1-3 記述『意識さんご退出を』

木戸は大いに困惑していた。親友だと勝手に思っていた柊がもう一人出現したのだ。同一人物が二人いるなんて事はない…ありえない、はずだ。でも、同姓同名で容姿も同じな二人が目の前にいるとなると…


「あ、これ、夢ね…夢オチね…」

それなら起きればいいんだ。そしていつもと変わらない朝が始まるんだ。でも夢の中で夢と気付いても、自分の力でどうやって夢から覚めればいいんだろ。頭の中で「起きろ僕!」なんて言ってみるけどなんだか馬鹿みたいだ。いや馬鹿なんだけどさ。それなら…


「ねえ、ちょっと僕のこと殴ってくんない?」

人に起こしてもらえばいい!やっば僕あったまいい〜!天才ここに現る!

内心テンションの上がっている木戸の一方、突然そんなことを言われた後ろの席の天野はWダブル柊から視線を不愉快そうに木戸に移した。


「は?」

「いや、だから、ちょっと僕を殴ってくれない?」

「…ついに頭逝ったか…可哀想に!前からちょっとおかしな子とは思ってたけどそんな趣味があったなんて!ママ悲しいわ!」


天野は何を勘違いしたのか、おどけた様子で小声で返してくる。緊迫した雰囲気の教室で大声でふざけられる雰囲気でもないのだ。

「そういうのいいから!これが夢かどうか確かめたいんだよ!」

「なるほど、そういうこと。じゃあ遠慮なく。」

天野は机の横のカバンをあさり始める。

一体何をしてるんだろう。早く殴って欲しいんだけど。


「どうせならダメージ与えた方が面白いじゃん?」

「何が!?それ僕が痛いだけじゃん!それ、シャレじゃすまない…!」

天野が取り出したのは英語辞典だった。分厚い。重い。つまり痛い。てかなんで英語辞典持ち歩いてんの。

「大丈夫大丈夫。コレ夢だから。」

「それを確かめたくて頼んでるのに…っておい!ぇ…ぃってえええええええええええ!」


急に立ち上がった天野は勢いをつけて木戸の頭に辞典を叩きつけ、木戸under the英語辞典は木戸の机に叩き込まれる。顔面から机に激突した木戸は涙目で顔を起こすと振り返って文句を垂れる。

「手加減しろよ!」

「え、だっておまえ、遠慮するなって。」

「言ってない!一言も言ってない!」

「んだようるさいなあ。それにほら、な?夢だったろ?」

「存分に痛がってるよ!それに君にはこの鼻血が見えないの!?あーもう、でもこれで夢じゃないってことがわかった。とりあえず礼を言うよ。言いたくないけど。」

「いつでも殴ってやるって。それよりその右手に持ってる辞典、返してくんね?」

「はいはい…ってちょっと目立っちゃったね。」


木戸はポケットから取り出したちり紙で鼻血を拭いながら隣の柊と、前の転校生を見る。名前を書き終わってから、二人は睨みあっている。片方は余裕のある表情で、片方は戸惑いと驚愕の表情で。


その片方が、ゆっくりと席から立ち上がる。


表情が怒りに変わった。

親友の激しい表情を木戸は初めて目にした。これは夢なんかじゃない。


ふとドッペルゲンガーという単語が頭をよぎる。ドッペルゲンガーとは所詮自分の見る幻想だ。でも本人が行ってない場所でその人を見たとかいう話も世の中にはいくつもある。見間違い、他人の空似、いくらでも説明はつくけれど、こうして目の前の光景を見せられては、そんなんじゃ済まされない。それに聞いた事がある。ドッペルゲンガーに自分が出会ってしまったら、自分はそのドッペルゲンガーに殺されるんだって。


でも、どっちがオリジナル?どっちがドッペルゲンガー?それならどっちがどっちを殺すんだ?どうでもいい。木戸がこれまで接してきたのは今隣にいる柊翔だ。いくら似ていようと、断じて教壇の男じゃない。


そもそもただ似てるだけってだけかもしれないのに何故こんなに焦って、不安に感じているんだろう。

この教室の誰もが木戸と同じような焦りと不安を感じていた。

当人たちは意識すらできていないが、その理由は「転校生が柊のことを知っている風だったから」だ。柊は自己紹介すらしていないのに。


それでもこの転校生の態度は、転校先の教室に自分によく似た人間がいた、と驚く態度ではなかった。初めから知っていたかのようだったし、今も余裕を見せて挑戦的な笑みで柊を見ている。木戸は隣の柊が息を吸うのを感じた。何を言うつもりなんだろう。柊の声が発せられると同時に、教壇の転校生の口からも声が聞こえた。何かが始まる。変な予感が、皆を襲った。


「お前は」


柊はそう言うと同時に、前の転校生も何かを言い出したのを感じて押し黙った。単純に自分に何と言うつもりなのか気になったからだ。転校生の方も同じように一瞬口を噤んだが、柊が黙ったのを見てニヤリと笑って続けた。



「お前はーー床にでも這いつくばっていろ。」



…は、何を言っているのかこいつは…柊は何か言い返そうとした刹那、自分が床に這いつくばって、頭を床に擦りつけているのに気がつく。


教室にザワザワと動揺が広がるのを柊は耳で感じ取る。

なんだ、何が…?

起き上がろうと力を込めるも、自分の身体なのにビクともしない。

戸惑いが消えないうちに、再び言葉が浴びせられた。



「お前はーーそのまま床に頭でも打ち付けてろよ。」



逆らうという選択肢は柊の脳内にはないかのようだった。

夢中で何度も何度も、床へ宙へ、頭が舞う。

止められない。

そして意識が途切れるまで何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……


戸惑いと激しい憤りの中で、柊の意識は退出した。

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