第45話 2年目8月①

 朝9時。レストア部の活動開始の時間になる前に、風花は帰宅した。


 「わり、やっぱ帰るわ。1件の重大事故に29件の軽傷事故、300件のヒヤリハットって言うしな!今日は気分転換してくら。」


 一連の話が終わり、修理の終わったエアコンを取り付けると、そう言ってそそくさと裏門を飛び越えていった。


 5年前の話も、今の気分も、彼女は全て正直に話した。弘が梓から聞いた話と合わせて、両方の視点が揃うと、事件の全貌が残酷なまでに明らかになった。


 そんな話をするだけで、弘には想像できないぐらい辛いはずだ。喜怒哀楽のあれだけはっきりしている風花だから、泣いたって不思議ではない。だが彼女は、いつもより元気の無い顔をしているだけであった。


 涙が枯れている。そう気づいたとき、弘の全身に悪寒が走った。


 しばらくして、プレハブの窓から他の3人が侵入してきた。どうやらだいぶ前から盗み聞きしていたらしい。知っているとはいえ、今回に関してはかなり質が悪い。


 「ま、そういうわけだ。風花があれだけ落ち込んでいる理由が分かったのは思わぬ誤算だったな~。」


 「風花ちゃんにしては珍しく暗い本音をゲロってたね~。」


 「いやはや壮絶壮絶。」


 思い思いの感想を口走る3人。なんだろう、風花をエンタメとして扱ってないか?


 「まあ、今回に関しては風花個人の問題が大きいから、私たちは何にもできないしね。」


 だが、沙羅のいう事が正しい。


 「お節介焼くにしても、タイミングと材料、ってことですね。」


 「いいね弘くん、人心掌握覚えてきたんじゃない?」


 綾がニヤニヤしている。最近この人に毒されてきたのかもしれない、と一抹の危惧を覚えた。



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 その日の作業は、風花抜きでもつつがなく全うできた。


 OB会の人や荒島会長の社員は、風花がいないことに最初は驚いていたが、そんな日もあるだろうと深く気にしてはいなかった。


 夏至をとっくの昔に過ぎていても、19時ぐらいまでは明るい8月の夜。弘は部室で調べ物のために居残っていた。


 沙羅のPCで海外の航空機バイヤーのサイトを漁り、なんとかプロペラ基部を手に入れようとしていたが成果は芳しくない。ヘタった事務椅子からずり落ちた身体を起こすと、背中が張っていることに気づく。肩甲骨を寄せるとバキバキ音を鳴らし、血が全身を駆け巡る感触がした。


 いったん休憩をしようと、プレハブを出る。木々の隙間からわずかに差し込んでくる月光が、テキサンを照らしていた。


 少し幻想的で、思わず見惚れてしまう。初めてテキサンと出会ったときも、わずかな西日が灰色のボディを照らしていた。


 だが今は、当時とは少し違う。テキサンの足元に茂っていた雑草は見る影もなく、代わりにブルーシートが敷かれている。


 傍には工場においてあるような、大きな工具キャビネット。胴体のパネルが外され、内部が湿気で劣化しないようにかぶせられたシート。ジャッキアップされた着陸脚。


 あの日から、確実に進歩している。5年前に成し得なかった風花の夢が、現実味を帯びてきている。


 そして、取り外されたプロペラが、厳重にシートで保護され、地面に据えられている。


 それは、彼女にとっても、テキサンにとっても、あまりにも残酷な光景だった。


 「なあ、知ってるか?水瀬風花──あの一番背の高くて、うるさい女部長には、夢があるんだよ。」


 弘は目の前の銀翼に語り掛ける。


 「お前をもう一度飛ばしたいっていう夢。お前が今こんなことになっているのは、あの人の夢を叶えるためなんだ。

 でもあの人は、夢を叶える道を進むことに怯えている。お前にも拒絶されているんじゃないかって。

 あの人だけでは到底かなえられない難しい夢。それでも本当に実現したいから、あらゆるものを犠牲にする選択をした。それが失敗して、本当にすべてを失った。でも、それでももう一度挑戦したくて、今も諦めていない。

 そうしたら本当に前進しているんだ。5年前できなかったことも、今はできるようになった。そんなこと、誰にだってできることじゃない。」


 そこまで一気に話して、弘はしばらく黙る。でも、口にすることを選択した。


 「俺は、夢がない。

 俺には、水瀬風花のように、やりたいこともない。目標もない。

 それを探すためにこの学校へ来た。そして今、あの人に無理やり──いや、今俺がここにいるのは、俺の意思だけど、最初は無理やり参加させられたんだ。

 そしてここで、色んなことを知った。経験した。この学校の現実、学生たちの現実。どれも、俺が望んでいたものじゃなかった…。俺は馬鹿だから、夢を叶えることができる夢のような場所だと思っていたんだ。

 でもそんな中でも、あの人は、いや、レストア部の人達は、”テキサンを飛ばす”ことに、本当に、本当に正直だったんだ。

 ──だからこそ、俺もそうなりたいと思った。正直今でも、テキサンを飛ばすことは”自分の夢”とは言えない。でも、風花部長の夢の行きつく先が見たい。


 だけど、そんなあの人が、夢を叶えることに怯えている。

 俺には、分からない、俺はまだ、夢すらない。あの人の悩みに手を貸せる資格が──能力がない。

 完全に対極なんだ。助けになる以前に、俺には、あの人の悩みが何一つ、理解できない。」


 言い切って、少し涙が出てきた。感情が抑えきれないわけではない。これはたぶん悔し涙というんだろう。今、弘は自分でも予想外なほど冷静だった。それでも悔しいと涙が出る。


 弘とテキサンの間に、季節外れの少し冷たい風が吹く。一瞬ばかりの静寂。だがその静寂は、思わぬ形で破られた。


 「諦めないって、言い切れる?」


 思わず振り返る。そこに立っていたのは、10歳ほどの少女。綺麗な金髪が月光に反射し、宙に散った光を、碧眼の大きくて丸い目が吸い込む。


 「──君、は」


 「彼女の夢を諦めないって、言い切れる?」


 さっきまで弘の脳内を支配していた思考は一瞬にして吹き飛ばされ、目と、耳で感じた情報が何のフィルターもかけられずに、鮮明に、弘の脳みそを毎秒焼き付ける。


彼女は試すような眼をしていた。真っ直ぐ弘を見つめている。


弘は、この目を知っている。


「言い切れる。俺はあの人が、テキサンを飛ばす瞬間を絶対に見届ける。」


彼女の目が大きく開かれた気がした。そして瞼が少し降りた。


彼女は弘に音もなく歩いてくる。弘はそのすべてを受け入れる。彼女の一挙一動、それを逃げることなく、正面で受け止める。


弘と10cmも離れない距離で、彼女が見上げてくる。そして裏門のほうを指さした。


「ジンジャに行って、そこのファザーに会って。オサムの話を聞きに来たって言えばいい。」


神社。ファザー。オサム。予想だにしなかった単語が飛び出て、少し困惑した。少女が指さす方を見て少し考える。


「──航空神社。」


正解を確認するように、少女の方を見る。しかし、少女の姿はすでにどこにもなかった。



──────────────────────────────────────

本話で5年前の事件、風花過去編の完結となります。書ききれるとは思っていませんでした。ここまで、多くの読者の方に支えられてきました。(特にOさん、Kさんに特別な感謝を)

本作はこれでだいたい三分の二ぐらいになります。そろそろ本作の謎すべてを回収し、物語は終盤に向かっていきます。

お付き合いいただければ幸いです。

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