1-6 記述『男の友情』
槍が柊から離れ、木戸へと向かってから、それが振り下ろされるまでのほんの数秒間。
その場を動くことのできない柊は、頭の中をフル回転させていた。
常識的には考え難いが、奴の力の根本は理解できたような気がした。
しかし、それがわかったところでこの状況を打破できないことに苛立つ。木戸が目の前で殺されそうになっている。俺の…友達、いや、親友と呼んでもいいものか。何がどうなったら親友になるのかなど知らないが、病院へ搬送されて自分を心配してわざわざ来てくれたのだ。
ーーそんな友達を、何もできずに失うのは嫌だった。
そもそも、木戸は俺のせいでここにいるのだ。俺のためにここに来た。それなのに命を奪われるなど、あいつにとっては理不尽にも程がないだろう。俺を恨んでいるだろうか。
柊もまた、木戸と同様に、時がゆっくり、ゆっくり進むような錯覚に陥っていた。それなのに、肉体とは現実なもので、速く動いたりはしない。ただ見ていることしかできない自分が弱く、不甲斐なく、許せない。動きたい叫びたい届かせたい。そんなちっぽけな願いすら、叶わずに失うというのか。槍が、もう木戸の肉体に届く。やめろ、やめろ、やめろ、やめてくれ、俺の、俺のせいで!木戸を!!やめろー!!
三人が三人、この場のことで頭がいっぱいだった。だから、カーテンがひょいとめくれ、中の様子を伺った者がいたことに、誰一人として気付けなかった。
その者は、黒の翼をはためかせ、槍を振り上げている男を、後ろから見た。その矛先に木戸照也。脇のベッドの上には柊翔。カーテンを開ける動作ももどかしく、細い隙間から身を滑り込ませ、凶器を振り下ろし始めた男の背中を力一杯殴った。その勢いで槍の男はうつ伏せの木戸の頭上を超え、壁に激突。そこまでして初めて、二人の生徒は現状を理解する。
「「せ、先生…!?」」
「にやってんだお前はヨォ!」
ゴリラ先生の怒号が響く。
「何者だかしらんけど、うちの生徒に手ェ出してんじゃねぇ!」
何かを小さく呟いて壁から身を離した男は回れ右してゴリラ先生と相対する。殴られて吹っ飛んだ体には傷一つ無く、痛がる様子もなく、そして眼鏡がサングラスに変わっている。
「さ、サングラス…?いつの間に!」
柊のドッペルゲンガーが壁に張り付いている間にベッドの上へ避難した木戸は驚いて声を上げる。外へ出て助けを求めた方が良かったかなと後から思うが、どちらにしろ柊を放り出して外へは行けないと自分を納得させる。
「邪魔すんなよ…!」
ドッペルゲンガーは槍を持ち直し、今度は先生に矛先を向ける。しかし直後、外から聞こえてきた足音に、動きを止めた。先ほどのゴリラの怒号が聞こえたらしい。看護師がパタパタとスリッパを鳴らしてこちらに向かってくるのがわかる。
「くっ、命拾いしたな!」
そういい放ったあと、ボソボソと何かを呟く。現れる時と同じ魔法陣がドッペルゲンガーの足元に現れ、そのまま彼を吸い込んでいきーー
姿を消した。
「…ぇ」
先生はそれを見て、あんぐりと口を開けて絶句している。一度見ている柊と木戸の衝撃はそれほどではなかったが、初めて見る先生からすると怪奇現象もいいところだ。人が一人、忽然と姿を消したのだから。
「…おいお前たち、大丈夫か、怪我はないか。」
先生は、ドッペルゲンガーが消えた床から目を逸らさずに、二人に声をかける。
「大丈夫です。助かりました。」
「何者だあの男。羽生えてたし、急に消えたぞ。どうなってるんだ。」
「え、先生、あれは今日来たーー」
「わかりません。突然現れたもので。でもみんな無事で良かったです。」
「…」
木戸の返答を遮って、柊は淡々と答える。木戸は驚いた顔で柊を見ている。
そんな時、足音がすぐそばまで来て、カーテンが大きな音を立てて開かれる。
「どうかされましたか!…あなたは?」
駆けつけた看護師が到着して息を切らしながら、知らない大男がいることに気がつく。
「あ、申し訳ありません。この子たちの担任をしている者です。」
「あ、そうでしたか。何か問題でもございましたか?大きな声が聞こえたもんですから…」
「それがですね、私が入った時にですねーー」
「僕がもう大丈夫になったと証明するために変なダンスをしていたをしていたので、先生が治ったばっかで激しく動くんじゃないと怒鳴っただけですよ。」
「…」
先生の話を遮って返答した柊に、木戸と先生は怪訝な顔をする。看護師の方も納得いかないような表情を浮かべたものの、すぐに笑顔に戻って、
「そうでしたか、でも検査は済んでますので、踊っても大丈夫ですよ。何も問題はありません。」
「じゃあ、もう帰っても大丈夫ですか?」
「はい、外でお母様が待ってらっしゃるので、出て来れそうでしたら出てきて下さい、どうですか?」
「大丈夫です。すぐ行きます。ありがとうございます。」
柊と木戸はベッドから降りる。そこで初めて、柊は自分が動けるようになったことに気がついた。
(動ける…)
* * *
母親には木戸と夕飯を食べて帰ると言って先に帰ってもらい、その場には柊、木戸、先生の三人が残された。歩道をゆっくり歩きながら、先生は困り顔で柊に尋ねた。
「ほんとに警察に電話しないのか?」
「いいですよ。言ってもしょうがないじゃないですか。あんな魔法みたいなのが広まったら、世の中混乱しますよ。」
「まぁ…それはそう、なんだが…」
「だからこの事は絶対に誰にも言わない、そういう事にしましょう。」
「わかった。お前がそう言うならそうしよう。あ、じゃあ俺はこっちだから。お前らもあんまり遅くならないうちに帰るんだぞ。」
体を左に向け、ちょうど青に変わった横断歩道へ脚を踏み入れた先生に、ずっと黙っていた木戸がふざけた口調で声をかけた。
「にしても先生かっこ良かったなぁ。惚れ直しましたよ。」
「そ、そうか…?う、ウホッ!」
「ぇぇ…」
柊は最後の木戸と先生の発言に突っ込みたい部分を幾つか見つけたが、今日は突っ込むのはやめようと思いとどまる。ありがとうございました、と柊が一礼し、先生は横断歩道を渡って離れてゆく。
「で?」
先生が渡り終わるのを見届けると、木戸はへらへらした表情を一変させ、振り返って柊をじっと見た。
「は?」
「僕やゴリラに発言させないようにしてたってことは、何かわかった、ってことでいいんだよね?」
柊は迷った。これは自分の問題だ。これ以上木戸を巻き込んでいいものか。今日みたいに、危険な目に合わせてしまうかもしれない。それならいっそ、何もわからないフリをするのがベターか……
「巻き込んだら悪いとか考えてんなら、殴るからな。」
「…」
「あのね、今更何を言ってるんだい?ここまで来て、僕が引き下がるとでも?」
木戸はこういう男だった。誰よりも友達思いで、相手のことを気にかけるのを忘れない。鋭すぎる洞察力は人を怯えさせるが、基本的に好意的に使われる。木戸の性格的に、相手の思考を読んで何か悪いことを…とはならないのだ。嘘を嫌う真っ直ぐな性格。困っているとわかればすぐに手を差し伸べる。そういう男だ。常にリスクとリターンを計算し、利益が見えないと動かない柊とはまるで異なる。柊は木戸の心の持ちように憧れていた。勉強なんてできたってしょうがないのだ。勉強ができなくても、頭が悪くても、いつも真っ直ぐで、相手を思いやれる心を持っている方がよほどいい。自分にはできないことだ。手の届かないところだ。柊は自分自身をそう批判的に捉え、その分木戸を高く評価していた。
「…だな。悪かった。まだわからないこともあるが、わかってることは話す。食べながら、でいいか。」
わかりあった男同士は、多くを語らない。言葉に表れない心情が見えない糸で繋がっている。言葉にするだけ野暮、というやつだ。だから柊は木戸に何も言わない。自分の木戸への尊敬の心も、心の中に留めておく。世の中にはそれを恋愛感情にすり替える輩がいるようだが、それは男の友情への侮辱だ。持つべきものは友達か……柊は思わず似合わないセリフを吐きそうになり慌てて唾を飲み込んだ。二人は黙ったままファミレスへと消えていった。
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