2-8 記述『ふたつの顔』

転校生ーーどこかデジャブの感じるイベントではあった。


だがそう思うのは柊と木戸だけだ。未来の柊が転校生としてこの教室に現れたことを他の者は知らない。天使によって記憶を消されているからだ。




「水城姫香です。よろしく。」


教壇に立って自己紹介する水城は普段の明るく元気な雰囲気とは一変して酷く険悪で危なっかしい雰囲気を漂わせている。




クラス中を覆う圧倒的な鬼気。クラスメイトの衝撃は想像を遥かに凌駕している。当初、男子校の転校生ということで前回と同じくさほど興味を示さなかった彼ら。しかし扉を開けて入ってきたあまりに整った顔の美少年に思わず目を見張る彼ら。そして転校生の鋭い一瞥に震え上がる彼ら。女の子みたいな名前だーーそんなことを誰もが思うが、声を上げる者はいない。一言声を発すれば殺される。そんな予感が皆を襲った。




「えーじゃあ水城は窓際の一番後ろな。」


そう呼びかけるゴリラの声が遅れたのも、水城の雰囲気に圧倒されたからだ。水城は返事もせずに歩き出す。柊の二つ後ろの席。そこへたどり着くには当然柊の横を通るーーが、水城は柊を見向きもしなかった。




(すごいな)


柊は内心感心する。彼女が組織から派遣されたプロだということは知っていた。彼女の能力を疑っていたわけではない。だが同年代ということもありいささか見くびっていた所もあったのかもしれない。だから、柊は水城の演技力に感服した。これがプロなのか。普段の彼女の面影は一切ない。そこにあるのは可憐な少女などではなくただの苛烈な少年だ。彼女が所属する組織とは一体ーー。






* * *






鋭い金属音が校庭に響き渡った。


鋭いのは音だけではない。その音の源から発せられた白い物体もまた、鋭い軌跡を描いて空へ放たれた。




「場外ホームランかよ……」


敷地の広さを売りにしている山之上高校の野球場は、公式のそれと比較して遜色ない広さを誇る。そしてその周囲には高さ20メートルはあろうかというネットが張り巡らされているわけでーー。




場外ホームランなど、普通なら起こりえない。ましてその主が小柄で華奢な少年となればなおさらである。そして驚くのはそれだけではない。普通ボールというのは放物線を描いて飛んで行く。つまりはある点を境に失速し、落下していく様が見えるものである。しかし彼ーー彼女が打ったボールは失速しなかった。まさに一直線、一次関数の如く空の彼方へ最短距離で消えていったのだ。




「ありゃ取りに行けなそうだな…」


キャッチャーをしていた天野がそう一言呟くや否や、バッターボックスに立ち尽くしていた水城は飛んだ。




そう、飛んだ。




僅かに膝を曲げ、そこからジャンプする。


それだけの動作なのに、生まれた結果は予想の遥か上を行く。


突風が生まれ、瞬きの合間に水城はその場から忽然と姿を消した。


風が上向きに吹いたことからなんとなく上を見上げた生徒らが捉えたものは。




既に広大な野球場のフェンスの外。遥か上空。


小さく見える白のボールを右手で捕らえた茶髪の少年の姿だった。




誰もが言葉を発せない。


真の驚愕の前に言葉はいらない。


そして押し寄せる感情は人を超える化け物への畏怖だった。




重力に任せて落下し、着地と同時に跳躍し、フェンスを越えて何事もなかったように水城は帰ってくる。その動作の一つ一つのスケールが非常に、異常に大きい。




「ボール。」


「あ、あぁ…」


ボールを手渡された天野が水城をタッチしてアウトを取らなかったことを誰が責められようか。そもそも皆、野球をしていたことなどとうに頭から抜け落ちている。




外野でライトを守備していた柊もまた驚きを隠せずにいた。運動が苦手なため外野、そして素人では飛ばしにくい一塁側を希望してこの位置にいた柊は、いつものようにつまらなそうな表情でバッターを眺めていた。監視役の水城がボックスに立った時も同じだ。まぁここには来ないだろう、というか来るな、取れないから。などと考えていたらコレである。ボールが上空を飛んで行ったと思えば今度は水城が追いかけて飛んで行く。そしてまた上空を戻ってくる。怪物ーー。まさに怪物だ。人の皮を被った怪物。なるほどただの監視役でもないわけだ……柊は遅れてそんなことを考えていた。






* * *






「ん〜〜!やっぱり疲れるな〜〜!」


「あぁ、お疲れ。」


その夜、柊と水城は部屋で談笑していた。談笑、といえど柊の笑顔はかなり引きつったものだったが。


「どう?ちゃんとうまくやれてたかな?」


「それ俺に聞くか?やれていたと思うぞ……明らかに普通ではなかったがな。」


「それはいいの!あんまり話しかけれれても男の子の会話とかわかんないし。下手に仲良くするとボロ出しそうじゃない?」


「いやもうすでに出してる気もするが……まぁいいや……」




可愛らしく小首を傾げる水城を見て柊は複雑な気持ちになる。


柊の前では水城は確かに女の子だ。刺々しい様子もなく、ひどく温和で明るい女の子だ。




一体どちらが本当なんだ……?




明るく優しい彼女と、冷たく辛辣な彼女。


柊は水城の屈託無い笑顔を見てどことなく恐怖を覚える。




ーー本当に、ただの演技なんだろうか。




「人は、キャラじゃないのよ。」


ふと妹の言葉が脳裏を過ぎり、ハッとする。


そうだ、人は色んな顔を持っていて当然だ。この人はこういう性格、と決めつけていてはダメだと、柚希はそう言いたかったのではないのか。




ならーー。


もしそうだと言うならーー。




人と接するというのはどんなに難しいことだろうか。


柊は小さくため息をついた。

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