言だ。ゆえに、俺はターゲットを、サンドイッチからおにぎりに切り替えた。

 梅干しと昆布の二つをかろうじてゲットする。買えただけで勝ちである、味はこだわらないことにしよう。


 とらえ方次第で、人は勝ち組にも負け犬にもなれる。

 人気のない裏庭へ移動してから俺はそのように割り切り、必死で自分を納得させようとしていると、突然視界が暗転した。


「だーれだ?」


 声色を無理して変えてはいるが、ややアニメ声の入ったそれはすぐわかる。しかも、高校でボッチ街道まっしぐらの俺にこんなことをしてくるような相手は、ひとりしかいない。言っててむなしくなるが。


 押し当てられているのは、割と柔らかくて暖かい手だ。うん、手だけはミスラン三ツ星やれるぞ。ただな……


「おまえ、身体押し付けてくるなよ。当たってるぞ、何かが」


 身長差があるためだろう、前のめりになって無理矢理俺の目を隠しているせいで、柔らかいものまでもが押し当てられる状態になっている。


「そんなことはどうでもいいんです。だーれだ?」

「ぱんつを見られても動じないビッチな一年生」


 おっぱいを当てても気にしないビッチな一年生、でも正解だな、この場合。そんなことどうでもいい、と言い切るあたりやはりビッチだ。


「固有名詞を言ってくださいよ!」


 じれたように叫ぶ女生徒A。粘るな。そんなに名前を呼ばれたいのだろうか。じゃあお望みどおりに。


「結城さん」

「な・ま・え!」

「……華子」


 そこまで言ってようやく俺の視界が戻った。

 ひとこと文句を言ってやろうと後ろを振り向くと、なぜか満面の笑みを浮かべている華子がいたので、毒気を抜かれてしまう。


「えへへ、当たりです。一度やってみたかったんです、これ。ちょうど昇降口で先輩を見かけたので、あとをつけちゃいました」

「……小学生か」

「やってみたいことをやらないのなんて、後悔しか生みださないと思いますけど?」

「……あ、そ」


 こんな発言で説教などされてられるか。今は戦利品のおにぎりを食すことに全神経を集中したい俺は、おざなりに華子の発言を流して、裏庭の花壇のブロック縁に座った。


「よっこらせ、っと」


 掛け声をあげながら、遅れて華子も隣に座る。何だか年寄り臭い座り方だ。


「いちいち座るときに掛け声出すなよ、まだ高校一年生だろ、おまえ」

「あ、お気に召しませんでしたか? じゃあ、やり直します」

「……いや、そんな必要ないけど」


 ツッコミを食らい何を思ったのか理解できないが、俺のストップも聞かずにそう言い切った華子は再び立ち上がり、改めて座るときに違う掛け声を発した。


「よっこらせっく」

「おまえ、JK気取った何か違う生き物だろ! それ以上言わせねえぞ!」


 裏庭で力の限り叫ぶ俺。近くに人がいなくて助かった。


 うまく説明できないが、こいつの下品さはビッチであることとは違う理由から来てるのではなかろうか、そんな気がする。


「先輩、昼休みなのにテンション高いですね。落ち着いてご飯にしましょうよ」

「無駄にあおってるのはどこのどいつだ……って、ご飯? なに、おまえもここで食べるの?」

「そのつもりでなければ、ここには来ませんよ?」


 そう言った華子が、肩にかけていたバッグから弁当箱を取り出し、膝の上にそれを広げた。


「……まあ、おまえがそれでいいならいいんだけど」

「はい。まだ一緒にお弁当食べるほど仲のいい友達もいないので。外で一人寂しく食べようかと思ってました」

「……そうなの? 中学校の時の友達とかは?」


 これだけ人懐っこい華子に、まだ仲のいい友達がいない、というのもおかしな話だ。ゆえに、おにぎりを食しながらそんなことを尋ねたわけだが。


「わたし、T県から引っ越してきたばかりなので、知り合いがいないんです」

「へっ? それは初耳だ」

「言ってませんし。この高校は、引っ越す前に下調べしてました。受かってよかったです、引っ越してきたことが無駄になりませんでしたから」

「……無駄?」

「あ、なんでもないです。高校くらいは、好きなところに通いたかっただけで」


 華子が舌を出す。こいつとの会話は、毎回意思の疎通という面で不合格な場合が多いが、今回の会話は何やらもっと深いところでの食い違いなように感じてしまう。


 ……まあ、気のせいだよな。

 おにぎりを二個食べ終わった俺は、何も考えずに軽く質問を華子にしてみた。


「なんで黎明高校に通いたかったんだ?」

「先輩がいたからです」


 そう即答する華子。この回答はツッコミをしなさい、という意思表示に思えた。


「うそつけ。会ったのはおとといが初めてじゃねえか」

「会ったのは初めてでしたけど、延樹先輩の存在は知ってましたよ?」

「ほえ?」


 なんでだ、なんで俺の存在を知っている。俺って実は有名人だったのか、イケメンで成績優秀でスポーツ万能とか……


「あ、安心してくださいね? 先輩がイケメンで成績優秀でスポーツ万能だから有名だった、とかではないですから。全然」


 ぐはっ。先手打たれた。妄想選択の自由すらない。


「……じゃあ、会ったこともないのになんで俺の名前を知ってるんだ。実は夢で……」

「それ言っちゃうと、絶対関係者に怒られますからやめましょう。美術監督さんにしばかれますよ?」

「メタ発言やめような。じゃないならば……実は昔、幼なじみだったとか……は、ないな」


 俺の名前を知っている可能性であと残されているとすれば、実は昔知り合いだった、ということぐらいだが。

 幼なじみに関しては夕貴以外に仲良かったのはいないし、一つ下だというならば余計に知るわけもない。


 ――――いや、俺の知り合いとは限らない。年齢的なものを考えれば、ひょっとして――――


「……まさか、愛美の知り合い、か……?」


 俺が至ったその回答を耳にすると、華子は一瞬ピクッとリボンを動かし、スローモーションで俺へと視線の先を向けた。


「……まあ、そんなところ、です」

「……そっか」


 不自然な笑顔でそう言ってくる華子に対して、俺は嘘の気配を感じたが、それが何やら触れてはいけないことのように思えて、それ以上突っ込むのはやめた。


「だから、延樹先輩のことは、誰よりも知っているんですよ。……はい、あーん」

「……あ?」


 突然脈絡もなく、華子が膝の上に広げたお弁当のウインナーを箸でつまんで、俺のほうへと差し出してくる。


「あ、じゃありません。高校生男子ならだれもが憧れる、美少女からのお弁当おかずあーん、です。はい、どうぞ」

「なんだそりゃ。いらん」


 自分のことを美少女と言い切る華子に対して癪に思ったのと、気恥ずかしさも手伝って、俺は応じなかった。


「ええい、往生際が悪いですね。この機を逃したら二度とないかもしれない、おいしいシチュですよ?」

「余計なお世話だ!」


 ぐいぐいと箸を押し付けてくる華子から逃れようと、俺は腰を浮かせる。するとそれに合わせて華子も腰を浮かせ……結果。


 ガシャーン。


「「……あっ」」


 膝の上に置かれた華子の弁当が、哀れにもひっくり返って地面の上に転落した。


「…………」

「…………」


 華子が瞬時に固まる。唯一無事だった、華子の箸によってつままれたウインナーすらも、少し間をおいてポトリと落ちた。お弁当全滅の瞬間だ。


「……まあ、その、なんだ、えーと、……すまん」


 俺が悪いわけではないと思うのだが……いや、MN5(マジでなきだすごびょうまえ)な華子の表情をみると、100%俺が悪いという気になってきたので、謝罪の言葉が無意識に口から出てきた。


「……ふ、ふぇぇぇぇぇぇ……」


 が、俺の謝罪の言葉がきっかけとなり、華子の目から大粒の涙が流れだす。それは昼休み終了五分前を知らせるチャイムが鳴るまで止まらなかった。

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