コネクション・コミュニケーション
「え、あ、あの!」
私は軽くパニック状態に陥っていた。
本物だ。本物の剣聖だ。
幾度となく街を救い、幾度となく人命を救い、幾度となく世界を救った英雄が、今、私の目の前に居る。私の名を呼んでいる。
「ラディス、今日は一体何の用だ」
と、私が舞い上がる隣で、イブリスさんが質問を投げかけた。
その声はドスが効いており、敵意すら感じられるものだ。
……やっぱり、フロワちゃんと会ったときからイブリスさんの機嫌が悪い。二人の間に何らかの交流があるのは確定だ。
相手は剣聖だし、黒属性持ちのイブリスさんとは敵対関係にあったりするのだろうか?
「まあまあ焦らないで。ちょうど昼食の時間です、食事でもしながらゆっくり話しましょう。フロワ、用意を」
「はい主様」
しかしラディスさんは動じず、笑顔を崩さずにフロワちゃんに指示を出す。
その指示に返事をしたフロワちゃんは、私たちが入ってきたものとは違う扉から部屋を出ていった。恐らく隣の部屋と直接つながっている物だろう。
「大きなお世話だ。さっさと用件だけ話してもらおう」
「お代はいただきませんよ?」
「しょうがねえな飯だけだぞ」
即答だった。機嫌が悪くてもお金が絡むと目がくらむのは変わらないようだ。
「ほらほら、どうぞこちらへ。サラちゃんも」
「え、あ、はい」
ラディスさんが立ち上がり、ソファへと移動する。私たちはその反対側のソファに誘導され、そのまま席に着いた。
次いでフロワちゃんが食事の乗ったワゴンを押してやってくる。
「やけに早いな」
「貴方たちを迎えに行かせる前に作ってもらっておいたんですよ」
「ふん……最初から食事で拘束するつもりだったのか」
「こうでもしないと話も聞かずに帰ってしまう可能性がありますからね。特に……弟子を持った、今では」
「……わかってんじゃねぇか」
「……?」
二人は何を話しているのだろう?
私が居るから、話を聞かずに帰る……とは、いったいどういった意味なのだろうか?
「……どうぞ」
フロワちゃんが食事を配ってくれる。あつあつの鉄板に乗ったステーキのようだ。
小ぶりだが色、形ともに整っている。食器とともに明らかな高級品である。
「うわぁ……!こんなに豪華なもの……」
「ふふ、遠慮しないでいいんですよ」
ラディスさんが相変わらずの笑顔で語り掛けてくる。
ちらりとイブリスさんの方を見るが、そちらは迷うことなく食事に手を付けていた。機嫌こそ悪くしていても、警戒をする必要はないようだ。
「ん……流石に美味いな」
「光栄です。貴方たちのために用意しましたからね……ああ、フロワも食べていいんですよ」
「……はい」
ラディスさんの近くで待機していたフロワちゃんも私たちと向き合う形でソファに座り、自分の分の食事に手を付け始めた。
「で、用件は?」
「全くせっかちな人だ……まあいいでしょう」
ラディスさんは一度口を拭いて話を進める。
「貴方たちを呼んだ理由は二つ……一つ目は、まあ大した用事ではありません。貴方が弟子をとったと聞いたもので、その顔を見ておこうとね」
「……本当に大した用事じゃねぇな。それだけなら宿まで見にこりゃいいものを」
「ははは、なにぶん有名人なもので。迂闊に外にはでられないのです」
確かにこの世界ではその名を知らぬものは居ないほどの人物だ。気軽に街を散策できるような人ではないだろう。そんなことになったらファンがこぞって集まってきて大騒ぎどころの話ではない。
「もう一つは……とりあえず後回しでいいでしょう。それよりイブリス」
「あん?」
「お弟子さんが状況をつかめていないような顔をしてますが、まさか説明していないんですか?」
「……あー」
イブリスさんと私が同時にお互いの顔を見た。
図らずも目があう。イブリスさんが顔に浮かべていた表情は困ったようなものだった。
「……そうだな、説明しておくか。前に受付の嬢ちゃん……セレナちゃんが言ってただろ、『どうして拘束とか監視とかされてないのか不思議』つってな」
「はい、覚えてます」
確かに、セレナさんのいう事も最もだ。
いくらイブリスさんの人が良くても、黒属性は人類を脅かす敵の持つ属性。そんなものを持っているというのに何も対策が取られていないというのはおかしな話である。
「ま、結論から言えばこれがその理由だ」
「僕が色々なところで彼を庇ってあげてるんですよ。冒険者証も僕の権限で発行しました」
「そういうこと。こいつとコネを持ってるからこそ俺は自由に冒険者やれてんのさ……ま、ある意味監視とも言えるがね」
「人聞きが悪いですね。監視なんてしているつもりはありませんよ」
「どうだか」
ラディスさんの言葉には相変わらずとげのある返答をするイブリスさん。
よほど嫌いなのだろう。今までの会話から痛いほどに伝わってくる。なぜ嫌っているのかはよくわからないが。
「でも、二人はどうやって知り合ったんですか?」
イブリスさんがお咎めなしで居られる理由は分かった。
しかし、そうなるまでに至った経緯はどうなのだろう?まさか最初からこういった関係でいたわけではあるまい。
「あー……それは……」
イブリスさんがいきなり口ごもる。
言いたくない、という様子ではない。それよりも、ただ単純に言えないといったような口ごもり方である。
「……」
しばらく沈黙した後、イブリスさんから助けを求めるかのような視線がラディスさんに送られる。
ラディスさんはくすっと笑うとその助けに応じた。
「僕がイブリスの噂を聞いて拾ってあげたんですよ」
「あ……ああ、そう、そうなんだ。恩着せがましい言い方なのがむかつくが」
「……そう、ですか」
流石に誤魔化された気分しか感じない。
まあ、言いたくないことの一つや二つあって当然とも思えるし、追及するのはよそう。いつか話してくれればいいのだ。
……ちなみにフロワちゃんは口を挟まず、黙々とご飯を食べ続けている。
「それで、他に何か聞きたいことはありますか?」
ラディスさんの言葉に、少しだけ頭を悩ませる。
聞きたいことはある。大いにある。出会ってから数日間しか経っていないとはいえ、私はイブリスさんのことを何一つといって良いほど知らなさ過ぎるのだ。
……うん、迷っていても仕方が無い。聞けるときに聞いておくべきだろう。
「……じゃあ、イブリスさんの属性について」
その質問を口にした瞬間、その場の空気が凍りつくのを感じた。
イブリスさんとラディスさん、両方が私を睨みつけているかのようだ。二人がこの緊迫した雰囲気を生み出しているのだ。
「いえ、申し訳ないですがそれについては僕はわかりませんね。本人も頑なに言おうとしないもので」
嘘だ。
いや、厳密に言えば後半部分は嘘ではない。イブリスさんはこの話題について口を開くことは無いだろう。
だがわからないというのは確実に偽りの言葉。本当に知らないのだとしたらこんな空気を生み出す訳が無い。
「……わかりました」
この二人は隠しごとをどれだけ抱えているのだろう。決して口外してはいけないようなものを、どれだけ背負っているのだろう。
私はまだまだ未熟だ。なにも背負うものを持たず、背負う力すらも持たない。
でも、だからこそイブリスさんに師事する。背負う力を持ち、いつかその隠しごとすら聞きだせるほどの人間になって、イブリスさんに恩返しをしなければ。
……冒険者を続ける理由が、また一つ増えてしまったようだ。
* * *
それから少し時間がたった。いつの間にか張り詰めた空気は消え去り、ラディスさんの雰囲気も優しく、柔らかいものに戻っていた。
……ちなみにその笑顔は顔を合わせてから今まで一切崩れたことがない。先ほどの雰囲気の中ですら笑顔だけは保たれていた。そう、不気味なほどに。
「とりあえず、こんなもので良いでしょうかね」
「あ……」
正直、聞きたいことはまだ山ほどあるのだが。
なにせ相手は冒険者のトップだ。揺すれば参考になる話がぼろぼろと出てくるだろう。
だが今回の質問はイブリスさんについてのことがメインだ。冒険者としてのアドバイスはまた次の機会があればそのときにお願いしよう。
「さて、それじゃあ二つ目の用件に移らせていただきましょうかね」
ステーキの鉄板は既に下げられ、机にはデザートのショートケーキと紅茶が用意されている。これもフロワちゃんが全てやってくれたものだ。
気づかないほどにさりげなく、そして迅速な動き。メイドとしてはかなりできる子なのだろう。見た目以外、とても同年代には思えない。
ああ、しまった。彼女のことについても聞いておけばよかった。そんな後悔が頭をよぎるが、流石にもう遅かった。
「あー……ラディス」
「はい?」
「二つ目の用件に関してだが……サラちゃん抜きで話せるか?」
「ええっ!?」
思わず叫んでしまった。
それもそうだ。その用件が何かは知らないが、私だけ仲間はずれというのは少々酷くないだろうか?
「すまねぇなサラちゃん。仲間はずれってのはあまりいい気分じゃないだろうが今回は我慢してくれ」
「む……」
……イブリスさんの表情はいたって真剣である。意地悪で言っているわけではなさそうだ。
なら、私がここでわがままを言うのも失礼か。
「……わかりましたよぉ」
「悪いな」
「……そうですね。ならフロワ、彼女を別室に案内してあげてください。君も一緒にいれば寂しくは無いでしょう」
「はい、主様」
フロワちゃんが私とフロワちゃんのぶんの食器をワゴンに乗せる。移動先に持って行ってくれるらしい。よかった、ケーキは食べられるようだ。
「ではサラ様。こちらへどうぞ」
私はイブリスさんと目で挨拶を交わし、部屋をあとにした。
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