スヌーズ・メモリーズ

「はぁ……仕方ねぇ……が、サラちゃんは絶対に連れていかねぇぞ」


こうなった以上、俺は行くしかない。"機関"のトップが受領印を押した目の前の書状には、それ相応の強制力があるのだ。


だが、サラちゃんが悪魔の軍勢を相手にするのはいくらなんでも早すぎる。


まともに戦えないのだし、なにより危険だ。魔物を相手にするのとは訳が違う。


「その点に関しては心配なく。クエストの間は僕が彼女を預かろう」


それはそれで危険な気もする。


……まあ、腐っても"機関"のトップだ。何の罪もない冒険者に何かすることはないだろう。悪魔よりはよっぽど安全だ。


「……じゃあ、頼むか」


「お任せあれ……ああ、そういえば」


ラディスはわざとらしく人差し指をたてて、続けた。


「……彼女には、どれだけ話したんだい?」


糸目が少し開き、その奥にある鋭い瞳が姿を現す。


ぎらりと光るその瞳には、油断をすると喰われてしまいそうな狩人の雰囲気が宿っていた。


「……何も話してねぇよ」


「そうか、ならいいんだ」


目が閉じ、表情が再び張り付いたような笑顔に戻る。


……こいつの隠し事をしているような所も嫌いだが、それに関しては俺も人のことは言えない。


サラちゃんには隠している事が沢山ある。言っていないこと、そしてこれから言うこともないであろうこと。


……そしてそのほとんどは、決して俺からは言えないだろう。


「何も……話せねぇよ、俺ですら知らない事が多すぎる」


「……そうだろうね」


だが、確かに俺自身が隠していることが一つある。



……イブリス・コントラクターは、記憶喪失であるということだ。



俺は自分がいつから冒険者をやっているのか知らない。


どこで生まれたのかも知らないし、そもそもイブリスという名が本名であるかどうかもわからない。記憶を失った理由もだ。


……そして、黒属性を持っている理由も把握していない。


「ふふふ、さっき出会った経緯を聞かれたときは焦っただろうね」


「うるせぇ。てか知ってるなら俺にも教えろ」


当然こいつとの出会いも覚えていない。


ラディスのことがどうにも気持ち悪く感じる理由は恐らくここに集約されているのだろう。こいつは俺が知らない俺を知っている。俺ではない俺を知っている。


自分が知らない自分の過去を他人が知っていると言う感覚はどうにもいいものではない。


「さっき言っただろう?困ってた君を拾ってあげただけさ」


「はっ、言う気はないってことか」



困ってたから拾っただけだと?白々しい、どう考えても嘘をついている。こういうところも嫌いだ。


流石に苛ついてくる。煙草でも吸って気を紛らそう。


「……イブリス、ここは禁煙だ」


……と、思って咥えた煙草に火をつけようとするも、その前に取り上げられてしまった。仕方がない、後で吸うとしよう。


「まあ、とりあえずは何も話していないみたいだから心配はなさそうだね。ぼろだけは出さないように気をつけてくれ」


「言われなくても。で、その緊急クエストにはいつ行きゃいい?」


「今だ。馬車の手配も済んでいる」


「だろうな」


少々余計な質問だった。緊急なのだから今すぐ行かずにいつ行くと言う話である。


「……サラちゃんのことが心配かい?」


「お前に何かされないか心配だな」


「あはは、僕にはそんな趣味はないよ」


あんな少女にメイド服着せてる奴が何を言ってる。


「大丈夫だよ、彼女に危害は加えない。約束するよ」


「……わかった。ならクエストの間サラちゃんは預ける」


このまま話を引き伸ばしても埒が明かない。少々不安が残るが出発することにしよう。速攻で終わらせてすぐに戻ってこれば大丈夫だろう。


「じゃあ、頼んだよ」


「……ああ」


俺はラディスから馬車の乗車券を受け取り、部屋を後にする。


……思えばこの時、少しでもラディスを疑っておくべきだったのかもしれない。

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