阿片(終)

 アントンは、この状況をどうしようかと考えていた。

 エドワードを生かして帰すわけにはいかない。死なせて帰すか、生かして帰さずか、最低でもそのどちらかをやらないといけなかった。生きて帰せば、間違いなくイギリスが、清に文句をつけるだろう。タイムズの方はもう仕方が無い。勝手に書かせればいい。

 それよりも、王がこれからどうエドワードを調理するかが気になった。

「どうこいつを処理するんだ」

「阿片」

王が言い終わる前に、エドワードが叫んだ。

「私はタイムズに保険をかけてある。ここで、私が帰らなければ、タイムズの社長がホイッグ党党首のグラッドストーンに私がアントンと王に殺されたと報告することになる!」

 王は、興味がなさそうな顔をしている。

「グラッドストーンって、誰だ?」、王は言った。

「イギリス帝国議会で、保守党のメルバーン子爵首相についで、最も力がある男だ。しかも、無駄な正義感を持ってる。こいつを怒らせたら、貿易はまずいことになる」、アントンは商売の撤退を考えていた。始末を着けるには、少し話が大きくなりすぎていた。

「ふうん。それだけか。阿片は清の皇族も皆使っている。阿片を止める気かね?ミスター・エドワード」

「そうだ。こんなことは間違っている。我がイギリスの国旗に、未来永劫泥を塗ることになる!」

「なにが間違ってる?我々漢人としては、満州族の帝国が滅びていく様を見るのは心地がいいことだ。そして、誰もが阿片を使いたがっている。それに、もうイギリスはインドも、中東も、アフリカも、アジアも征服しているだろう。なぜ征服したところから奪うことを、罪に感じる?戦利品よ。どうしたって構わない。たとえ皆殺しにしようともね」

「あなたは、それでも政治家か!」

「もちろん。そのためになった。阿片は止められないよ、誰も」

政治談義よりも、始末をつけなければならない。

「どうでもいい話は終わりだ。こいつをどうする」

「そこに女がいる。清でたぶん、皇帝の女じゃなければ、一番高くて上手い売春婦ね。そいつが今からこいつの面倒を見るね。それで、阿片狂いにさせて、タイムズに報告させればいい。阿片の丸薬はある?」

「もちろんある」

「もう、阿片を吸わせて、秘薬も飲ませてある。これでもう逃れられない」

 アントンは阿片の丸薬をまた大量に渡した。王が、なにか挽きつぶす物で丸薬を挽きつぶし、何かよくわからない粉と混ぜ合わせていた。

「殺すなよ。量が多すぎると死ぬかもしれない」

 王がエドワードに、薬を飲ませた。もうすでに、エドワードの抵抗する力はほとんど無かった。だいぶ薬でやられているらしい。檻の中の、全裸の女が、男の肉棒を模した器具を自分に取り付けていた。

「おい。まさか、俺はこれを見なきゃならないのか?男が掘られる姿なんぞ見たくもない」

「見ろ。翡翠の分だ。あれがいくらだと思っている。白人達は、翡翠や玉の価値をわかっていない。あれは中国で最も値打ちのある宝石だ」

 王は熱の籠もった瞳で、それを見つめている。アントンは頭を抱えた。王の性癖にはこりごりだった。

 王は、料理の残りを食べている。残りは、ネズミの赤ん坊と、人間の肝臓のスライスだ。

 ネズミの赤ん坊がそこら中で鳴いている。王の口からネズミの鳴き声がした。

 女が男に掘られて出す声を聞き続けた後、エドワードが気絶することで一時的に声が収まった。

 女がエドワードをはたき起こして、また気絶するまで行為を続けた。

 アントンは吐き気を催した。トルコ人がギリシア人を犯していたのを見たことがある。男同士だ。そのときは衝動のままに、二人まとめてマスケットの銃床で殴り殺した。頭蓋骨がぱっくりと割れて、頭が柔らかくなっていた。

 アントンは男の裸を見るとどうしようもない嫌悪感と吐き気に襲われる体質だった。

 だから、戦争を思い出して、吐き気をこらえたが、ついに吐瀉した。

 吐瀉物の中に、鼠の手足や頭、猿の脳の破片が混ざっている。人間の肝臓と肩の肉の破片もだ。

「まだまだだ。このエドワードの頭が完全にどうにかなってしまうまで、続けるね」

 その後、十時間以上にわたるそれを見せ続けられていた。適宜阿片が追加されている。

 王はヨーロッパから仕入れたワインを飲んで、くつろいでいる。アントンは白湯を飲んで、吐き気を抑えていた。

 エドワードがついにどうにかなってしまうと、ようやく王は立ち上がった。

「もう、これで終わりね。たぶん、エドワードは言うとおりの報告を書くでしょう。帰っていいよ。また、仲良く商売しましょう」

「くそったれ。頼まれようと、もう二度と見ないぜ」

 王は笑った。アントンは、港へ戻った。

 しばらくは、この王の所には顔を出さないようにする。

 それに、東南アジア、インド、トルコでの販路を開拓する必要があった。清を失った後は、三角貿易ではなく、道のように行ったり来たりさせる販路が必要だ。今まではコルカタとシンガポールをつなぎ、シンガポールと清、長崎の地点で回せば良かったが、トルコに阿片を輸出するために、インド西部の港の連中を使う必要が出てきた。

 だが、違和感に気づいた。さっきまで吐き気に襲われていて気づかなかったが、これは阿片を混ぜられていた。もしかすると、他の物も混ぜられていたら、死ぬかもしれない。

 あの野郎。俺を阿片漬けにするつもりだったらしい。

 部下に命令した。

「殺しの準備と船を出す準備をしろ。俺がもし毒で死んだら、王のクソ野郎を撃ち殺して工場を焼き、清から撤退してその分はトルコで捌け。インド西部の港を使ってトルコに運べ」

 ギリシア独立戦争の時の仲間、英国てき弾兵、世界中の犯罪者、シパーヒーやイェニチェリをやめた連中で構成された部下は全員、マスケットのライフルや銃剣、ピストル、サーベル、短剣で武装した。だが、結局アントンは死ななかった。阿片を混ぜられていただけだったらしい。

 それからというものの、阿片の禁断症状にたびたび襲われることになったが、なんとか耐えた。

 アントンは数ヶ月後、王に会ったときに、王を殴りつけたが、王は上機嫌だった。

 エドワードを王のお気に入りの男娼にしたからだ。

 エドワードは阿片とセックス中毒になり、タイムズへ都合のいい報告と、記事を書いた。タイムズの社長とグラッドストンは、それを見て一時的に安心した。

 そのうちに、王の男娼として扱われるようになったが、快楽の虜になったエドワードは、それで満足していた。むしろ、それ以上の幸福を見いだせないほどだった。

 エドワードの記事はイギリス本国で人気となり、清への滞在記事を持つようになった。ありもしない作り話だけだ。なぜなら、エドワードは王の屋敷からは出られなかったし、出なかったからだ。そのうちに、頭がやられて、王の部下が代筆するようになり、最後は阿片に体を蝕まれて死んだ。

 結局、エドワードが記事を取り繕っても、グラッドストンは別ルートの情報で阿片を憎んだし、清とイギリスの戦争は起こった。皇帝が直接抜擢した、林則徐の取り締まりを止められる物はいない。

 王は林則徐に目をつけられ、アジアのどこかへ金銀財宝を持って消えた。

 林則徐を止めたのはイギリスの砲撃だ。北京は英仏に焼かれた。阿片を売りたがっていたのはアントンだけではなくイギリスもだった。グラッドストンの反阿片戦争の演説はなんの意味もなさなかった。イギリス人が何人か拷問されて殺されたのもあるし、阿片なしではイギリスからの銀流出を止められない。

 より阿片は清を強く蝕んだ。誰も止められなかった。

 アントンは、アヘン戦争の後、阿片をより沢山売った。トルコへの販路も確保していたので、トルコから日本まで続くコネクションが出来ていた。

 アントンは、ヨーロッパに帰り、貴族の社交界へ入ろうとした。もうアジアを離れ、ヨーロッパから指揮する立場になっていた。米墨戦争の後、カリフォルニアの金鉱に投資した。ヨーロッパの貴族達に、阿片を流行らせようとしたが、もう阿片の害は知られていて、阿片による支配は難しかった。だが、少しは効いた。イギリスの上流階級の女を、阿片で手籠めにして、少しずつ成り上がっていった。アントンは、アメリカにも手を伸ばし、ヨーロッパで上流階級を支配し、スエズより東全てを手に入れようとしていた。

 だが、そこが頂点だった。

 アントンは清での市場拡大の調査の際に、太平天国の乱に巻き込まれ、死亡した。

最後は逃げている最中に、農民に後ろから大鎌で斬り殺された。胴が真っ二つになるほどだったらしい。昔とは違い、でっぷりと太った体では、走ることすら困難だった。

 イギリスの名士。19世紀最高の詩人バイロンの最期を見届けた者。バイロンの遺志を継ぎ、ギリシア解放に尽力した者。清の救世主。ヨーロッパの貴族達は、彼の死を惜しんだ。いろいろな呼び名があったが、アントンはただの麻薬商人だった。

 阿片は麻薬だった。

 だが、それは阿片だけが麻薬という訳ではなかった。

 阿片を巡る全てが麻薬だったのだ。金、戦争、地位、名誉。アントンは阿片をやることはなかったが、その麻薬に嵌まっていた。

 阿片は五千年の長きにも渡って、人類を蝕んでいる。

 全てが阿片だ。

 永遠に、誰も逃れることは出来ないだろう。

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