EMQ:悪魔の軍勢討伐 その2

「……おや」


「……!」


カタナを下げたラディスさん、何か大きな荷物を背負ったフロワちゃん、そして杖を握りしめる私。


森の中を三人で歩いていると、木々の間にちらりと黒い魔力が見えた。


黒い魔力、間違いない。イブリスさんがこの近くで魔法を使った証拠だ。あるいは悪魔の軍勢が使ったものか。どちらにせよ方向は間違いない様だ。


それからは森を進むたび、辺りの景色が劇的に変わっていく。青々しく茂っていた草木はそのすべてが黒く染まってゆき、それに比例して空気が次第に重くなっていく。


「周辺に瘴気の影響が色濃く残っているようです。サラ様、ご注意を」


「……?それって、瘴気が人に不治の後遺症を残すっていう……?え?」


フロワちゃんの警告とほぼ同時に、木が軋むような音が耳に入る。


自分たちの他に誰かいる?


いや、それは考えにくい。度々聞こえるイブリスさんの銃声はまだ少し遠くだし、かといってこんな様子の森に入るような人間もいないだろう。


考えている間にも木が軋む音は大きくなっていく。


その時である。


「……後ろですっ!」


「きゃっ……!?」


ラディスさんの声に振り向く私。背後には太い木の枝が迫っていた。


黒く変色した木が枝を腕の様に振り回し、私に襲い掛かってきていたのだ。木が軋む音の正体はこれか。


駄目だ、避けられない。私は咄嗟に目を瞑る。


その直後、枝に殴られたことによる大きな痛みが……


……痛みが。


「……痛く、ない?」


目を開けてみると、私に襲い掛かった枝は綺麗に切り裂かれていた。


「やれやれ、危機一髪ですね」


カタナの柄に手をかけたラディスさんが呟く。危ないところだったが、ラディスさんが助けてくれたようだ。


「こういう事です。瘴気の影響を受けたものはどう動くかわからないんですよ……怪我がなくてよかった」


「長居は禁物です、主様」


「ええ、急いでいきましょう」


進むペースが小走りになる。銃声の源はすぐそこだ。


「……目、開けとけば良かったなぁ」


剣聖の一太刀を見逃してしまった後悔は胸にそっとしまっておいた。


* * *


「はぁ……はぁ……」


走る二人の背中を息を切らしながら追いかける。


これだけ走っているうえ、重い武器や荷物を持っているというのによく息切れしないものだ。特にフロワちゃんに関しては背負っている荷物のせいで姿が隠れてしまっている。


ラディスさんのカタナもスマートに見えて相当な重量のはずだ。ただの木の杖を使っている私より何倍も重いことだろう。


にもかかわらず涼しい顔で(二人の顔が見えないので推測ではあるが)走り続けている。それは二人が今まで相当な場数を踏んできたこと……熟練の冒険者であることの証明だった。


「森を抜けます」


フロワちゃんの呟きとともに、銃声が今までで最も大きく響く。


それと同時に周りを覆いつくしていた木々が途切れ、目の前に大きな広場が現れた。


木々と同じように、全てが黒く染まった草原。その真ん中によく知っている男性がいた。


「イブリスさん!」


「……っ!?サラちゃんか!?なんでここに!」


私の呼びかけに煙草をくわえたイブリスさんが振り返る。


体のところどころに新しい傷がついている。


服も土埃まみれである。転げまわった証拠だ。ラディスさんが言った通り、苦戦を強いられているらしい。


そんな状況にもかかわらずラディスさんはそんなイブリスさんにいつもの笑顔を向けている。


「煙草を吸いながら戦闘とは、随分と余裕があるようですね?」


「……っ!ラディィィィィィス!!」


ラディスさんが居ることに気づくと、イブリスさんの顔が途端に怒りに歪む。


「てめぇ!やっぱり騙しやがったのか!何のつもりだ!」


「いえいえ、騙してなどいませんよ、実際こうして”ここで”彼女を預かっているわけですからね」


「んな屁理屈が通用するとでも思ってんのか!」


声を荒げて怒鳴るイブリスさん。こんなにも怒り狂う彼を見ることになるとは思ってもみなかった。


「屁理屈だというのは構いませんが……」


イブリスさんはあまりにもすごい剣幕で怒り続ける。


そればかりに気を取られていたが、私は気づいてしまった。イブリスさんの後ろに、”それ”が居ることに。


「……後ろに気を付けてくださいよ?」


イブリスさんの後ろに、”悪魔”が居ることに、私は気づいてしまったのだ。


”それ”は私たちがよく見る魔物とは一線を画していた。


人型と四足歩行の中間のような猫背の出で立ち。皮膚は濁った緑色で牛や馬のような質感であり、瞳は黄色く、歯は狼のように鋭い。


動物からの突然変異で生まれ、動物の特徴を色濃く残す魔物とは全く違う。独特で禍々しい見た目である。


あれが、悪魔。


「ゲゲゲゲゲゲァァア!!」


「ちいっ!」


悪魔が右腕に黒いオーラを纏ってイブリスさんに飛び掛った。


イブリスさんはそれに対し、手を通して銃を放つことで対抗する。放たれた銃弾は悪魔が纏ったオーラと似た塊となり、飛び掛った悪魔の右手とぶつかる。


黒い力が混ざりあってあたりに低く、重厚で、なおかつとてつもなく不快な音が響いた。


「うっ……!?」


思わず耳をふさいでしまう。聞き続けていたら具合が悪くなりそうだ。


「共鳴反応」


ラディスさんが私に聞こえるように呟く。


「黒の魔力同士がぶつかり合うと共鳴反応が起きてあのような音が発生します。慣れるまで時間はかかるでしょうが瘴気と違って大きな害はありませんよ」


こちらに優しく微笑みかけるラディスさん。その言葉の通り、ラディスさんもフロワちゃんも耳はふさいでいない。


まあ、そうはいってもこの音はあまり気持ちのいいものではないが。


「悠長に解説してねぇでさっさと逃げろ!こいつ、一匹じゃない!!」


「えっ……?」


イブリスさんが忠告した直後だった。


「ゲァァア!」


「……!きゃあ!」


近くの茂みからもう一匹、悪魔が私めがけて飛び出してきたのだ。イブリスさんの悪魔と同じように黒い魔力が具現化したオーラを纏っている。


耳をふさいでいた私にはとっさの反応ができない。迫る悪魔。せめて一矢報いようと杖を構えたその時。


「フロワ」


「はい」


短い返事とともにフロワちゃんが動いた。


背負っていたものの布が取られ、中から折りたたまれた金属の板のようなものが現れる。


フロワちゃんが私と悪魔の前に割り込み、その板が展開された。


フロワちゃんが持っていたものは盾だった。私とフロワちゃん、両方の体がすっぽりと隠れる、巨大な盾である。


形自体はオーソドックスな盾と言えるだろう。しかしその大きさは明らかに異常。盾と言うよりは壁と言って差し支えないかもしれない。


「サラ様、お怪我はありませんか?」


「あ、う、うん……ありがとう」


フロワちゃんは相変わらず表情を変えない。


盾の大きさからして相当な重量であると予想されるが、フロワちゃんは苦しそうな様子もなく、汗一つかかずに支えている。それどころか私の心配をしてくれるほどの余裕まであるのだ。


「……んっ!」


フロワちゃんが反撃した。


盾を振り回し、悪魔を殴りつけたのだ。何かしらの武器ではなく、盾で、である。


「え、ええっ!?」


攻撃を喰らった悪魔が軽く数十メートルは吹っ飛ばされた。あの大きさの盾で殴られたのだから、それも当然といえば当然だろう。


驚くべきはその盾を軽々と振り回すフロワちゃんの剛腕だ。


「ふふっ」


ラディスさんの笑い声。


「驚きましたか?剣や魔法を使うだけが戦闘ではないのですよ」


「そ、それはそうですけど、でも盾って……」


「そうは思うでしょうが、しかし理にかなった戦い方でもあるのですよ」


悪魔に追撃を加えるフロワちゃん、そして別の悪魔と一進一退の攻防を繰り広げるイブリスさんを横目に話は続く。


「盾を武器にするという事は攻撃と同時に防御もできるという事。敵の攻撃を防ぎつつ、敵に攻撃ができるというのは戦闘において有利に動きやすいのです」


一方ではフロワちゃんの盾が悪魔の攻撃を弾き、一方ではイブリスさんの迎撃による共鳴反応が起こる。


「必要なのは、あの盾を扱う腕力と技量だけ」


悪魔が盾に押しつぶされたのは、その言葉の直後だった。


フロワちゃんが盾を畳み、こちらに戻ってきた。盾には悪魔の血がこびりつき、フリルが可愛らしいメイド服も所々血液で汚れてしまっている。悪魔も血は赤いらしい。


「イブリス、こちらは終わりましたよ」


イブリスさんもちょうど悪魔にとどめを刺したところらしい。しかし、その雰囲気が緩むことはない。


「馬鹿野郎……!これだけで済むならとっくに終わってる」


一匹だけではない。


二匹でもない。


相手は、悪魔の”軍勢”なのだから。


「おや」


「……」


「ひっ……!?」


気が付くと、私たちの周囲を10にも20にもなろうかという数の悪魔が取り囲んでいた。


「まさかこんなにも多くの悪魔が居るとは思いませんでしたね。応援に駆けつけて正解でした」


「てめぇ……最初からわかってやがったな……」


「いえいえそんな、夢にも思っていませんとも」


怒りの目を向けるイブリスさんに対して、ラディスさんはにこやかに返答する。


勿論、当の私はそんな二人に気を向ける余裕などない。視界を埋め尽くす悪魔の軍勢に立ちすくんでしまっている状態だ。


そんな私を守るかのように、再び盾を展開したフロワちゃんが警戒の目を光らせる。


「何にせよ、これを全滅させなければ事の解決になりません」


「それ以前に生きて帰ることすらできねぇな」


「ふふ、その通り。では」


ラディスさんがカタナの柄に手を掛ける。


「さっさと済ませてしまいましょう」


その瞬間、ラディスさんの前に居た悪魔たちが、横一線に断ち切られた。


上半身と下半身、身体が二つに綺麗に切り分けられ、周囲の悪魔たちが金切り声をあげる。


「悪魔は俺とラディスで片づける!サラちゃんはできる限りでいい、バフで援護を!フロワは全力でサラちゃんを守り切れ!」


「言われなくとも承知しております、イブリス様」


ラディスさんの一閃を合図にイブリスさんとフロワちゃんも動く。


数は圧倒的に不利。周囲を完全に囲まれて逃げることもできない。この四面楚歌の切羽詰まった状況で、しかし私は恐れるどころかある種の高揚を覚えていた。


(何、今の……斬りつけた瞬間どころか、カタナを抜いた瞬間すら見えなかった!)


悪魔を斬りつけた剣聖の一撃。それは私を興奮させるのに十分すぎた。


誰もが憧れる剣聖が今ここに居る。今、私は剣聖と共に戦えているのだ。

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