黒い塔


「っていうかさ、お前。僕なしで、このパソコンだけ持って行って、どうやって解決するつもりだったのさ」

「いや~、そこは、何とかなるかなって。ほら、ハッキングの知識の大本ってワタシだからさ」

「そうだとしても、知恵とか経験値とかが無いだろうよ」

「それは……確かに」


 でさ、と真理が申し訳なさそうに言う。

「それ、何とかなりそう……?」

 自分が持ち出したパソコンを再セッティングしている宗助に、真理は心配そうに視線を落とす。

「なんとかなるよ、これくらい」

 外れたケーブルをもう一度つなぎなおしながら、宗助はそう言った。


 時刻はすでに夜。0時を回ろうとしているころ合いで、夕食を済ませた二人は、そのまま宗助の部屋で、パソコンの再セッティングを行っていたのだった。


「よし、これで元通り」

 コキコキと首を鳴らしながら宗助が言う。

 机の上には昨晩と同じようにパソコンが置かれていた。

 電源を入れて正しく起動することを確認する。

 程なくしてディスプレイに明かりがともる。

「もう、仕掛けちゃうの?」

 後ろで作業を見ていた真理が言う。

「あぁ」

 机の前に座る。


 手紙を思い出す。

 夢女の事を思い出す。

 雅の事を思い出す。

 母との思い出。

 避けていた父親。

 母の願い。

 父の理想。

 

 きっと今は良くない方向に話は向かっていて、それを全部知っているのは自分と真理だけで、止められるのも自分たちだけなのだろう。

 もしかしたら真理が言っていたように、もっとふさわしい組織なり機関が動いているのかもしれない。でも、そんな存在は今は知らない。

 学校のクラスメイトは行方不明になって、幼馴染も連れていかれそうになった。

 放っておいたら、今度こそ失ってしまうかもしれない。

 今ここで動いておけば、それを防げるかもしれない。


 深呼吸をしてから、宗助は真理に答える。

「後で後悔したくない」

 そう言って、プログラムを起動させた。


 アンシャルの役員のアカウントのパソコンをハッキングする。

 ネットの接続履歴をたどり、それらしいものを探す。

 目当てのものはすぐに見つかった。

「アノマリー候補管理……」

 そのページ名をぽつりとつぶやいて、宗助はそのページを開く。

 次のページはリストだった。顔写真と共に、何人もの人間の名前や年齢、性別が五十音順に並んでいる。ただ、その顔写真はグレーアウトしていた。

「――夢女にさらわれた人たちのリストだよ」

 真理が言った。

「ほら、この子、見覚えあるでしょ」

 これ、と雅がディスプレイの一か所を指さす。

 そこに表示されていたのは、行方不明扱いの杉本だった。

 しかし、その写真も何故かグレーアウトしている。

 よく見ると、リストの『状態』という項目が『破棄』となっていた。


「――これってどういうことだよ」

 破棄とは、つまり、どういうことなのか――。

 宗助は思考を巡らせたが、やはりどう転んでもあまり気持ちのいい結論は出なかった。

「――これ五十音順だよね。更新日順か状態順にすれば、まだ助けられる人がいるかもしれない」

 背後の真理がそう言って、リスト上部のソートボタンを指さした。

 言われるままにカーソルを動かして、表示順を更新日順に変更する。

 

 画面が切り替わり、左上の真新しい人物の項目以外、顔写真がグレーアウトした画面になった。左上の人物の状態は『回収済み』となっており、写真もきちんと写っていた。

 だから、この写真の人物――少女は生きているということだった。

 今は、まだ。


「風許……雅」

 震える声で宗助はその写真の少女の名をつぶやいた。


◆◆◆


「急がないとマズイ感じだね、これは」

 自転車をこぎながら真理が言う。

 宗助は後ろに座って、真理の細い腰に腕を回してしがみついていた。二人乗りの自転車が深夜の街を駆けていく。


 夜の匂い。

 生暖かい夜風。

 静けさに包まれた住宅街。

 風にかき消されぬように張り上げた二人の声だけが、辺りに響く。


「キミより体力はあるつもりだけど、場所が分からない。次はどっちに行けばいい!?」

「突き当りを右だ!」

「了解だ!」


 真理の足は止まらない。人間であればとっくに止めているであろう足を、彼女はそれを超えて動かし続けている。彼女は人間ではないからだ。

 夜の闇の向こうにぼんやりと、あるビルが見えてきた。

 この街の中央に近い場所にそびえ立つそれは、アンシャルのビルだった。


「あれだ!」

「見えたのなら話は早い。あれを目指せばいいだけだね」

「そうだ! でも、いきなり突っ込むなよ、少し手前で止まってくれ、まずは僕が扉を開ける」

「わかった!」

 真理の足がいっそう回る。

 二人を乗せた自転車は、ただひたすらに、その塔に向かって進み続ける。


 しばらく街を進み、アンシャルのビルを殆ど目の前に捉えたところで、二人を乗せた自転車は停止した。

 そこはアンシャル社の正面玄関だった。

 十二階建てのビルには、今はどの階にも明かりはついておらず、ただ不気味にそこにあるだけだった。

 透明な材質で出来た正面玄関の向こうに明かりは無く、人の気配もない。

 だが――この中に何かが居るのだ。

 この街で起きた行方不明事件。

 夢女。アノマリー。

 それらの全ての元凶がこの中に。

 宗助は真理と共に立ち、玄関を正面に見据える。


「――さぁ、心の準備はいいかい?」

「あぁ。覚悟は決まったさ」


 夜風が頬を撫でる。

 暗闇しかないその塔の入り口を見やる。

 ここに悪いやつがいる。自分はそれを倒さなくてはならない。

 今より決戦の時だ。

 

 けれど、その事実を前にして、言っておかなければならないことがある。


「真理」

 宗助が真理の名を呼ぶ。

 下の名を呼ぶ宗助に、やや驚いた様子で真理が「ん?」と見返す。


「お前、前に終わったら死ぬって言ってたけど」

「あぁ、言ってたね」

「それって、絶対なのか」

「んー。あんまり言っちゃダメなんだけどね。実際は自己終了か、彼岸の向こうにいる仲間に消してもらうか、だね。役目が終わったら勝手に死ぬ、みたいな都合の良い体じゃないんだ、これ」

「そっか」

「なに、同情してくれてるのかい?」

「違うよ」


 目を閉じる。この僅か数日の日々が瞼の裏に映る。

 ほとんど真理に振り回されっぱなしだったが、しかしそれでも――。


「もっともっと、お前と一緒に遊ぶって決めただけだ」

 真理のほうを見やる。

 彼女は困ったように目を伏せて笑っていた。

「そうかい」

 やがて真理が顔を上げる。

「もうすぐ夏休みだしね……。なら、さっさとこの宿題を片付けちゃうとしようか」

「あぁ。宿題は先に終わらせておくタイプなんだよ、僕は」

 二人が歩き出す。

 道を阻む玄関の透明の扉は、宗助がスマートフォンを片手で操作すると、たやすく開かれた。

 

 少年と少女。


 二人の姿が、夜の闇に抱かれた黒い塔の中へと消えていく。

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