1-4 記述『浮かび上がってコーンニッチワー』

ーーどこだ、ここ


柊はハッと気がついて目を開けた。目を開けた事で今まで自分が目を閉じていたことを認識する。目を閉じてーー気を失っていたのだ。ベッドに寝かされているところを見ると、おそらく保健室…いや、保健室の景色ではない。ここは病院だ。ベッドの周りに置いてある設備からそれがわかる。少し頭がいたい。気を失う前の記憶を巻き戻す。覚えているし、わかる。自分がこうなった原因も。


「あ、起きたんですね!」

カーテンをジャラリと開けてナース服が入って来てそんな事を言う。やはり病院という推論は間違っていないようだ。

「自分の名前がわかりますか?」

ナース服はベッドの横にしゃがみ、柊と視線を合わせて尋ねる。事情をわかっている柊は淡々と、

「大丈夫です。柊翔、17歳。山之上高校から運ばれて来たーーで、あってますか?」

「ええ、そこまで覚えてるなら記憶の方は大丈夫そうね。お家の方とお友達が心配してるわ、今呼ぶわね。」


よく見ると綺麗なお姉さんだ。自分の身が非常事態だったというのに、男子校で女性慣れしていない柊は、美人に優しい言葉をかけられただけで胸が高鳴った。勿論、これは向こうからすれば優しい言葉かけは仕事柄当然だ、というのは頭では理解していても、理性で感情は操作できないものだ。カーテンの裏へ看護師が消え、翔さんが目を覚ましましたよー、と声が聞こえる。いくつかの足音が響いてくる。


その時、ふと嫌な考えが頭を過った。ここであの自分そっくりの奴が、カーテンの向こうから現れることもあるのだろうか?お家の方もいるって言ってたよな。くそ、変な事になってないといいが…外見で子供を見誤る親とは思いたくないが、うんざりするほど自分と奴がそっくりなのも事実。それにそれ以前に奴がそこにいた場合、こっちの身も危険であってーーぐるぐると回る思考の流れを止めたのはよく知った声だった。


「やあ柊、大丈夫なのかい?」

「…なんだ、お前か。」

「なんだとは失礼な!せっかく来てやったのに!」

「見舞いに来てくれるのが男しかいないことにがっかりしてたんだよ。あー、俺を想ってくれる美少女でもいればな…」

「…僕に嘘は通用しないと分かってるくせによく言うよ。ドッペルゲンガーじゃなくて安心したならそう言えばいいじゃないか。」

「……敵わんな全く。…あ…母さん、心配かけたな、悪かった。」


木戸の後にカーテンをくぐって来たのは母親だった。相当な心配をかけたに違いない。突然息子が病院に運ばれるなど、母親としては気が気ではなかったはずだ。

「本当よ、心配するのが親の仕事とはいえ、こんな心配は心臓に悪いじゃないの。それで平気なの?木戸くんに伺った話によると頭を自分で床に打ち付けたーーそうじゃない。どういうことなの?」


心底意味がわからないと言った風に柊の母親は眉を寄せる。一方の柊はそれについては自分でも結論が出ていないままだった。奴が原因なことはなんとなくわかるのだがーーそれを説明する気には、なれなかった。話すのは自分の中で全て結論づけてから。他の人に悩みの種を撒きたくはない。


「…なんとなくやりたくなった。それだけだ。」


自分で言っていて馬鹿らしくなる。明らかに嘘とわかる発言。なんとなくやりたくなったなどと、気を失うまで自分の頭を叩きつける人がいるものか。しかし今はこう答える他はない。木戸にさっと視線を送る。いちいち嘘を指摘されては堪らない。何も言うな、というメッセージ。それがうまく伝わったようで、木戸は静かに目を閉じた。


「何か、嫌なことでもあったの?それとも誰かに虐められ…」

「母さん」

遮るように母親の目を見てハッキリと告げる。

「大丈夫だ」

「大丈夫、じゃないでしょ。心配させておいて、こんな病院まで来て、長いこと気を失ってて、満足な説明もできないのあんたは。」

「…」

ごもっとも。何も言い返せない。そんな柊を救ったのは木戸の言葉だった。


「お母様、少し、二人にさせて頂けませんか。僕もそうですけど、翔くんも、自分の行動に納得できていないと思うんです。少し二人で状況を整理してから、後で説明させますので、少しの間。」

「…わかりました。木戸くんはしっかりしてるのね。」


木戸くん「は」という言い方に柊は自分への当て付けを感じたが、悪いのは自分なので何も言うことはできない。自分でも説明できないもどかしさはあるのだ。心配かけた相手に少しの安心を与えるのが全うな務めというもの。それができないのは当然自分の落ち度でーーん…?俺悪いのか?木戸はいえいえと首を振り、母はカーテンの部屋から出て行った。入り口に立って三人を見守っていた看護師も会釈をして、母に続いて消えた。カーテンの空間の中には、柊と木戸の二人だけ。二つの足音が遠ざかって行くのを聞き届け、木戸は口を開いた。

「で、どこまで分かってるんだ。」

「…正直何も。それよりそっちの状況が知りたい。」



* * *



木戸の話によると今はもう放課後で、時間は16時過ぎ、ゴリラが気を失って倒れている柊を保健室へ運び、頭を打ったということで念のため隣の駅の病院へ運ばれたらしい。救急車で。一通りの検査を受けて問題はない事を確認し、あとは本人が目覚めるだけという状態だったが、その本人が目を覚まさないのでかなり緊迫した雰囲気だったようだ。木戸は学校の後病院に来たらしい。わざわざご苦労さんなことだ。いや、少し嬉しかったりもするのだが。


「で、奴は?」

奴、転校生は登場時に誰もが関心を持たざるを得ない存在だったが、一方で柊が不可解な倒れ方をしたために、誰も怖くて近寄らなかったらしい。

柊が転校生の言葉に従って意識不明に陥ったのは明らかだったが、柊が自発的に従った結果としか表面上処理するしかなく、先生達も何も転校生に言えなかったとのこと。転校生は誰かに話しかける事もなく静かに授業を受けていたそうだ。転校生の席は廊下側の最後尾。窓側の中程の柊の席とは離れている。


「なるほど、でも結局どうにもならんな。なにか分かったわけでもない。一つ言っておくが、俺は自発的に頭を打った訳ではないぞ。」

木戸の話を一通り聞き終えると、柊はベッドの上で腕を組んだ。

「わかってるさ。プライドの高い君が自ら頭を下げるなんてね。」

「なんかひっかかる言い方だが…ん?」

「どうしたの柊なんかあっーー」


なんかあった、と言いかけた木戸は柊の視線の先を追って、自分の立っている場所のすぐ隣の床を見て言葉を失った。


「な、なんだこれ…!?柊、なんだよ、これ!?」

「し、知るか!俺に聞くな!」

床のその場所には青白い円形の模様が浮かんでいた。両手を広げる程の大きさもあるそれはグルグルと回っている。いわゆる魔法陣、というものという他に表現しようがなかった。誰もが思い浮かべる魔法陣の形、模様を体現していた。


「な、なんだよ…」


木戸はよたよたと魔法陣から後ずさる。柊はベッドの上から腰を浮かせ、いつでも逃げられるようにして様子を見守る。カーテンで仕切られた空間に高校生が二人。誰も助けになど入ってこない。中で何が起きているのか、起ころうとしてるのか、誰も知らない。


「ハ〜イ、コーンニッチワー。久っしぶりぃ、柊クン?」


不快さ全開で魔法陣から飛び出した男は、予想の範囲内の相手ではあった。会いたいなど、この場の誰も、思っていなかったが。この状況で、ここに、こんな形で現れそうなのは一人だけーーその男は、身長程もある長い槍を持ち、真っ黒な翼を生やしていた。



「よ、元気だったか?」



思えば声を聞くのは初めてだった。

魔法陣が薄れ、すうっと消える。そしてーーその男は、片手を上げて気さくに二人に「挨拶」をした。

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