1-12 記述『サヨウナラ』

柊は一人、屋上へ向かう。死体への思考を完全に遮断し、ただ無心で屋上へ足を運ぶ。

「…」

人がうっかり落ちないようにと、高さ1mほどの壁となっている屋上の端の部分に登った。壁の幅は狭い。半歩先は宙。半歩先は死。屋上から見える景色全てに、人間の死体が映る。


生温い風が柊を襲った。

柊の吐息が、風を受け止める。

たった半歩、半歩で終わる。

全てが、この悲劇が、死んで全て忘れて、なかったことになる。


眼下に広がる世界に、柊は思わず後ろへジャンプした。飛び降りたのは屋上側。尻餅をつきながら、自分の弱さを嘆いた。



ーー俺は、こんなほんの一歩すら、踏み出せないのか。



怖い。その一歩がどうしようもなく怖い。

「みんな、生き返れ。」

立ち上がってそう言うも、見える景色は変わらない。

「俺は、死ね。」

目を瞑ってそう呟くも、鼓動のリズムは変わらない。

「そうだ、時間を一時間戻せ。」

思いついた案も、変わらない景色に粉々に砕かれる。



柊は息を止め、鼻と口を両手で覆った。40秒…50秒…苦しい苦しい苦しい死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ…

しかし気がつけば柊は両手を解放して息を吸い込んでいた。酸素の到来に前身の臓器が悦んでいる。生へ執着する自分の弱さにうんざりして柊は屋上を後にした。



しかし、階段で一階まで降りた柊は、Uターンして今降りたきた階段を登り始めた。もう一度この地獄絵図を見て何になる。柊は再び屋上へと戻った。



屋上の縁にさっきと同じように立つ。後ろに行っちゃいけない。後ろに行っちゃいけない。後ろに行っちゃいけない。柊は目をギュッと固く閉じて、大声で吠えながらーー



ーー跳んだ。



声を出すことで、不安が和らぐ気がしたのだ。それでも浮遊感の最中、猛烈な不安が襲う。しかしすぐに足は地に着いていた。柊はその場でジャンプして、その場に着地したにすぎない。前に跳ぶことがこんなにも難しい。



柊はヘナヘナと台の上で腰を下ろした。

「無理、無理だよ…」

左足は宙側に、右足は屋上側に、台を跨ぐように座った。

「みんな、生き返って。」

「俺、死んで。」

何度も繰り返し、意味がないとわかっている呪文を、それでも唱える。

「みんな、生き返って。」

「俺、死んで。」

柊は右足を持ち上げ、両手でうっかり落ちないようにしっかりと台にしがみつきながら、その右足を宙側へ移動させた。両足を宙へ投げ出した格好、誰かがちょいと背中を押せば簡単に落ちてしまう姿勢。だが今は誰も背中を押すような人はいない。



もうダメなんだ。何もかも。

世界には柊一人。みんなを生き返らせる手段はない。


そんな世界でーー生きていたくはない。

生温い風が柊を吹き付ける。風に靡いた木々がザワザワと音を立てた。



柊は静かに目を閉じて、数を数える。

(1、2、3、4…)

これは柊の、死へのカウントだ。一分経ったら、つまり数が60になったら、飛び降りよう。そう決意したのだ。



結局、みんなを巻き込んでしまった。それも最悪な形で。

俺は何をしているんだろう。俺の人生は何だったのだろう。

こうして自分の命を捨てるなんて、俺はなんて、なんて…




(57、58、59、60。)




柊はゆっくり目を開く。




これが最後の景色。




俺の人生最後の、景色だ。






柊は両腕に力を込めて、腰を前に、前に押し出す。

屋上の台の縁が、少しずつ後ろへ、後ろへ後退する。

落ちる、落ちる、落ちる落ちる落ちるーー




ガクン




とある境をもって身体が重力で下方向へ引っ張られる。

とっさに両手で台の縁を掴もうとするも、虚しく滑る。

元々掴めるような形状ではないし、元々柊には指先だけで全身を支える力などない。



臓器が体内で浮かび上がる。

目が勝手に閉じる

脳がサーっと白む。

肌寒い。

ゾクゾクと全身に悪寒が走る。

制服が風ではためく。

血塗られた箇所はペッタリと柊に張り付いていたが。



ごめん、みんな。


本当にごめん。


俺のせいだ。


俺がもっとうまくやってれば、こんな事にはならなかったのに。


俺がもっと考えていれば。


俺が、俺が、俺が…



柊は空中で頭を後方へエイと倒す。

頭から落ちれば、まず間違えなく死ねる筈だ。

空中で柊の身体がゆっくりと逆さまになる。



いつ地面に到着するかはわからない。到着が待ち遠しい。

早く、早く、終わらせたい、この悲劇を。悪夢を。



風を切った頭皮の先端で、柊は地面に触れた事を感じ取る。



やっと「その時」が来たのだろう。



笑おうーーそう思った刹那、勢いに任せて頭が潰れ、変な音を立てて首が曲がり、胴と足がバタンと音を立てて横に倒れた。



やっとーー

そう思う間もなく、柊は眠った。




* * *




「ん……」

柊は両手を大きく伸ばした。どれほど時間が経っただろうか。柊は仰向けに寝転んだまま、自分の身体の具合を確認する。何も損傷はないようだ。痛みもない。


「ここは…死後の世界か…」

それにしてはどんよりした曇天が、かなり天国のイメージと違うのだが…いや、目に映るのは空だけではない。


「バカな!」

横に聳え立つのは山之上高校の校舎、柊が飛び降りた校舎。

柊は慌てて立ち上がって周囲を見渡す。そこには、最後の世界があいも変わらず続いていた。転がる死体の数々が無情にも瞳に映る。


「なんで、なんで、なんで…死んでないんだよ!」

柊は怒りに任せて地面を蹴る。いや、死んだ筈なのだ。それなのに、骨は折れていないし、全ての身体の不具合は治って生き返った、ということだろうか。

「俺だけ?ってのも変だ…、何がどうなってんだよ!」

柊は力が使えなくなったことも納得していなかった。ドッペルゲンガーを殺す際は力は健全だった。使えなくなったのはその後からだ。発動条件に奴が関連してるのか?と柊は推論する。そして念のため実験をする事にした。すっかり恒例になった、実験文句。


「シュークリームを、ここへ。」


……何も起こらない。これは柊が自室で同じ言葉で成功した呪文だ。それが効かないということは、やはり…いや、同じ内容はダメなのかも、と柊は実験を重ねる。


「一万円札を、俺の手元へ。」


……やはりダメらしい。柊は力を失った。

世界に柊は一人、自殺もなぜか失敗した。



「だれか、生きてる人がいないか探そう…」

柊はトボトボと歩き出した。先ずは、家に帰ってみよう。学校を出て、一人坂を下る。坂の途中では多くの生徒が倒れており、中には知っている顔もある。深く考えないようにしつつも、柊の目からは次から次へと涙が溢れた。


堪えきれずに、柊は走り出した。

歩道は死体が転がっていて走りにくいから、ガードレールを跨いで車道を走った。

運転手も皆死んでいるから、もう動いている車はない。

しかしアクセルを踏んだまま命を落としたと見られる車は前方の車と衝突したらしく、それが重なり合って大惨事に陥っていた。

無傷な車はほどんどなかった。

柊は車道の中央の、車が通らない白い線の上を全速力で駆けた。

車の窓から、車同士の間から覗く死体の数々が否応なく目に入り、柊は目を抉り取ってしまいたくなる。


柊は駅に着いた。家までは普段、電車で一駅、そしてそこから十五分の徒歩。

電車が動いてる筈もなく、柊は徒歩での帰宅を覚悟する。


「いや、待て、運転できるかもしれない。」

駅には沢山の人が転がっている。それをなるべく見ないようにしながら柵を乗り越え、線路を跨いで駅で停車する電車に向かう。帰る方向と逆方向の電車だ。ちょうど車掌さんが電車から降りていたらしく、扉が開いている。逆方向の電車の最後尾、つまり正方向の運転席だ。


「これか?」

発車ボタン的なのを押してみる。動かない。考えてみれば当然だ。そんな事が出来たら、車掌が間違えて発車ボタンに触れたら、突然電車が逆方向に進む事になってしまう。


「でも終点では電車の進行方向は変わるはず、ということは進行方向転換スイッチがあるはず…」

柊はいろんなボタンをカチャカチャ押してみる。そして先ほどの発車ボタンを押すと、ゆっくり電車が動き出す。


「よし!」


しかし柊はすぐに自分の愚かさに気がついた。

時間はまだ九時過ぎ。


朝と呼ぶには少し遅いが、まだ電車の本数が多い時間帯だ。駅から駅までの間に他の電車がいてもおかしくない。そして今柊が運転しているのは、本来とは逆方向に走っている。運転手が死亡してもそのまま後続の電車が走り続けていれば衝突していた。しかし幸いにも柊が乗り込んだ電車の次に到着予定だった電車は道中で停止していて、お互いが高速でぶつかり合う事態にはならなかった。そもそも停止していなかったら既に駅で衝突が起こっているだろう。


ーーとはいえ停車方法のよくわかっていない柊によって衝突は引き起こされたのだが。


「やっちまった…」


運転席(車掌席)から電車の外に出た柊は自らが起こした惨事を眺めて嘆息する。二つの電車は見事にひしゃげ、無残な姿になっている。

「やっぱり歩くしかないか…」


柊は線路の上を一人、歩いた。


またしても、柊の後ろから、湿った生温い風が吹いた。

自分の足音と、声と、吐息、木々のざわめき。

そういえば、鳥や虫の鳴き声は聞こえない。人に限らず、鳥や虫まで死んでしまったというのか、あまりに静かすぎる世界だった。


家に向かう途中でふと、昨晩柚希と交わした約束を思い出す。



ーー俺はいなくならないよ。必ずこの家に戻ってくるから。



確かに本当になった。俺は生きていて、こうして家に向かってる。

でも妹が望んでいたのはこんな結果ではなかったはずでーー

結局妹が危惧したように離れ離れになってしまった。もう二度と、話せない。


「こんな…こんなつもりじゃ…なかったんだよ…」

線路を踏みながら、柊はまた泣いた。

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