第2話 出会い

 まず始めに聴覚が覚醒した。

 いくつもの音が混じり合ってできた雑音は、少しずつ輪郭を持つようになる。小鳥の鳴き声、揺れる葉のこすれる音、荒い息遣い、それからぽかぽかと地を蹴る音も聞こえた。

 次に、獣臭さに土の匂いが鼻に感じられた。

 そして、ようやく焦点が合うようになった目で周囲を見渡せば、私は広い草原の中を一人、馬に揺られていた。

「ここは、どこだ?」

 鈍痛がある頭をもたげて、もう一度辺りを見渡す。腰丈ほどの草花の中にまばらに数本の木が育ち、小鳥たちはその周囲を飛び回っていた。しかしその中に目印となるものはない。

 懐から手のひらほどの大きさの丸い魔道具を取り出して、横に突き出たつまみを回す。

『ベリトの月 第二エセノの日』

 魔道具に浮かび上がる文字は日付を表し、それによれば新都を出てから既に二十日が経過していて、私が魔人でなければ空腹でとっくに死んでいた。

 私は二十日前、残虐で無能な陛下を殺そうとし、そして失敗したのだ・・・

結局、戦争は止まらず、意識を失ったまま、時間を無駄に浪費したということだ。もはや手遅れかもしれなかい。また、罪のない命が失われてゆく・・・

 行く先どころか今いる場所すらもわからないので、仕方なく私は、遣る瀬やるせ無さと共に、馬の気の向くままに運ばれていった。

 幾分か温かさを感じる柔らかい風が、ゆったりと草原を流れ、草花を波立たせる。すると草花はサワサワと音を立てながら頭を揺らし、馬の足音の単調なリズムと重なった。

 しかし、忽然こつぜんとして、一つの悲鳴がその穏やかな音に紛れ、耳に届き

「走れ!」

 馬の腹を蹴り、体をかがめ、走った。手綱を操り、悲鳴の元を目指す。

魔力を全身にめぐらせ、身体を強化し、遠くまで見通せるようになった目で先を見つめた。

「ヒッ、くるなぁ!!」

 黒い毛皮の獣に男が追われ、草原を走っていた。彼は何かに足をつまずかせ、地面を転がり草花の中に埋もれ、そして獣は彼に迫り前足を振り上げる!

 しかしまだ彼と私との距離は大きく、

『ルアハ・チェイム』

 左手を前に突き出し唱える。左手から放たれた風の矢は、風を切り裂くように進み、振り下ろされる獣の腕に突き刺さる!

 獣は雄叫びをあげ、興味を男から私に移し、そして私めがけ、走り出した。

 熊に似た姿だ。だがその体は悠に馬の三倍はあるだろう。巨大という言葉が陳腐なほど大きな獣は、開かれた口からヨダレを播き散らし唸り声をあげ、目を赤く血走らせて、大地を蹴り飛ばす。漂う気配からして、明らかに普通のクマではない。

 魔獣だ。

 強力で獰猛、動くものを見たら襲わずにはいられない、そう言った獣を魔獣と呼び、彼らの目は赤かった。

 奴の一歩で大地は揺れ低い音が辺りに響き、怯える馬の首筋を撫でつけ、手綱を握りしめて、迫る奴に向け走らせる。

奴もまた、非常な速さで襲いかからんとする。

 距離はどんどん縮まり、奴の鋭い牙すらも鮮明に映り、

「はっ!」

再び馬の腹を蹴る。

 剣を腰から右手に抜いて、刃を寝かせ、

『アダマ・キドネル』

 まさに衝突寸前、奴の唾が顔にかかるほど接近した時、魔術で大地から土の槍を作り出し、奴の腹を狙った!

魔獣の強靭な毛皮は鉄よりも硬く、迫る土の槍は毛皮に当たって砕け散り、しかしほんの僅かに奴は足を緩め隙を見せた!

 そこに馬を走らせ、すれ違いざまに、剣を振り上げる。

 剣は奴の首を刎ねようとして、やはり鋼のように硬い皮に阻まれ止まり、

「ふっ!!」

息を吐き出すとともに、それを全身に力を込め強引にふるった。

 すれ違い、奴の体は背後に流れ、そして大きな音とともに地に倒れた。振り返れば、首のあたりから血が流れ出て、草花を赤く染めていた。

 奴の死を、体から魔力が消えるのを見て確認し、倒れる男の元に膝いた。

 彼は恐怖のせいか、白目を剥き、意識をなくしていた。股間のあたりが湿っていることは無視しよう。

 彼の頭を起こし、

「だいじょ・・・」

 彼の中途半端に開かれたままの目に見える瞳の色は薄い褐色だった!!

 薄い麻のシャツにズボンだけを見にまとったこの男は、つまり近隣の村の住民で、そしてこの辺りは、すでに前線を超え卑人の領地ということ。

 目に手を当て、呪文を口にする。それは擬態の魔術で、これによって私の目の色が目の前の男と同じ薄い褐色にかえる。

「ん?ここは天国だべ?」

「おはよう、大丈夫ですか?」

 ちょうど魔術を完全にかけ終えた頃、素っ頓狂なことを口にして男が目を覚ました。

「おめえさん、誰だべ?」

「通りすがりにあなたが襲われているのを見かけて。立てますか?」

「たてるじ。」

 しかし、どうも足を挫いてしまったようで、

「ぐへぇ!」

 情けない声とともに地面にまた倒れてしまった。

「馬があるので、よかったら運びます。肩に捕まってください。」

 馬を呼び寄せて、異様なほど軽い彼の体を持ち上げ、馬にくくりつけ、手綱を手に歩き出す、

 それから死体となった獣に近づき、周りの草を剣で切り払って死体にかぶせ、擬態の魔術を使っているせいで他の魔術が使えないから、仕方なく石を打ち鳴らして火をつけた。

「あめえさん、あれを倒しちまうなんて、強えんだな。なにもんだべ?」

「ただの傭兵ですよ。」

 根無し草で身分もはっきりしない傭兵は偽りに都合がいい。

「そりゃすげえだな。」

 そうして、彼といくつかの言葉を交わしながら草原をゆっくりと進み、川を一つ超え、また草の合間を歩いて、東にあった太陽が西に傾き地の端に近づく頃、一つの村が見えた。

「あれが、おらっちおれの家だに。」

 周りを広い田畑に囲まれその中央にいくつかの家屋があるだけの小さな村で、細いあぜ道を馬を引いて男の指差す家に向かう。

 木の板を立ててその上に藁を乗せただけの小さな家。その戸を男の代わりに叩く。

「はいよ、こんな時間に誰だべ?」

「ここの家の主人をそこの草原で拾ってね。」

怪訝な顔をして扉から現れた少女。

とっさおとうさん!!どこさいとったのよぉ、心配しとっただに〜。」

 栗毛の幼い彼女は戸を開け、男の姿を認めるやいなや、馬に駆け寄ってお互いに手を取り合って、

「おめえさんが、助けてくれただべ?」

「そうだ、このあっさおにいさんはめた強えんだに。お礼さするに、ささ、入っとくれ。」

 言われるがまま、私は馬を家の裏にくくりつけ、足がまだ上手に動かせない彼をおぶって家の中に入った。

 質素なあばら家で、窓など一つもないのに、夜が近づき冷たくなった風が壁や戸の隙間から吹き込み、囲炉裏の炎を揺らした。

 囲炉裏の隣に男を下ろし、赤く腫れた足を触る。骨に異常は感じず、やはりただひねっただけだろう。

「冷えた水と布とこれくらいの棒を持ってきてもらえる?」

 水で布を濡らし足首に巻いて、木の棒で固定する。

「これで二、三日もすれば腫れも引くはずです。それまでは無理せず安静にしていてください。」

「ありがてえ、助かっただに。」

 それを聞いて、暇を告げようと立ち上がった私は、しかし少女によって囲炉裏に座らされ、

「てえした物じゃねえけど、おあがりて。」

 差し出された椀には麦粥が盛られ、

「とても美味しいよ、ありがとう。」

「ありがとうなんて、ほんとてえした物じゃねぇべ。」

 少女はソバカスだらけのこけた頬を緩めて笑った。

 見れば椀を差し出す少女の腕は骨が浮き出るほど細く、目元も落ち窪み肌はガサガサに荒れている。椀の中身も、大麦の他は野草がほとんどだった。

少女が男と自分の椀に粥を盛り付けて、私は食事にありついた。二十日分の空腹は適度なスパイスになる。

「そいで、オラがもうダメだって時に、あっさが剣で・・・」

 自身は気絶していたにも関わらず、男が少女に今日あった事を身振り手振りで大袈裟に伝え、私はそれに相槌を打つ。

 囲炉裏の炎がパチリと音を立てて弾け、ゆらゆら形を変えて揺れる炎を見つめると不思議と穏やかな気持ちになって、ようやく全てを語り終えた男は、自由さを見せ、船を漕ぎ出した。

「あっさはなんでさ、こげんところに来ただべ?」

「仲間とはぐれて、気づいたら道に迷ってしまってね。」

 本当に仲間とはぐれたなら、そいつはよほど間抜けな傭兵で、そんな奴が戦場で生き残れるはずもない、などと心の内で笑う。

「そらこまっただな・・・。」

 呟いたきり口をつぐんだ彼女は私の器をとって、木の匙を囲炉裏の鍋の中に突っ込んで、底から掬った麦粥を注いだ。

「ここは戦場に近いの?」

「いんや、歩いてなから三日はかかるだに。」

 また会話が途絶えてしまい、隣から聞こえる寝息がやたら大きく響いて聞こえ、それに少し気まずさを感じて、

「ここには君とお父さんの二人で暮らしてるの?」

「んだ。あにさが二人おったけどみんな戦争さ行っちまった・・・」

「そっか・・・」

 藪蛇だった。余計に気まずい沈黙があたりを重苦しく包み、今度は息苦しさを感じ、しかし、

「んだんだ、」と彼女がポツポツと話し出した。

 体勢が悪かったのか、隣で男が身じろぎを一つ。

「戦争はみんな持ってちまっただら。あにさも、かっさお母さんも、食いもんも全部なくなっちまっただら。全部・・・」

 彼女はじっと炎を見つめ、意味もなく鍋の底をゆっくりかき回している。すると中身が数滴飛び跳ねて、囲炉裏の中に落ち、ジュッと音を立てて薪にコゲ跡を残し、消えて無くなった。

「あいつらの、魔人のせいだに。魔王がいなば、よかっただな。」

 ずっと船を漕いでいた男はいびきをかき始め、何やら訳のわからない寝言をつぶやき、少女と私はお互い目を合わせて静かに笑った。

「すまねぇ、しょうしいはずかしい話しだな。」

「いいや、戦争は誰だって嫌だよ。」

 立ち上がった少女は、部屋の奥から一枚の布を取り出して私に手渡し、これで寝てくれと言って、自分も布にくるまって囲炉裏の横ですぐに目を閉じて寝息を立て始めた。

 吹き込む風はやはり冷たく、一枚の布は向こう側が透けるほど薄い。

 少女は小さい体をさらに小さく丸めていた。

 ローブを脱いで少女にそっとかけてから、私もまた目を閉じる。二十日の空腹が和らいだ安心感からか、意識はすぐに遠のいて行った。


********************


 太陽が空に姿を表すより、この家の住人たちが目を覚ますより早くに起き上がって、右手で目を覆い呪文を唱えて、擬態の魔術をかけ直し、外に出てこごえるような空気を吸い込んだ。

 足元の草葉は白く、吐く息もまた白い。

 家の裏は田畑でもない更地で、そこで剣を構えた。

 型はどれも体に染み付き、だから意識が剣に向いていなくとも、体が勝手に動き、日課の鍛錬をこなして行った。

 歩いて三日ならば、馬で急げば一日で前線にたどり着けるだろう。前線にこのまま傭兵として潜り込み、機を狙って前線を超え、再び陛下の首を狙う。

 いや、既にかなりの日数を無為にしていて、機を狙うだの悠長なことはできない。あと十日、エズラウルの大規模攻撃が始まるより先に、陛下の居場所を探り、殺して私が軍を掌握する。

 時間がない、敵が多すぎる、先日の暗殺未遂が広がれば信用も失う・・・。それは不可能にすら思えた。

 しかし、戦争をこのまま放置するという選択肢は、負けず嫌いな私には、受け入れられなかった。

 登り始めた太陽の光が手にする剣に反射して、私の目を刺し、思わず顔をしかめた。

剣には少女の姿も写っている。

「おはよう。」

「あっさは朝が早いだな。」

 剣は鞘に収めて、

「手伝うよ、貸して。」

 いずれにせよもう少し情報が必要で、今は男手を失った家の少女の水汲みを手伝うことにした。

 水を井戸から汲み、鍋に移して囲炉裏にかけて、起きてきた怪我人の代わりに少女の案内で、畑に向かった。

家の集中する辺りを少女は村と呼び、畑は村の外にあった。

それは、何も植えられておらず、代わりに三つ葉やらがまばらに生えた畑。

 久しぶりに握るクワと、それが土に刺さるサクッという音に懐かしさを覚えた。生前、母上の趣味は土いじりで、いつか本土でも丈夫に育つ作物を作ると言って、旧王城の庭に大きな畑を作り、そこで私も一緒になって泥まみれになったのだ。

 今もこうして、首に巻いた布に汗が染み込んでいく。顔についた土を、気持ちそっと拭った・・・

 センチメンタリズムな内心は単純な作業のゆえか。

クワを振り下ろし、土を掘り起こしていき、畑全体が生えていた野草もなくなり茶色くなる頃、

「休憩するら!」

 少女が白い包みを二つ抱えて現れた。手渡された包みを剥がすと白い湯気が立ち上り、中には茶色い芋のようなもの。それを縦に割いて口に放り込む。

 土臭さく、魔人の強靭な顎でも噛み切るのに苦労するほど硬い。それでも、食べる物があるだけマシ。

 太陽はちょうど真上から降り注ぎ、昼食と休憩に程よくあたりの空気が温まっていた。

「お〜い!あんちゃん、見ねえ顔だに。なんたら、リリーちゃんのこれだべ?」

 周りの畑で黙々と作業をしていた男たちも休憩のために少女に群がって、大きな笑い声をあげた。

「ちげえって、あっさは傭兵だに。とっさを助けてくれただら〜、そんなんじゃねえべ。」

 少女は手を扇のようにして顔の前で仰ぐ。

「ほえぇ、あっさは傭兵かえ。」

「ほだら、あんちゃん!剣、剣見せてくんな!」

 男たちの中に見える幼い子供達が興奮したようにくっついてきて、彼らの服はどれも土まみれだったが、それでも嫌な気はしない。子供達の憧れを孕んだ視線に充実感すら感じて、あぜ道に鞘ごと突き立ててあった剣を手にとって、今朝やったように構え、

「おお〜、かっけえな!おらにも触らせてくんな!」

「危ないからダメだよ。まずはちゃんとクワが使えるようになってからね。」

 子供は結局肩を落として、拗ねたように口をとがらせた。

 時に吹き抜ける風にみんなで肩を震わせ、時に大声で笑いあって体を揺らし、まずい芋モドキを噛みしめる。そんな平穏な風景であっても、彼らの骨と皮ばかりの手足や子供達の年の割に小さい体、そして男手がどれも老人や幼子ばかりで・・・

「おい、ありゃヴァンの旦那じゃねえかや?」

 不意に今までの楽しげな声とは違う、いぶかしんで声を上げる男が指差す先には草原を走る男の姿。何かから逃げるように走り、

「おい!てえへんだべ!」指をさしたままの男が叫ぶ。

 走っていた男は、体から力を失い、地に崩れた!!その時、魔人で彼らよりも目のいい私だけは、背後から襲い掛かった一筋の矢をみた。

「早く村に戻れ!あれは魔人だ!」

 背後にいくつかの騎兵の影。そして彼らの目指す先には村があった。

 呆然とする男たちを急き立て、座り込む少女の腕をとって村を目指し・・・

「伏せろぉ!!」近くにあった頭を掴んで、一緒に地面に張り付いた。 

 あたりが一瞬にして白く染まった。世界の全てが真っ白に変わり、そして肌を巨大な熱量が焼いた。

 光と熱に遅れて身体全体に轟音が響き、衝撃が体の中を突き抜けた。

 次第に回復する目が捉えた、炎に焼かれた村。村のあった場所には大きな炎が立ち上がり、家々は跡形もなく吹き飛ばされていた。

「な、なにがあっただべ?!」

 地面に伏せたままの私の腕の中で少女が困惑の声をあげる。

 草原を駆けていた影は、今まさに村に迫ろうとしていて、その背後に直立した数個の影を認めた。背後の影は魔術師だろう。彼らがこの惨劇を作り出したのだ・・・

 立ち上がった私の拳は震えていた。

 胸が苦しいほどに、怒りを強く感じる。

 燃え盛る村の中、崩れ落ちる家々を避けて私に走り寄る一頭の馬。毛は所々が黒く焦げて、それでも気丈に駆けていた。 

 フラッシュバックする、芝生を転がる青年兵の頭。肌にヒリヒリと感じる熱は、腐臭に満ちた戦場跡を思い出させた。

 炎の中から、這々の体で現れた痩せ細った人影。そして今、騎兵は彼らに襲いかかろうと馬を進める。

「目が見えるようになったら、みんなを連れて逃げて。いいね?」

 少女の耳元で大声を出し、彼女が頷くや否や、馬に飛び乗った。

 しかし、激しい怒りの中にも冷静さがあって、それが私の正体が敵に露呈した時に怒りうる悲劇を悟らせ、私は首に巻かれた布を巻き直し、口元を覆った。

 そして馬の腹を蹴り上げて、剣を鞘から抜き腹い、騎兵の一団に斬り込んだ! 

「死ねぇ!」

 嬉々として突き出される槍を、身体を後ろにそらして躱す。

 そしてそのまま、すれ違いざまに剣を斜めに振り上げ、馬の首と、兵士の胴をまとめて切り裂いた。

 擬態の魔術は解かず、だから身体は強化されていない。しかし感覚が研ぎ澄まされる。

 胴だけが馬から落ちる騎兵の顔に浮かぶ呆然とした表情を、その光景に警戒し槍を握り直す兵士たちの姿を、鮮明に捉えた。

「奴を殺せ!!」野太い声。

 次々に迫る槍を、鉄を切り裂くと言われる、ミスリルで作られた剣で切り捨てていった。

 縦に振り下ろし、槍を真っ二つにして、返す剣で首を刎ねる。

 槍に沿わせて滑らせ、裂くようにして槍を切り、そして突きを放って胸を貫く。

 茨のように伸びる槍の中を、そうして強引に突き破り、その間にさらに幾人かの兵士の首を刎ねた。

 魔術師の集団から放たれた無数の炎の矢。

 手綱を引いて躱し、それでも迫り来るものを、叩き落とし・・・

「ぐぎゃあっ!!!」

 悲鳴、湿った何かが詰まったように気持ちの悪い悲鳴。 

 村から聞こえた。

 いまだに村の先で蹲る住人が、騎兵の槍に貫かれ、血を吐き出して事切れた。

 私が十数騎の敵に相対している間に、残りの兵士が村人を襲い始めたのだ。

 私の視野は、怒りで狭くなっていた。だが、それ以上に今は・・・

「お前たちはその卑劣な行いを、死んで悔いるといい!!」

 ちょうど差し出された槍を、兵士ごと馬から引っこ抜き、左手でそれを、村人を襲う兵士に投つけた。 

 まさに今腕を振りあげた兵士の胸を、槍が突き抜け、そして彼は地に崩れ落ちた。

 両目に手のひらで覆って、呪文を口にし、擬態の魔術を・・・・


「そこまでだ!今ここで降伏するのなら、命だけは助けてやる!」

 凛とした声が、広大な草原に響き、私の耳に届いた。

 怒声でも、罵声でもない。しかし確かな威厳を伴った声に、思わず馬の脚を止め、両目を見開いて呆然と声の元を探す。

 草原の中、点々と馬と人の姿があって、それらは村にともる炎によって濃い影を地面に作り出していた。風が吹いて、火の粉を宙に巻き上げる。

 飛び散った小さな炎は草花に火をつけて、いくつかの煙の筋をあげた。

 その中に一人、村の大きな炎を背に立つ男。彼は炎の光に、金色こんじきに輝いて見えた。

 剣を振りかざす男。遠目でもその剣が業物であるとわかる。

「もう一度言う!今すぐ降伏しろ!」

 声だけで敵を威圧し、騎兵は動きを止め、息を潜めた。

「何をしている!!敵はひとりだ!殺せ!!」

 二度目の野太い声は、殺せと言うのが好きらしい。

 声の主は声に似合ってでっぷりとした男で、しかし鎧についた階級を見れば百人隊長だ。

 彼は一回り大きい馬に跨って、

「動け!殺せ!腰抜けは誉ある我が隊にいらぬ!」

 立ち竦む兵士に檄を飛ばし、

「死ねっ、この卑人ひじんが!」

 村の前に立つ男に襲いかかろうとする。

 檄に動かされた兵士もまた、馬足を早め・・・

『アダマ・ガドレノ・ガルド』

 風に運ばれて耳に届いた、呪文。剣を地面に突き刺した男によって紡がれた呪文で、地面はひび割れ、隆起し、うねり、身の丈ほどの大きな波となった。

 村を囲う草原の至る所で土が起き上がり、騎兵に押し寄せ、そして勢いのままに飲み込む。

 地鳴りに馬や人のあげる悲鳴は全てかき消され、ただ、土が波打つ大きな音だけが響いた。

 波は次第に渦となり、そして勢いを減じて一つの小さな丘を作り出した。

 静まり返る草原。真上から少し西に傾いた太陽の光が地上に差し込んでいる。

「俺の名は、勇者アラン!俺は、魔人と魔王を打ち倒し、この世界に平和と希望を取り戻す!」

 静寂の中にあって、その毅然きぜんとした声はよく響いた。剣を再び頭上に掲げ、そう宣言する彼は、太陽の光を浴びて黄金に・・・

 彼の身にまとう鎧こそが、金色こんじきの鎧だった。


 勇者、卑人ひじんにして八将軍を圧倒するだけの実力。卑人にとっての希望の象徴。かつて作られた要注意人物のリストの一番上には彼の名が記されていた。

 

住人たちは彼の姿を見て、細い腕を天に突き出し、あるいは地に伏せったまま、歓声をあげた。


********************


 村の炎は、勇者について姿を表したローブ姿の小さな女性が、魔術で消し止め、いまは別の少女が村人の治療に当たっていた。

 そして私は、馬を適当に草原に放し、黒焦げの瓦礫の中から人の姿を探していた。

 しかし見つけたカラダはどれも、顔が分からぬほど黒くなっていたり、皮膚が剥がれ落ちていたりした。

「よお、そっちはどぉだ?」

 瓦礫の山からムクリと姿を表す巨大な男は、遣る瀬無さを露わに呟いた。

「息のある人は誰も・・・」

「そうか。一回村の外に戻るぞ。」

 村の外に並べられた人の塊は二つ。片方は治療待ちで、片方は火葬待ち。


 巨漢は怪我人の中を忙しく動く少女を呼び止め、

「これで全員か?」

「はい、報告にあった人数と一致しています。」

 見張りに出ていた勇者が草原から戻ってきて、馬から舞い降りた。

「それで、何人が無事だった?」

「十二人・・・」

「クソっ!」 

 彼はそう吐き捨てた。


 私は彼らの様子を尻目に、横たわる村人の中に見知った影を探す。

 十二人にしかいないのだから、すぐに見つかった。

 少しばかり顔見知りの少女は、額から少し血を流しているだけで、目立った傷もなく、人の塊から少し外れた所に小さく座り込んでいた。

「よかった、無事だったんだね。」

「あっさ・・・」

 膝の中に埋められた顔を少し動かし、彼女の褐色の瞳と目があった。

「とっさがっ」

 彼女はそこまで言って、しゃっくりで声を詰まらせた。瞳は水できらめき、口元がヒクついている。

 十二人の中に、彼女の父親の姿はなかった。ただそれだけのことだ。

 彼の姿はきっと、探せば火葬待ちの塊の中にあるのだろう。或いは姿が分かる状態でないかもしれないが。

 小さく肩を震わせる彼女を見て、私も口をつぐんだ。慰めの言葉は喉元で突っ掛かった。

 

 私があの日、陛下を殺せていたら。

 私にもっと力があれば。もし私がツノナシや、キバナシでなければ。

 私が魔獣から助けた命は、ほんの一日寿命を伸ばしただけだった。

 

「もう、死んじまいてぇだよ。」

 少女は力なく呟いて、また顔を膝の中に埋めた。私はただそれを眺めるしかできず・・・

「親父さんが、殺されたのか。」

 あれほどの威圧感を放っていた男が、今は少しの気配すら感じさせず近づいてきた。

 兜が外され、鎧と同じ金色の短く切りそろえられた髪と瞳があらわになっている。

 シミ一つない綺麗な白い肌の、細すぎず丸すぎない顔。それは恐ろしいほどの美丈夫。

 その美しい顔に控えめに付いた口が言葉を発した。

「俺も小さい頃に、両親を奴らに殺された。だから君の気持ちは良くわかる。」

 彼は一歩、少女の方に踏み出し、

「俺が君の親父さんの仇をとってやる!だから死ぬなよ。俺が魔王を殺して仇を取るところをちゃんと見ていてくれ。」

 手を差し出し、少女はおずおずとその手を握って立ち上がった。

 歩き出す勇者を後ろからゆっくりと、彼らの歩みに合わせて追いかける。

 少女は看病を手伝うと言い、桶を抱え走り去っていった。

 焦げ臭さが辺りに漂い、村の跡には黒い木ばかりが転がる。少し踏めば直ぐに崩れて土の一部となった。


 この村にはもともと四十三人の住人がいて、今は十二しかいない。

 彼らは兵士でもない、戦う力のない無力な卑人ひじんだった。

 死んでいった大半は魔術に焼かれ、ある者は槍に貫かれて死んだ。

 この惨劇こそが、バルバトスが、メフィストが、そして陛下が望んでいたものだった。


「もし、」

 言葉が口を突く。

「なんだ?」

 勇者が振り向き、きれいな瞳が私を見つめた。

「あなたが言っていた、魔王を殺すという言葉。あれは本当ですか?」

「魔王はいつか殺す。魔人も倒す。それが勇者の使命だ。」

 力強く、自信を感じさせる声。孕んだ気迫に思わず背筋が震える。

 彼ならば・・・。そう思わせる何かを彼は持ち合わせていて、そのナニカを先生は王の素質と呼び、そして彼は、肉親をなくした少女や傷ついた村人や、目的のための力を欲する者を惹きつけた。

「私に協力させて欲しい。」

 気づけば左手が剣の柄を握りしめていた。

 数刻前まで草を優しく揺らしていた風が、灰を、やはり優しく運ぶ。

「そうか。」

 勇者は私の正面に立って、

「よろしく、頼むよ。」

 私は差し出された勇者の手を強く握り返した。

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