エレベーター


「誰もいない」

 アンシャル社のエントランスに入り、周囲を見渡した真理がそう呟いた。

 建物の明かりは消えて暗く。

 視界に映るのは暗闇の中に見える無人の受付と、奥のエレベーター。そして、吹き抜けになっている二階。

 深夜なので人はおらず、明かりも無いが――しかし。

 

 宗助はついさっきハッキングしたアンシャル社の情報を思い返す。

 ふと足元を見る。

 公表はされていないが、この建物には地下がある。

 公表されていない、とはそういう事で、つまりそこに『研究施設』があるということだ。


 ありふれた、どこにでもあるような会社のロビーだというのに、そうしたことを踏まえると、しかし、ここはどうしようもなく気味が悪い所だった。

 人がいないのも、時間帯によるものではなく、何らかの力で排除されているようにすら感じた。


「行き方は――わかる?」

 横の真理がちらと宗助のほうを見て言う。

「あぁ。こっちだ」

 と奥のエレベーターへと歩き出す。

 ボタンを押して扉を開き、中に入り込む。

 そして、そのまま進んで、壁に手を這わせる。

 わずかな溝を見つけて、そこで動きを止める。

「そこに何かあるの?」

 そんな宗助の動きをいぶかしんだ真理が、背後から声をかけた。

「地下施設への入り口を見つけたんだ」

 ほら、ここと、自分が見つけた溝を指さす宗助。

「何それ」

「カードリーダーだよ。たぶん通常のスタッフは、ここに自分のカードを通して、地下に行ってるんだ」

「キミ、カード持ってるの?」

「さすがにそこまでは用意出来なかったよ。でも、ここにそういう機械があるってことは――」

「あぁ、そいつをハッキングしちゃえばいいのか」

「そういうこと。メンテナンスもするはずだから、どこかに機械を引っ張り出せる蓋か何かがあるはずなんだけど」


「――ふむ、分かった」

 そう言うやいなや、真理は自分の右手を宗助が調べているあたりの壁に当てた。

「何するつもりだ」

「――『手』を貸してあげるって言ってるんだ」

 

 それは一瞬の出来事だった。

 真理の右手が突如として液体に代わり、壁一面に広がっていく。

 十秒とかからず、肌色の液体がエレベーターの壁を覆った。


「そういやお前、そういうことも出来たんだっけか」

「どんな形にも変形したり、分裂したりできるよ。知ってると思うけど」

 夢女に襲われて、真理の家で目を覚ました時のことを思い出す。

 あの時を超える衝撃は、多分自分の人生ではもう無いだろう。肌色に覆われた壁面を見つめつつ、宗助は思った。


「見つけた」

 真理のその一言と共に、肌色は彼女の右手に集約していく。

 真理が自分から見て右側の壁に目を向ける。

「そこの壁の真ん中、一番下くらいにあるよ。シールで隠されてるみたいだけど――」

 壁の一部がぺらりと剥がれて、ネジで止められたパネルが姿を現した。

「はがしといた」

「どうも」

 はがされたパネルの前に座り込む宗助。


「はいこれ、ドライバー」

「あぁ、ありが――」

 真理から手渡されたドライバーをじっと見つめる宗助。

「よく持ってきてたな、ドライバーなんて」

「――人の話、聞いてた?」

「――終わったらすぐに返す」

「お守り代わりに持っててくれてもいいのに」


 ふざけた調子の真理の声を背中で聞きながら、宗助はドライバーを回して、パネルをはがす。中から現れた制御装置に持ってきたパソコンをつなげて、扉の解除コマンドを打ち込む。

 ほどなくして、エレベーターの奥の壁が左右に開いた。

 その先にあったのは、さらに別のエレベーターだった。

 これが、地下施設へと続くエレベーターだろう。


「007みたいだ」

「キングスマンじゃなくて……?」

「そっちはまだ見てないんだよ」

 ほら、とドライバーを真理に返しながら、宗助は奥へと進む。


◆◆◆


「一つ、聞いておきたいことがあるんだけど」

 乗り込んだエレベーターが地下へと向かう途中、後ろに立つ真理が口を開いた。

「キミは――戦えるのかい?」

 真理の問いに、宗助はすぐには答えなかった。

 しばし、そこにはエレベーターの駆動音だけがあった。

「覚悟の話だって言うんなら――大丈夫だ。もし相手が父親でも、それは。っていうか父親だったとしても悪者だし、人の命を奪う犯罪者だし、あんまり話をしたこともない、ほとんど他人みたいな人だし――今は風許の命もかかってるし」


 ――そこまで言って、宗助は息を吐いた。

 口にするたび、心の中のゴミが抜け出ていくような気がした。

 それで――自分が今まで無視し続けて来た本音が顔を覗かせたような気がした。


 目の奥が熱くなった。

 喋ろうとすると声が震えた。

 それでも宗助は言うことにしたので、


「……でも、それでも僕のことちゃんと見てほしかったなぁ」


「なら、ワタシがキミを見よう」

 背後から誰かに抱きしめられた。

 真理ではなかった。首元にやわらかさを感じて、驚いて見上げる。

 そこにあったのは、どこか母に似た女性の顔だった。


「――あれ、もしかして似てない?」

「ちょっと違う――多分だけど」

「むぅ、どこが違うのかな」

 どうにか本人に似せようとする真理を見て、宗助は吹き出してしまった。

「良いんだよ、別に似てなくて。っていうか、お前のままで良いんだ」

 そうかい? と聞き返す真理に、あぁ、と宗助は返す。

 そして、ありがとうと宗助が言うと、真理はしゅるしゅると元の姿に戻った。


「ところで、さっきの話の続きってわけじゃないんだけど」

 元の姿に戻った真理が、またいつもの調子で喋り始めた。

「キミ、戦えるのかい?」

「あぁ」


「――武器は?」

「…………そっちの話?」

「そっちの話」

 しばしエレベーターの中が静寂に包まれる。

 宗助の視線は、宿題を忘れたことに関する言い訳を考える子供のように宙をさまよっていた。


「――そこは無策だったんだね」

 真理の問いに、宗助は彼女から視線を外し、それを答えとしていた。

「――無策だったんだね」

 二度目の真理の言葉に、宗助は観念したようにうなだれる。


「ほらこれ」

 真理が先ほどのドライバーを宗助に差し出す。

「これで……?」

「いいや」

 ドライバーがぐにゃりと溶けて、別の何かに代わる。

 マガジン、引き金、バレル。


「これだ」

 それは拳銃になった。

 ドラマや映画で見たソレが、宗助へと差し出されていた。


「使い方は分かるね」

「セーフティーは?」

「外してるよ。いざって時に忘れられても困るからね」

 小さく息を吸って、吐いて。

 宗助はその武器を受け取ろうと手を伸ばした。が、その拳銃がさっと逃げた。

「こんなものを渡しておいてなんだけど」

 拳銃を上にあげた真理が言った。

「もし戦闘になったとしても、基本的に戦うのはワタシだ。これは、あくまでキミの自衛用の武器だ」

「戦うんじゃないのか」

「敵から身を守るのも、戦いの内だよ。もちろん、キミの手を借りる場面も出るかもしれないけど」

「――分かった」

 今度こそ、宗助はその武器を受け取った。

 ずしりと手の中で、その重みを感じる。

 

 エレベーターの動きが止まった。

 とうとう施設についたらしかった。

 ぎゅっと抱きしめるように、その拳銃を抱え、そして降ろす。

 真理が宗助の肩をポンと叩き、そっと前に出る。

 今度は真理が宗助を先導する形になる。

 宗助は真理の背中を見つめながら、さらにその奥に意識を集中させた。


 扉がゆっくりと開かれる。

 向こうに明かりが見えた。

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