1-5 記述『エンカウンター』

「俺はおまえを、殺しに来たんだ。偽物め。」


侵入者は槍の矛先をベッドの上の柊に向けて怒りに声を震わせた。一方、柊は槍の先端を見つめて身体を震わせ、いつでも逃げられるようにと浮かしていた腰をへなへなと降ろした。こんなに死を間近に感じたことはあっただろうか。今にもその先端が自分に刺さりそうだ。そしてそれを感じたが最後、もう命は奪われているのだろう。


それならーー何か、何か言わなきゃ。生にしがみつく努力をしなきゃ。今ここでの最善手はなんだ。なんだ。何を言えば抜け出せる。なんで、でいいのか、いやその前に助けを、呼べるのか?許されるのか?

迷って悩んでいるうちにも、命を脅かすその点は無慈悲に柊を見返している。

生きた心地がしない。頭の中は不思議なほど早く回転するのに、指先ひとつ、唇ひとつ動かせない。それでも何故か目線だけは、じっと自分そっくりの顔を射抜く。単純に目を反らすのさえ怖いだけなのだが。死の瞬間は認知していたいーーそれは動物としての本能だ。


「嘘だな。君は彼を殺しに来たんじゃない。そうだろ。」

木戸は物怖じした様子もなく、男に突っかかる。木戸に嘘は通用しない。木戸は自分のその洞察力を、自分で信頼していた。


「ーーやはり、厄介だな、木戸照也。」


やはり?木戸照也…?木戸は尋常じゃない違和感を覚える。

人と会話する際、その人が何気なく発した言葉は木戸にとっては重要な情報だ。


僕は今日、この男と会話をしていないのに、やはり厄介と来たもんだ。いや、今日どころか、これまでも。僕の記憶では今日が初対面のはずでーー

それに僕のことを木戸照也って言ったよね?なんで名前を知っているのかな。自己紹介はしてないのに。


「おまえも偽物の癖に。いつかカイトが殺しにくるぞ。」

「何を言ってるのさ…君は…」


僕が、いや、僕「も」偽物?かいと?木戸の中に困惑が広がる。今の言葉に嘘の気配はなかった。嘘やハッタリでないとわかるだけに、以前から木戸を知っていたかのような発言があっただけに、単なる彼の妄想、と切り捨てることもできない。


「おい、おまえ、動くな。」


男の注意が自分からそれた隙に、柊が外の助けを呼ぼうと動こうとした瞬間、当の男から呼び止められる。鼻先まで寄せられた槍に、身体が硬直。限界。わなわなと震える唇を舌で一度舐めてから、怖がっているのを悟られないよう精いっぱい力を込めて声を出す。

「な、なんなんだよ…何が目的だ…」

しかし声は自分でもわかるくらい弱弱しかった。男はそんな柊を嘲るように目を細めてから残酷に嗤った。

「命だ。あらゆる命だ。」

いの…ち?命。命か。当たり前のことに笑いがこみあげてくる。向けられる槍は殺意の象徴ではないか。命。そう。命。命を奪いに来てる。そして俺はなすすべもなくーー



「僕を、無視してんじゃないよ!!!」



突然、鈍い音が響き、木戸の拳が男の顔面に叩き込まれる。不意をつかれた男はよろめき、槍の照準が柊から外れる。途端、柊は捕食者から解放された小動物のごとく情けない顔でへたり込み、男を堂々と指さす木戸をただ黙って見つめる。


「はっ!翼生やして槍持ったって意味ないね!僕の拳が届くくらいだ、見かけ倒しなんじゃないの?」

「よく言うぜ。木戸照也。もういっぺんやってみろよ。」


男は槍の矛先を転換、木戸へと定める。落ち着きを取り戻した柊は動こうとするが、そこで全く動けないことに気がついた。

「…っ、なんで、動けな…っ」

それならばせめて助けを呼ぼうと息を大きく吸い込む。誰か人が来れば状況は好転するかもしれないーーしかし、その期待はあっさりと砕かれた。


「お前ら二人とも、大声出すなよ。」

「……っ!」


口から出たのは(誰か助けてください)という小さな声だけ。もっと大きな声を出した筈だったのだが。もう一回同じ言葉を叫ぶも、それはまたしても叫びにならなかった。叫べない。声を大にできない。声が出なくなってしまったのか。自分の声なのに自分の思うとおりに発せない。風邪の時のような物理的なものではない。事実なんのつかえもなく発しているのに、音だけが出ない。そんな違和感だった。


「どうなってるんだ…?」


とりあえずそう口には出してみるが、なんとなく柊は解答を得ていた。今朝教室で、そして今病院で。自分の体が自分の意思に反している、そんなことが三回起きた。

床に頭を打ち付けたり、動けなくなったり、大声が出せなくなったり。

そしてこれらは全部、症状が出る前にハッキリと男の口から告げられていた。


そこから導かれる答えーーそれは。



この男は人に命令できる力がある。



いや…それだけじゃ魔法陣と翼と槍を説明できない。魔法陣と翼は最初からおかしい。魔法が使えるのだとしたらお話にもならない。もし、柊の行動を縛った力と同じものであるならば……!

それにあんな長い槍も今の日本で簡単に手に入るものでもない。とするとこれもなんかの力。これも同じ力を源泉としていると仮定するならば……!


おそらく…この男は、



自分の言ったことを、真実にできる。



とりあえず矛盾している点はなさそうだと柊は自説を検証する。そして柊が頭を回す間に木戸は次の行動に出ていた。

「はーーーっ!」

木戸は槍を持った男に走り寄る。男は槍を木戸に向かって突き出した。

「やっぱりそうだ、慣れないものを使うなんてーー舐められたものだね!」

木戸はひょいと槍を横に避けると突き出された槍を掴む。そのまま槍を引っ張り、引き寄せられよく見知った男の顔に強烈な一撃をーー食らわそうとして転倒。ベッドの上に座っている柊に振動が伝わる。木戸の拳が空を穿つ。木戸はベッドの脚に引っかかって転んだのだ。


「しまっ…」


転んだ拍子に槍から手が離れる。柊の眼前には槍を携えた男。そして地に這いつくばる木戸照也。いくら運動能力が人より高い木戸とはいえ、普通の高校生の域を出ない。即座に起き上がって体勢を立て直すなど、不可能だ。


「少し早いか遅いかの違いだ。じゃあな!」


そう言って槍が振り上げられる。木戸は思わず目をぎゅっと瞑る。ごめん柊。守れなかった。少しでも動ける僕が守ろうと思ったのに。てかなんで黙って見てるんだよ。僕が戦っている時に逃げればいいのに。僕がやられたら、次は君だよ?この男、最初は殺しにきたつもりじゃなかったみたいだけど、今のこの槍に嘘はない。本気で僕を殺す気だ。早く、早く逃げて。柊ー!言いたい。叫びたい。でもどうしても口が動かない。いや動いたのだ。でも小さく、微かに、(逃げろ)と口から零れたに過ぎなかった。怖さのあまり、声も出なくなったのだろうか。


僕、死ぬのかな。ああ、何も、何もできずに、あっけなく。


父さん、母さん、ごめん。こんなところで。沢山、感謝しなきゃいけないのに、いけないのに、何も言えなかったよ。


ごめん。できの悪い息子で、ごめん。

ごめん。いつも赤点取って、ごめん。


ありがとう。いつも弁当作ってくれて、ありがとう。


皿洗いしなくて、ごめん。

掃除手伝わなくて、ごめん。


怪我した時一緒に痛がってくれて、ありがとう。


勝手なことばっかで、ごめん。

嘘ついてゲーセン行って、ごめん。


高校合格した時一緒に喜んでくれて、ありがとう。


割ったコップ隠して知らんぷりして、ごめん。

せっかく買ってくれたおもちゃ壊して、ごめん。


大好き、って言ってくれて、ありがとう。

ごめん。

ごめん。

ありがとう。

ごめん。

勝手に死んで、ごめん。

今まで、ありがとう。

僕は、幸せだったと思うよ。

ありがとう。

ごめん。

悲しまないで。

無理だろうね。

ごめん。

でもあんまり悲しまないで。

泣かないで。嘆かないで。恨まないで。

笑って。

僕という人間を生んだことを。

笑って。

幸せな僕と、笑って。

一緒に、笑って。

悲しいお葬式なんて、やめて。

笑って。泣かないで。笑って。

ほら、僕まで悲しくなっちゃうよ。

ごめん。僕は平気だから。

ごめん。ありがとう。

ごめん。

死んで、ごめん。

ごめん。

ごめん。

ばいばい。

ごめん。


ーー長かった。死に際の思考速度はすごく速いっていうけど、本当だ。ここまで速く頭が回るものとは思わなかった。涙が二筋、頬を伝った。


怖くない。もう何も怖くない。

清々しい気分だった。やれるだけの抵抗はした。

最後に転んでしまったけど、僕、頑張ったよね。

身体張った。褒めて、くれるかな。

木戸はただただ「その瞬間」を待った。待った。待った。そしてついに、届いたのは。


「…にやってんだよお前はぁ!」

だから、突如として野太い雄叫びが聞こえ、槍を持ったまま、そいつが壁に激突する音をきいて、僕は、僕はーー

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