第86話 シンメトリー作戦最終フェイズ-06:10:00
カンッ、という心地よい音が、弓道場に反響する。やや遅れて、遠くの方から、トンッと軽い音が届いた。
拍手が巻き起こる。拍手と言っても、情熱的に熱狂を帯びるようなものではなく、静かに、讃えるようにパチパチと響く。
小笠原美紀は、己の中に湧き上がる興奮を、持ち前の根性で鎮めつつ、残心をちゃんと行う。美紀にとって的中数は大事なことなのはもちろんだが、それよりも武道としての精神鍛練的な側面が好きだった。
なので、大会や国体に出ることがあっても、結果に拘泥することはあまりない。だが、今回は畿内高専弓道部の期待を背負った、近畿大会の決勝、そのしんがりを務めるともなれば、自分のベストを尽くせたことは、美紀にとっても嬉しいことだった。
最後まで所作を徹底し、射場から退場する。控えに帰ってきたとたん、残りの団体メンバー全員が一斉に、とびかかる勢いで寄ってきた。
「美紀~!ありがとう助かったぁ~!」
同じく団体メンバーである日置優が、半泣きで抱き着いてくる。男女と言えども、高専女子である美紀は、今更親友以上の距離感である優を邪険に扱わない。それはそれとして鬱陶しいので、脚で押し出す。
「せめて弓を置くまで待ちぃや。」
「俺もう不甲斐なさ過ぎて泣きそうで…いや実際少し涙出た…」
大奥と呼ばれる、団体メンバーの5人で最後に弓を引くポジションは、一番最初に弓を引く大前と同じぐらい、腕の立つものが選ばれる。優は前から3番目の中立と呼ばれるポジションで、ざっくりと3番目ぐらいに大事なポジションだった。
実際、今回優は中々調子が出ておらず、それは直前の練習の様子からも明らかだったのだが、優の振るわなかった分だけ、美紀が穴埋めした格好となった。
「気にせんでええて~…。いやほんま気にせんでいいから土下座だけはやめて、奇異な目線を感じる。」
優をなだめるというか、窘めつつ、美紀は自分の弓を置き、”ゆがけ”を外す。
「だって…。今すっごい大事な時期なのに…俺のわがままであんなことに付き合わせて…」
優が調子を落とした理由──レストア部の不法占拠騒動。
きっかけは、彼らがゲリラ的に張り出した「徹底抗戦宣言」。それ以来、ぱったりと授業に来なくなった松ヶ崎弘。
テスト直前の時期に、あの馬鹿真面目な松ヶ崎弘が自主的に休む。それだけ、彼があの飛行機と部活動に身をささげる覚悟が決まっていることを知った。
「拓斗、なんか出来ること、ある?」
彼らの立てこもりが始まって数日、校内で噂がピークになろうとしていた時、美紀と優は拓斗にそう尋ねたことがあった。
だが、拓斗は「じゃあ代わりに購買行ってきて~」だとか「お~ちょうど麻雀の面子探してたんよ」とか言って、取りあおうともしなかった。今にして思えば、あの拓斗のことだから、何かしらの考えがあったのだろう。
だからこそあの日、拓斗が頭を下げてきたことは衝撃的だった。
2人は応援したかった。やっと自分だけの道を見つけることができた弘を。弓道部にいた頃の彼は、常に追い詰められているようで、見ていて辛いものがあった。
だけど、今の弘は活き活きとしていた。以前よりも明らかに疲れていて、元気がない。授業中に寝ている日も増えた。それでも、今の松ヶ崎弘は、以前よりよほど、面白い人間だった。同じことは、拓斗にも言えた。
「ま~確かに、テストと大会の日程が被ってて、ただでさえ大変な時期にあんなことしてたんやから、どうなることかと思ったけど」
横を歩く優が、う゛っ、とうめきを漏らす。弘を応援したい気持ちは変わらないが、”自分のやりたいこと”と”すべきこと”をやっている、すなわち筋を通しているうえで、というのは、2人にとって大前提の考え方だった。
同じ弓道人ということもあってか、弘にも最初、その点を突っ込まれた。
結果、優はこの大会に多少影響が出たのも事実なので、しっかり結果を出した美紀の言う分には、優に刺さる。
「…で、結局私たち”レストア派”って、あの抗議活動一回ぽっきりで出番終わりなん?事前に作戦とか、協力者集めとかやったけど、ほんまにそれだけ?逆に寂しくない?大会終わったから、もうなんでも協力できるもん」
そう言って、美紀は弓道着の袖をまくっている。フンスという息が聞こえてきそうだ。
「な~んか弘から、当日呼ぶかもみたいなこと言われた。」
そう言って、優は弘とのメッセージの記録を美紀に見せる。美紀はそれを見て、僅かに落胆したようだった。
「え~。望み薄やわぁ。弓道部の出店手伝いたくないもん…。」
「きさまそれが本音か」
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「ぶぇくしょん」
会議室に、弘のくしゃみが響き渡る。
「すいません、大事な時に」
「今風邪ひいちゃったら台無しだから、体調管理気を付けてね。」
アンフライの図師が、そう言って笑いかけた。
「ま~こいつが風邪ひいたところで、実際手ぇ動かすのはほぼ私なわけですが!」
そう言って、風花がガハハと雑に笑う。実際そうなのは否定しないが、弘もこの1年間でかなり鍛え上げられた。
その結晶が、今回の計画書だった。
「何はともかく、この通りに進めていいなら、ウチとしては全然問題ないですが…。皆さんは、本当にそれでいいのでしょうか?」
この計画で、唯一の弱点。図師はそれに気づいて、風花のほうを見る。
「確かに、この学校を捨てることはなるべくしたくなかったですけど…本当にやりたいことは、できるので。」
風花は、そう言って真っすぐ図師を見据えた。図師には、その視線を受け止めるだけの経験があった。
「そういうことなら、協力は惜しみません。──では、また当日に。」
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