昔のお話
小さな手に髪の毛を引っ張られて、サリアはうめいた。
「痛い」
「ふふっ」
隣でアンナがそれを見て笑う。
「この子は大人になったら、とてもパワフルで元気な子になるわね」
「テリーお嬢様、髪の毛を引っ張らないでください」
小さな手がまた掴んで引っ張る。あいたたた。アンナの膝の上にいたアメリアヌがぶすっとした表情で呟いた。
「おばあちゃま、わたし、つまーらい!」
「あらあら、では、お散歩に行こうかしらね」
サリアは周辺を眺めた。花がたくさん咲き乱れ、きれいな噴水が設置されている。
(宮殿の庭)
そこらへんのメイドがかんたんに入れるところではない。サリアはアンナのメイドだから、入れたのだ。
「ああ、アンナ殿ではないか」
「まあ、アーサー様」
アンナが重たい腰を上げ、ペコリとお辞儀した。
「婿殿の忘れものを届けに来ておりまして、まあまあ、お会いできて嬉しゅうございますわ」
「お元気そうで何よりです。アンナ殿」
アーサーと呼ばれた老人がアメリアヌを見下ろした。
「こちらは」
「孫のアメリアヌですわ」
「まあ、なんて可愛い子だ。初めまして。アメリアヌ」
アメリアヌがアンナの背中に隠れ、アンナとアーサーが笑った。一方、サリアは抱っこしていたテリーの紐が緩んでしまったのを感じた。
(まあ、大変)
サリアが一度、テリーを下ろした。
(紐をきちんとしないと、テリーお嬢様が落ちてしまう)
ふわりと風が吹く。サリアが振り向くと、きれいな花々が自分を囲んでいる。なんて素敵な景色だろうか。あまりにも美しくて、大好きな謎解きも忘れて、その光景を目に焼き付ける。
(……いけない。つい、見惚れてしまった。テリーお嬢様を抱っこしないと)
くるりと振り向くと、テリーがいない。抱っこする鞄から、テリーだけが抜き取られていた。
(……)
サリアはベンチの下を覗いた。いない。サリアはもう一度見た。テリーだけが抜き取られていた。
「……」
冷静な頭で考える。ちょっと目を離した隙に、何があったのか。ちらりと見る。花が踏まれている跡がある。さん、に、いち。
「アンナ様」
「サリア、紹介するわ。この方は前王の……」
「テリーお嬢様が何者かに誘拐されました」
アンナとアーサーがベンチを見る。鞄だけが残され、テリーだけが抜き取られている。アーサーはきょとんとして、アンナは白目を剥いて――絶叫した。
(*'ω'*)
小さき姫は赤ん坊を抱っこして歩いていた。赤ん坊は幸せそうに微笑んでいる。
「まあ、かわいい子。うふふ。あたくしの妹にしてあげるわ」
第一騎士団の団長が通りかかった小さき姫に気が付き、そっと近づいて声をかけた。
「これはこれは、クレア姫様ではございませんか」
「あら、ジェフ。うふふっ。見て。あたくし、妹が出来たのよ。とってもかわいいの」
「は、妹?」
「これから塔につれていくわ。うふふ。かわいい子」
ジェフはその姿が微笑ましく思ったが、何か違和感を感じた。どういうことだろう。あの赤ん坊は誰だ? 心配だったので、ついていくことにした。
「クレア姫様、よろしければジェフが塔までお供してもよろしいですかな?」
「ええ。この子がゆうかいされないように、ついてきてちょうだい」
「は、ありがたき幸せ」
「ロザリー。かわいいロザリー」
指で赤ん坊を撫でれば、その指を赤ん坊が咥えた。
「まあ! うふふ! ジェフ! この子! あたくしを食べる気なんだわ!」
「クレア姫様、その赤ん坊は何者ですか?」
「何言ってるの。この子は、ロザリーよ!」
はむはむ指を咥えている。
「うふふ! くすぐったい! やめてちょうだい!」
クレアが愛おしそうに赤ん坊を見つめた。
「そんなにあたくしの指が食べたいなら、後でたくさん舐めさせてあげるわ。ああ、なんてかわいいの。きょうから、あたくしと暮らしましょうね」
「あう」
うーん。一体クレア姫様はどこからこの赤ん坊を連れてきたのだろう。ジェフが悩んでいると、無線機にノイズが響いた。
『団長、少しよろしいでしょうか』
「おっと、電波が悪いな。待っていろ」
ジェフがクレアに振り向いた。
「クレア姫様、先に塔へお戻りください。転ばないようにお気をつけて」
「わかったわ。じゃあね。ジェフ。ほら、ロザリー、さようならは?」
「ふええ」
「あら、あたくし以外とはお話したくないの? うふふ。かわいい子ね。いいわ。塔で二人きりになりましょう」
クレアが体が魔力を出し、風を操った。風の固まりがやってきて、クレアがそれに身を委ねると、体の軽いクレアはふわりふわりと宙へと飛んでいった。
「きゃう」
「あら、風にのるのははじめて? きもちいいでしょう?」
「あう」
「うふふ。よしよし」
クレアが塔のてっぺんにある自分の部屋へと着地した。
「さ、ここがお部屋よ」
「んんん!」
「あら、どうしたの?」
「ふえええ」
「どうしたのかしら」
クレアが魔力を動かしてみた。我が妹ロザリーの機嫌を確かめてみる。そしたら魔力は教えてくれる。この子、眠たいみたいだって。
「あら、眠たいの? じゃあ寝るといいわ」
クレアがロザリーを抱っこして、ベッドに座る。
「ふう。結構重たい」
背中を撫でる。
「ねんねん。おころりよ、おこーろーりーよー」
「くしゅん!」
「あら、鼻水だわ。ちーんできる?」
クレアがロザリーの鼻元にハンカチを押し付け、鼻水を拭う。
「あぶっ」
「ほら、おねんねしなさい」
「あうあうばう」
「お口が寂しいのね。ほら、指をどうぞ」
「はぶっ」
「ま、ちっちゃな手」
クレアの笑みはずっと崩れない。
「ミスター・ゲイにも言わなきゃ。きっと会いたがるわ」
クレアがロザリーを抱っこしながらあやす。
「ミスター・ゲイっていうのはね、男の人が好きな男の人よ。あたくしの話を聞いてくれる親切な人なの。あなたも気にいるわ。ミスター・ゲイってね、とっても優しいの」
その声はまるで子守唄のよう。あまりの気持ちよさに、ロザリーは目を閉じていく。
「……あら、眠っちゃった」
クレアは幸せを抱きしめる。
「おやすみなさい。ロザリー」
久しぶりに感じた幸福に、クレアは笑顔になった。
(*'ω'*)
「ああ、なんてことだ。大丈夫だろうか。テリーは寂しがりやだからなあ……」
「申し訳ございません。旦那様」
「サリアが謝ることじゃない。君は何も悪くない。悪いのはテリーを盗んだ奴だ」
ダレンとサリアが廊下を歩く。
「アンナ様は?」
「お部屋で休まれております」
「サリア、君ならテリーがどこに連れて行かれたか予想できないか? 君はそういうのが得意だろう?」
「申し訳ございませんが、まずは情報がないと、なんとも……」
「ああ、それはそうだろうな。すまない。……はあ。困ったことになった。アーメンガードに言ったら、ヒステリックになって、またしばらくカドリング島に籠もるとか言い出しそうだ。せっかく帰ってきてもらったのに」
「申し訳ございません」
「大丈夫。サリアのせいじゃない。とりあえず、そうだな。騎士団に連絡がいってるはずだ。話を聞きに行こう。君も来なさい」
「はい」
ダレンとサリアが知り合いの騎士団がいる部隊へと向かった。騎士団がダレンを見て敬礼する。
「これはこれは、ダレン殿」
「ご機嫌よう。すみませんが、ルイ様はいらっしゃいますか?」
「団長ならあちらに」
「ルイ様」
ダレンとサリアが第三騎士団長の前に頭を下げた。
「おお、ダレン殿」
「すでにご連絡が回っているかと存じます。我が娘のテリーについて、ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません」
「何を申されますか。あなたのためなら、私は手をお貸ししましょう。これで戦場での恩を返せますからな」
「ありがたき幸せでございます」
「そちらは?」
「ああ。妻の母親専属のメイドのサリアです」
「サリアです」
「今回、サリアが目を離した一瞬の出来事でございました。何卒、娘の行方を探していただければと」
「ふむ。そのことですが……」
ルイが少々困った顔をしてダレンを見た。
「第一騎士団の団長様がな、赤ん坊を見たと証言されていてだな」
「なんですと?」
「それが、また厄介なお相手が腕に抱えていたとか」
「厄介な相手?」
「クレア姫様だ」
「っ」
ダレンがぴたりと硬直した。そんなダレンを、サリアは不思議そうに見つめる。
「ク、クレア姫様……ですか……?」
「話を聞いた時思った。あの方ならやりかねない」
「……」
「塔に何人か向かったはずだ。親であるあなたも行くべきだろう」
「はあ……」
「共に行こう。……その方が安心だろう? ダレン」
「はあ。ルイ、本当に助かるよ」
「私と君の仲じゃないか」
ルイがちらっとサリアを見た。
「君は、……雇い主の元へ行ってもらおうか」
「かしこまりました」
「いや、ちょっと待ってくれ。ルイ。……サリア」
ダレンがしゃがみ、サリアの顔を覗いた。
「今から見ることは、なかったことに出来るか?」
「なかったことで、ございますか?」
「テリーは一人で抜け出した。それを城のメイドが見つけ出し、みんなで世話をしていて、その連絡が回って、見つかった。アンナ様とアーメンガードに訊かれたら、そう説明してくれるかい?」
「……かしこまりました」
「よし」
ダレンがルイに振り向いた。
「ルイ、この子も連れて行く。テリーはこの子の腕じゃないと泣き止まないんだ」
「口は固いほうか?」
「ええ。この子は優秀なメイドですよ。メイドにするのが惜しいほどです」
「あなたが言うならそうなのだろうな」
「行きましょう」
三人が塔に向かって歩き出した。
(*'ω'*)
一方、塔ではすでにクレアが七人兄弟に囲まれていた。
「いや!!!!!」
七人兄弟はわがままな姫に困った顔をした。
「この子は、あたくしの妹なの!」
「クレア、何度も言ってるだろう。その子はロザリーじゃないんだよ」
「先生のばか! この子はロザリーだもん!」
「ほーら、クレア、そんなに怒鳴るとその子が起きてしまうよ?」
「ごきげんのばか! 近づかないで!」
「わかった、わかった。クレアや。わしと一緒に昼寝でもしよう。ふああ」
「ねぼすけのばか! あたくしは寝るならこの子と寝る!」
「クレア、あの、いいかい、あの、……あっ、目が合っちゃった。いやん」
「てれすけのばか! さっさと出ていって!」
「はっくしゅん!」
「くしゃみのばか! くしゃみするならあっちいって! ロザリーが起きちゃうでしょ!」
「クレアはどうしてそんなに怒ってるんだい? 私達はただ、その赤ん坊を渡してくれと言ってるだけなのに」
「おとぼけのばか!」
「怒られちゃった」
「クレア」
ビリーがクレアを見下ろす。
「いい加減にしなさい」
「いや!」
クレアが赤ん坊を抱きしめる。
「この子は、あたくしのものなの!」
クレアの目が潤んでいく。
「あたくしの……ものなんだもん……!」
赤ん坊にうずくまってしまう。
「ぐすん……! ぐすん……!」
「クレアや、その子はロザリーじゃない。元いた場所に戻してきなさい。その子を連れてきた方が、きっと心配している」
「この子は、あたくしを愛してるんだ。あたくしだけを愛してるの」
離すものか。
「ぐすん……! だから、あたくしはこの子と生きていくの……!」
「はあ……」
「見ろ、怒りん坊が苦戦してるぞ」
「あいつ、昔は血も涙もなかったのに」
「なんだかんだクレアが可愛いんだろうな。スノウの娘だから。ふああ」
「はっくしゅん!」
「なんでクレアは泣いてるんだい? クレアや、よしよし」
「兄さん達、……ちょっと黙っててくれ」
「「ふう! 久しぶりに怒りん坊が睨んできたぞ!」」
ビリーがため息を吐き、クレアの前に座り込んだ。
「クレア、その子には帰るべき場所がある。そこに帰してあげないと、その子が可哀想だ」
「可哀想じゃない。この子はここで生きていくんだ。あたくしの妹だからな」
「クレアや」
「これからは可愛いドレスをいっぱい着せて、髪の毛だって伸びてきたらあたくしが整えてあげるの」
「だめだよ。クレア。その子はそれを望んでない」
「あたくしが望んでる」
「だめだよ」
「うるさいな」
クレアの目がぎらりと光る。
「あたくしをここに閉じ込めているのは、お前たちではないか」
ならばいいじゃないか。あたくしが邪魔なんだろう?
「あたくしの小さな願いを叶えてくれたって、いいじゃないか」
この子には叶えられる。あたくしを愛してくれる。その倍、あたくしはこの子を愛する。
「これ以上あたくし達に近づくなら……」
クレアの髪の毛がふわりと揺れ、空気が重くなるのを七人兄弟が感じた。
「殺す」
「っ」
赤ん坊が目を覚ました。
「あら? 起きたの? ロザリー」
「……ふえ……」
赤ん坊の目が潤んだ。
「ふええええん!」
「ま! どうしたの? じいや達が嫌だったのか? うん。そうに決まってる」
「うびゃあああ!!」
「よしよし。ロザリー」
「びええええええん!」
「……」
クレアがビリーを見上げた。
「泣き止まない」
「先生」
「貸しなさい」
バドルフが赤ん坊を抱きしめ、背中をとんとん叩く。
「よーしよし」
「ふえん! ぐすん! うびゃあ!」
「よしよし」
「ふうん! ぐすん!」
「よしよし」
「ひゃあん!」
「よしよし、よーしよし」
「……ふう」
しばらくして赤ん坊が泣き止み、クレアがバドルフの後ろに回って赤ん坊の顔を見上げた。
「ロザリー、もういいの?」
「ぷう」
「そうか。ならあたくしの腕に戻っておいで。先生、返して」
「だめだ。迎えも来ている」
「返して!」
「ビリー」
「ああ、任せろ」
バドルフが赤ん坊を連れて部屋から出ていく。それを追いかけようとするクレアをビリーが掴んだ。
「ほれ、だめだよ。クレアや」
「離して! ロザリーが行っちゃう!」
「言ってるだろ。あれはロザリーじゃない」
「違うもん! ロザリーだもん! あたくしの妹だもん!」
バドルフが出ていく。
「だめ! 連れて行かないで!」
扉が閉まっていく。
「だめーーーーーーーーー!!」
小さな彼女の悲鳴に混じった叫び声は虚しく響き、扉が重く閉じられた。
(*'ω'*)
バドルフが赤ん坊を連れ、エレベーターで下りていく。その先に、第三騎士団長と、部下であるダレンとメイドが待っていた。ダレンの姿を見て、バドルフがきょとんとする。
「おや、これはこれはルイ団長と……ダレン?」
「ああ、バドルフ! 実は……あ! テリー!」
「何だって!? この子はテリーだったのか!?」
「何言ってるんだよ! あんた、産まれた時、見に来たじゃないか!」
「あ、あれからしばらく見てなかったから……。そうか。お前の娘だったか」
「一安心だな」
「ああ、よかった。テリー……」
ルイが肩をすくませ、ダレンがテリーを抱きしめる。すると突然、テリーが泣き出した。
「びゃああああ!」
「ああ、怖かったな。ごめんな。テリー」
「びゃあああ!!」
「あれ、泣き止まない。おー、よしよし!」
「びゃあああああああ!!」
「……あれー? テリー、パパだぞ? んー! よちよちよちー!」
「びゃあああああああああ!! やあああああ!!」
「……あれー……?」
「お前、嫌われてるんじゃないか?」
「……そんなわけないよなー? テリー? パパのこと、大好きだもんなー?」
「……旦那様」
「ん? どうした。サリア」
「おむつかと……」
「……」
場所を借りてサリアがおむつを取り替える。はあ。すっきり。
「ぷう」
「ふふっ。テリー、ごきげんだな。すっきりしたのか?」
「お嬢様、もう離れてはいけませんよ」
サリアが紐を結び直し、テリーを抱えた。その姿をバドルフが観察していた。
「器用なものだな。サリア」
「はい。もう慣れました」
「迷惑をかけたな。ダレン。このことは……」
「サリアは口が固い。大丈夫だ」
「ふむ。それはよかった。ルイ団長もありがとう。面倒をかけた」
「とんでもないことでございます。友人のためですから」
エレベーターが下りてきた。
「ん?」
「おや、誰かな?」
「サリア、テリーを頼む」
「かしこまりました」
ダレンとバドルフとルイがエレベーターの前に歩いていけば、ビリーにおんぶをされた涙目のクレアが一階に下りてきた。その姿を見てルイが慌てて跪く。ダレンも膝を地面にこすりつけた。
「「我らが愛しの姫君! ご挨拶申し上げます!」」
二人の跪く男を見てから、ビリーとクレアが、遠くの椅子に座るサリアに抱えられるテリーを見た。サリアはテリーをあやすことに集中して、こちらには気づいていない。ビリーとクレアが互いを見る。
「ほれ、クレアや。あの子はロザリーではない。帰るべき場所があるんだ」
「……」
「貴殿は、ベックス男爵だったな」
「はい。ビリー様」
「あれは貴殿の娘であったか」
「さようでございます」
「我らが愛する姫、クレアが迷惑をかけた。謝罪をさせていただきたい。申し訳なかった」
「とんでもないことでございます。娘は無事でしたので、これでこの件は終わりに」
「じいや」
クレアがビリーの背中から下り、ぐすんと鼻をすすり、跪くダレンの前に立った。
「……あの子があたくしの存在を忘れないように、これを渡しておくわ」
それは、発行されなかった新聞記事。
「あたくしがいたから、誰も見ることのなかった新聞だって、母上が言ってた」
その写真には、クレアが写っていた。
「あの子はあたくしのものよ。今はお前に預けるわ」
クレアがむすっとして、また目を潤ませ、ビリーに抱きついた。
「ぐすん! ぐすん!」
「いい子じゃな。クレア。さ、部屋に戻ろう」
「ひえん」
――テリーの声にクレアがはっとして、急にビリーから離れ、サリアに向かって走っていった。サリアが足音に気づいて、初めて振り向いた。そこには、絵本から飛び出したかのような、美しい姫が走ってきて、テリーの顔を覗き込んできた。サリアは驚いた。今まで見てきたどの人物よりも美しい姫君に。
「ふぁ、あっ」
「さようなら、ロザリー」
姫がテリーの額にキスをした。
「さようなら」
うるりと目を潤ませ、サリアのことは見ず、テリーだけを物欲しそうに見つめ、だが視界から外し、ビリーへと走り、また抱きついて泣きすすった。
「ぐすん! ぐすん!」
「部屋へ戻ろう。クレア」
「ダレン」
バドルフが新聞記事を見下ろした。
「ここで、管理するか?」
「いや、私の部屋で厳重に管理しておこう。……またしばらくしたら妻も娘達も島に帰ってしまうから、大丈夫だろう」
「そうか」
「……サリア」
サリアがテリーを抱えて立ち上がり、ダレンを見上げた。
「この新聞記事は、私の部屋に置いておく。これは、誰にも知られてはいけないものだ」
「はい」
「もしも私に何かあった場合、……君が処分してくれ」
「……かしこまりました」
「……はあ。でも何事もなくてよかったよ」
ダレンがテリーの頬をつついた。
「テリー、今日は定時で帰れそうだから、一緒に晩御飯を食べような?」
「ぷい」
「ああ、可愛いなあ。テリー、でへへへ」
「アメリアヌ様も来ております。お会いになりますか?」
「もちろんだ。ああ、娘達に囲まれて、私は幸せものだ。どうだ。バドルフ、娘二人を持つ父親は忙しいんだ! 今日は絶対に残業しないぞ!」
「わかったわかった。さっさと行け」
「行くぞ。ダレン」
「ああ、ルイ。本当に助かったよ。今度おごるよ」
「期待しているよ」
テリーを連れてみんな去っていく。残されたクレアは膝を抱えながらすすり泣き、七人兄弟に囲まれていた。
「もう泣き止みなさい」
「今日はみんなで一緒に寝よう」
「そうだ。それがいい。ふああ」
「みんなで一緒に寝るなんて久しぶりだのう。……きゃっ」
「はっくしゅん!」
「ほら、クレアや、どうしてそんなに悲しいんだい? 一緒に歌でも歌おう」
「クレアや」
クレアがベッドに潜った。
「……これはしばらく塞ぎこむな」
ビリーがため息をつく姿を見て、バドルフが思った。
――あいつに頼んでおこう。クレアが心を開けるのは、『ミスター・ゲイ』だけだ。
こんなにも愛に飢えているなんて可哀想に。
(今夜は七人で励ましてやるか)
そう思い、バドルフがクレアの震える肩をそっと撫でたのであった。
(*'ω'*)
(……平和だのう)
ビリーがパイプを蒸す。
(そういえば兄さん達から手紙が来ていたな。やれやれ。なんて返事を書くか……)
「じいじ!」
「ん」
顔を向ければ、よく知っている顔の彼女が歩いてくる。
「ああ、テリー」
「近くを通ったから」
「ゼリーがあるよ。食べるかい?」
「ゼリーですって?」
テリーが鼻で笑った。
「ゼリーだなんて子供くさいわね! でもせっかく誘っていただいたんだし、貴族の令嬢としてここは誘いに乗ってあげなくもなくってよ! ちなみに何味?」
「りんごだが、いいかい?」
「うん!!!!!」
「あの方はいらっしゃらないが」
「ううん。別に会いに来たわけじゃないし、どうでもいいわ」
「……そうかい。……ところでテリーや」
「ん?」
「兄弟達から手紙が来てのう。……何を書いたらいいか、アドバイスをくれんか?」
「あたしよりもじいじのほうがそういうの得意でしょ?」
「いやいや、もう年寄りだからのう」
「よく言うわよ」
「お前は三人姉妹だろ。手紙交換はしないのか? 女の子が好きそうだ」
「……手紙交換なんて、ニクスくらいよ」
「ほう。そうだったか。いや、しかし、困ったのう。バドルフからも来てな」
「バドルフ様から?」
「兄弟揃って考えることは一緒らしい。今年のキッドの誕生日は行けるかもしれない。いつやるんだ? と」
「来るの? じいじがいっぱい」
「ああ、私と同じ顔だらけのじじいばかりがな」
「見分けがつかなくなりそう」
「テリーとも会いたいそうだ。孫同然のキッドの婚約者だからの」
「キッドとの婚約は解消したわ。あたしは無関係よ」
「クレアとは、そうじゃないだろ?」
「……挨拶が大変そう」
「昔と比べたらあいつも成長したわい。昔はとんだ赤ん坊さらいでの」
「赤ん坊さらい?」
「いつの話だったかな? 確か、クレアがロザリー人形をもらうきっかけになった出来事だったんたが……」
それは昔のお話。
愛に飢えたお姫様と、まだまだ言葉も話せなかった赤ん坊の、ほんの少しの誘拐事件。
「ただいまー。いやー、今日は書類仕事が早く終わってさー」
ビリーとテリーが振り向いた先から、キッドが歩いてくる。青い瞳がベンチに座ったテリーを見た途端、光り輝いた。
「テリー!」
「げっ」
(……平和だのう)
暖かな日差しと、おいかけっこをする若い二人に囲まれながら、ビリーが息を吐いた。
昔のお話 END
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