第1話 敗走

 窓から入る光が照らす机の上に高く積まれた紙の山に、私は埋もれていた。

 今見ているものは、戦死した兵士の家族への見舞金の予算案だった。記されている額はおよそ兵士の年棒の倍額で、それが年間数万人分あるのだから、総額は国庫の底を見えさせるのに十分な額だ。


 幾度となく判を押しサインをしても一向に減らない書類たちに軽い頭痛を覚え、眉をひそめ、ペンを持つ手を止めて部屋を見渡した。


 窓は右に、扉は正面にあって、背後も左側も、切り出し石で作られた無骨な壁は高い書架に覆われていた。

 窓の前に置かれた大きめの長椅子は仕事の合間の仮眠用で、長椅子の脇にバラの鉢植えがあって、今年最初の一輪となるだろう大きく膨らんだ蕾から赤い花びらが覗いて見える。


 窓の外には城の中庭の様子が伺え、そこに普段よりも慌ただしく走る鎧を着た兵士の姿があった。

 今もちょうど、新兵と思わしき鎧姿が、慣れない鎧に足を絡ませながら、走り抜けていった。


「失礼します。」

 黒いスカートに白いエプロンを着けた女性が戸の前に立ち、頭を下げていた。

「どうしたの?」

「一刻ほど前、メフィスト様がお戻りになられました。陛下が前庭にてお待ちです。」

「ありがとう、ご苦労様。」

 彼女を下がらせようとして、

「殿下を案内するようにと、仰せ付かっております。」


 彼女の後について部屋を出て、階段を下りつつ、それだけのためにここを上り下りした彼女の、一つにまとめて結ったとスカートから飛び出た柔らかそうな尻尾を揺らす後ろ姿に、塔の最上階に仕事部屋を設けたことの申し訳なさを覚え、

同時にメフィストの帰還に思いを巡らせた。

 

 私の国、エズラウルの軍では、特に武に優れた八人に将軍の冠を与えていた。

 八将軍と言われる彼らはまさに一騎当千の力を持って、これまでも多くの勝利を陛下にもたらしてきた。そのうちの一人、メフィストは今、前線において大規模な作戦を遂行していたはずで、彼の帰還の意味するところはつまり、作戦を完遂したか、失敗させたか・・・

 

 塔を出て回廊に突き当たったり、廊下に出ようとしたところに、数人の兵士が廊下を走り・・・

「気をつけて。」

 ぶつかりそうになったエプロン姿の彼女を、後ろから肩をつかんで引き寄せる。

「あ、ありがとうございます。」

 小さな失敗が恥ずかしいのか顔を赤くして、小さな声でゴマゴマと言う彼女だったが

「お手を煩わせてしまい、申し訳ございません。」

 頭を小さく左右に振った後、またさっぱりとした物言いになって、歩き出した。


 壁や床の石がむき出しだった殺風景な塔から、城の中核をなすルシア邸に続く回廊に入れば、床には深紅の絨毯がひかれ、いたるところに肖像画や花瓶にいけられた花々が飾られている。

 さらにルシア邸に行くと、大人五人が悠々と歩けそうなほど広い廊下が広がり、私の身の丈の三倍はある高い天井から巨大なシャンデリアがぶら下がっていた。


 その中を抜けて、前庭につながる大きな木の扉の前に立ち、両手をついて

「お待ちください、それは私が。」

「いいから、これくらい自分でやるって。私も男だからね。」

 そう言って彼女を後ろに下がらせ、扉を押した


 低く大きい音とともに扉は動き、しかしできた小さな隙間から鉄の匂いが流れ込み、眉をひそめ、ここ数年ですっかり嗅ぎ慣れてしまった匂いに不穏な気配を感じ、そして扉をしっかりと開けて見えた光景に絶句した!

 

 前庭は刈り揃えられた緑の芝が植えられ、春には小さな白い花を咲かせる木々に囲まれた美しい場所であったはず。ところどころに植えられえた背の高い木には夏に鳥がとまり、実った小さな実を持ち去ってゆく。木の足元には白いベンチが置かれていて、そこは私のお気に入りの場所だった・・・


 だがその場所は今、真っ赤に染められていた。

 耳に届いた小さな泣き声、そこに向け足を早める。


「陛下、これはなにご・・・。」

 今は赤い芝の中に敷かれたレンガの道に立つ三人の男たちの先から聞こえる泣き声。それは中央に立つ男が右手に持つ剣を振り下ろした瞬間に、ポツリと途絶えた・・・。


「何をしているのですかっ!」


 地面に倒れる少年のそばに膝をつき、抱き上げ血が溢れる胸に手を当てたが、すでに息はない。

 周りには同じように血を流す『人だったもの』が数十個、転がっていた。

「捕虜はいらぬ。全て殺せ、良いな。」

「はっ、陛下の御心のままに。」


 三人の男の一人、尖った耳と短い牙を持つ小太りの禿げた男が、中央に立つ男に向かいこうべを垂れた。

「だが、戦場での勝利、見事であった。それに免じて此度のことは水に流そう。」

「寛大な処置、感謝いたします。」

 跪く男がメフィスト、彼に尊大な態度を取る男が陛下。


 彼らのやりとりを尻目に、私は倒れる彼らの中から息のあるものを探す。

 囲うように立つ兵士たちは、先ほど中庭をかけていた者たちで、手に持つ槍の先は血で濡れていた。


「陛下、殿下をお連れいたしました。」

「うむ、下がって良い。」黒いスカートを履いた女は顔を青くして城の中に戻っていった。


「レヴィよ、何をしているのだ。」


 結局見つからなかった。

 私は静かに、しかし心に怒りを滾らせて立ち上がって陛下に向かい、

「陛下こそ何をなさっているのですか!彼らは兵士では無いでしょう。闘の掟たたかいのおきてを忘れたのですか!」

 魔人が戦において守らなければならない、いくつかの規則の一つに、無抵抗のものは殺してはならない、とあったのだ。


 しかし、少年の身につけていたものは鎧などでなく、擦り切れた麻のシャツで、その横で息絶えた女は腹を大きくしていた!


「それは我らの掟よ、やつら卑人には当てはまらん。」

 この光景を前にしても、目の前の男は飄々としている。そのことが私の中の怒りを大きくした。

 叫び詰め寄って弾糾したとして、それで彼らが救われるわけでもなく、けれど平然とする男の顔をみれば殴りかかりそうで、視界に収めないよう俯き、ただ唇をかみしめた。


「彼らの弔いをする、手をかせ。」


 直立不動を貫いていた兵士に対し、口調は自然と強くなった。

 少し冷たい風が城の内壁を超えて庭に吹き込み、それが赤く汚れた芝を揺らし、血の匂いを運ぶ。

 私も兵士とともに彼らの体を用意された荷車に乗せた。


「陛下、今後とも我らの勝利は揺るぎないものであります!しかし奴らは虫のように次々と湧き出てくるのです!いずれ大陸を支配するのであればっ、いま本土から増援を派遣すべきでしょう!」

「ふむ、なるほど。」

 三人の男のうちの一人が大きな声で嬉々として喋り始めた。


 メフィストと同じ八将軍の一人、バルバトス。二本の曲がったツノを頭につけ、潰れた鼻と毛むくじゃらの牛のような醜い顔。体は大きく、私の背丈では彼の胸までしか届かない。


 そして彼の言葉に陛下は同意を見せた。


「陛下、提案がございます。」

 私は手を止め陛下に向き直って、しかし俯いたまま口を開く。

「現在戦況は私たちが有利であります。この機会に休戦を申し入れてはいかがと。」

「おぉ、これはでんかぁ、随分と弱気なご様子で。」

 メフィストの軽やかな笑い声。


「ですが殿下、先日の会議で休戦は無いと決めたところでしょう。殿下はまだ納得されていないのですねぇ。」彼は小馬鹿にしたように言葉を続けた。


「その決定を再考いただきたいと私は申し上げているのです!」

 体と声に自然と力が入り、

「レヴィよ、お前はなぜそれほどまでに休戦を望む?」

「この戦争で多くの血が流れ、今もこうして目の前で罪なき命が失われた!これ以上の血の意味など私には理解できない!」

 俯いたままの顔をあげ、陛下の目を見つめ、そして睨みつける。


「意味か。龍が人を狩ることに意味など考えていまい。それと同じことよ。そこに奴らがいる、だから殺すのだ。」

 しかし陛下は穏やかなまま、まるで駄々をこねる幼な子おさなごあやすように言った。

「ですが、彼らは私たちと・・・」


「貴様!それ以上は無礼にすぎるぞっ!」

 さらに詰め寄ろうとする私と陛下の間に、牛頭が立ちふさがった。

「陛下に異を唱えることは許されぬ!もし貴様が理由を欲するならばっ、最強である陛下こそが正義、それでいいだろう!」

「そんな理由で彼らに死ねと命じるのか!それで彼らの家族に、恋人に、友人に私はその死をなんと伝えればいいのだ!」

 もはや誰に対してかもわからない怒声を、私はあげた。目の前でいきり立つバルバトスに対してか、それともその後ろで飄々ひょうひょうとしている陛下に対してだろうか・・・


 私は、骸を運び終え、再び庭に整列した兵士を指差す。彼らはこの状況にも動じず立ち続けたが、そのうちの一人は驚いたように体をかすかに揺らした。

「ここで戦争をやめれば今まで流されてきた血が全て無駄になるのだ。わかるな?」

「それはあなたの意思か?それとも民の意思か!」

「余の想いが民の想いだ。」

 ふざけるな、その言葉と握りしめた拳を寸前でとどめた。代わりに私は、整列する兵士達の前に立って質問した。


「君、名前は?」

「ダンであります、殿下。」

「家族は?妻や子供は?」

「子供が二人あります。」

「君は戦場に行き、死ねる?」

「それが陛下のためであれば、喜んで向かいます。」

 隣の兵士も、その隣の兵士も、さらにその隣も、『陛下のために』などと抜かし、私の後ろで満足そうに男達が笑い声をあげた。


「君、家族は?」

「結婚はしておりません。両親と年の離れた妹と暮らしております。」

 さっき体を揺らした兵士だ。その声は震えていた。思い返せば、この兵士は死体を運ぶときも体をこわばらせていた。


「君も喜んで戦場に向かうのか?死ぬのが怖くないのか?」

「自分は・・・」

 兜に顔は隠れわからなかったが、その声は随分幼く聞こえた。

「両親ももう若くありません。残される妹を思うと、できることなっ・・・」

 私の頬を一筋の風がかすめ、兵士の後ろに、兜が転げ落ちた。

 そしてその兜の中から犬耳のついた青年の顔が転がった・・・


「何をっ!なんてことをっ!」

 振り返れば、陛下が右腕を前に突き出しこちらを冷ややかに見つめていた。風はその腕から放たれた魔術だった。

 この兵士は彼が殺した・・・


 拳を血が滲むほど強く握り、

「下がれ!それ以上近づけば斬る!」

「どけっ!邪魔だ!」

 立ちふさがるバルバトスとメフィストを魔術で吹き飛ばし、

「どうして、なんの権利があってこんなことを!」

 陛下に詰め寄って胸倉を掴んだ。


「お前が余の唯一の子でなければ、お前もあの者と同じ運命をたどっていた。余の配下に腰抜けのいらぬ!お前も身の程をわきまえるのだ。」

 しかし大きな手で、陛下の服を握る両腕を捕まれ、払われた。

「神にでもなったつもりか!身の程をわきまえるのは、あなたの方だ!捕虜だってあなたが殺していい理由などなかったはずだ!腰抜けが配下に不要と言うのなら、」

 払われた両手でもう一度、彼に掴みかかり

「王に愚か者はいらない!」

 右手を握りしめ拳を振りかざし・・・


「クソガキがっ!」


 私の体は宙を舞い、庭の端に植わる木々まで飛んだ。

 衝撃に腹の中のものが喉から溢れ出て、頭が割れるように痛く、世界がぐるぐる回って見える。


 まわる世界の中心に陛下は立ち、冷たく言い放った。

「大人しく余の言うことを聞いておけばいいものを。メフィスト、こやつを部屋に連れていけ。こんな臆病者の生意気な愚か者も余の世継ぎなのだ。」

 私に歩み寄るメフィストを、立ち上がり睨みつけようとしたところで、私の視界は闇に覆われた。



**************************


 眼に映るのは、よく知っている天井。

 どうやら気絶している間に、自室に運ばれてベッドの上に寝かされていたようだ。釈台の上のろうそくの火が揺れ、天井に映る影がゆらゆらと形を変えていた。子供の頃の私は、母上の子守唄が聞けなくなってから、私は夢に落ちるまでの時を、この影をある時は怪獣に、ある時はお姫様に見立てて過ごしたのだった。

 そんなまだ戦争がなかった頃のことが思い起こされるのも、先の出来事への落胆ゆえか。


 殴られた・・・

 頭が痛み、お腹のあたりに違和感を感じて、陛下の残虐さを思い返して

「くそっ!」

 煮え滾る臓物から呪詛を吐き出し、声だけが一人きりの部屋にこだました。


 震える拳を枕に叩きつけ、一人で寝るにはあまりにも広すぎるベッドから飛び降りて、裸足のまま、ベランダに。風に当たりたかった。


 すでに太陽は西の彼方に姿を隠し、代わりに欠けて細くなった月が空を動いていた。城壁の上に、篝火に照らされて、鎧に身を包む兵士の姿が浮かび上がる。


 このまま戦(いくさ)が続けば、城壁の上でゆらゆらと呑気に船をこぐ彼も、ただ短慮な国王の命令で死んでいくのだろう。あるいは、城下の家々に住まう彼らさえも、たとえ血乳飲児であろうと身重の女であろうと関係なく殺されるかもしれない。


 だけど私は無力で彼らを救うことなどできず、陛下は私の言葉に耳を貸さないどころか・・・

 浅はかな陛下の手にかかった、あの青年兵の顔が頭から離れなかった。


 夜の風は怒りを鎮めるどころか、炎を燃え上がらせ、加えて悔しさが混じり合って胸を掻き回す。

 大きく息を吸って、倍の時間をかけてゆっくりと吐き出した。

 こういう、感情が自分で抑えられなくなった時は、いつもこうやって息をする。

 もう一度、さらにもう一度。


 私が師匠に教わった精神を落ち着ける方法だ。息をゆっくりと、胸の中のものも一緒に全て吐き出すように・・・。


 不意に扉を叩く音がした。周囲にこの感情の荒ぶりを悟られたくない私は、両の手で頬を軽く叩いて、内心とは裏腹に極めて落ち着いた声で言った。

「誰だ?」

「アモンでな。」

「先生、どうされましたか?」


 扉の先に立つ男は、すでに髪の毛のほとんどは白く、顔には濃いシワがくっきりと刻まれているが、その立ち姿からは老いを感じさせなかった。手にする一本の長い杖は足腰のためでなく、魔術の行使のための彼の武器だ。

 そんな彼から魔術、帝王学、商学、法学、兵法の剣術を除くあらゆることを教わったから、私は先生と呼ぶ。


 私達はベッドの脇の椅子に向かい合って腰をかけ、先生は杖を自身の肩に立てかけた。

「お主が倒れたと聞いてな。どうだ、体の調子は。」

「悪くは、ありません。」

「そうか。」

 重い沈黙が二人の間を流れた。先生は『倒れた』と言葉を濁したが、彼は陛下の右腕とも言える存在だから、事情は聞いているはず。


 開けたままのベランダから風が流れて頬を撫で、相変わらずの冷たい風に思わず身震いした。

 あの傲り高ぶった頑固な陛下になんとして戦争を止めさせようか。話し合いなど、同胞すらも躊躇なく手にかけた陛下の前に無意味に思えた。


「お主が寝ておる間にの、殲滅作戦の決行を宣言されたよ。」

「殲滅作戦、ですか?」

 先生が頷いた。

「あとひと月で本土から百五十万の増援が届くそうでな、それと合流次第総攻撃を仕掛けると行言っておったわい。」


 それだけの兵士があれば、本当に卑人を根絶やしにしてしまうかもしれない。それこそ死にかけの老人から生まれたばかりの赤子まで全ての命を奪うことすらも。

 そしてそれを陛下は望んでいるのだった。

 また血まみれの芝生を転がる兵士の顔を思い出し、怒りは一向に収まる気配を見せない。


「お主、」

 彼はそこで一度言葉を切ると、私の目をじっと見つめ

「陛下を斬れ。」

 そう言い放った。その言葉は驚くほどすんなりと受け入れられた。そうだ、奴を殺してしまえばいい。そうすれば戦争も自然に終わる。


 陛下が王である限りこの世界に流れる血は増え続けるのならば、奴がいなくなればいい話だ。

「教えたであろう。一人の命と百人の命、人の上に立つものは百人を選ばねばならぬと。」


 部屋が暗くなった気がして外をみると、ちょうど細い月が雲に隠れ、ロウソクだけが明かりとなった部屋で正面に見える先生の顔は半分が闇に覆われた。

「軍規で、陛下が倒れればその指揮権はお主のものとなる。次の王位もそなたのもの。ゆえに戦争を止めることも叶おうぞ。」先生は続けた。


 傲慢だと言われるかもしれない、それにでも、私の方があの無能な王よりもずっと立派な王となれると思う。


「執務室にいる時を狙え。執務室では常に剣を机の横に置かれ、寝室より見張りも少ない。その上、武器の持ち込みが許されておるでな。あとは魔術さえ封じてしまえば、不意をつけばお主の力量であれば達せられよう。魔術に関しては儂に任せておけ。お主は陛下の子供、陛下に抗うとしたら、お主しかおらぬだろう。」


 先生には、能のない君主、小人を蔑ろにする王は悪であると教えられて来た。だとすれば戦争のもたらす死を忘れ、民草を己の欲のための道具としか見ない陛下は悪だ。


 ********************

 

 先生の助けを借り万全の態勢を整え、私は父上の執務室へ向かった。

 魔物から取れる、強靭な糸で織られた服に身を包み、腰には父上から送られた名剣を携えて。

 魔力を体に循環させて、いつでも魔術が使えるように。

 懐には先生から預かった魔道具が忍ばせてある。小さな針のようなそれは、刺した相手が魔力を操るのを阻害するとのこと。珍しい品で三つしか用意できなかったらしい、その三つ全てを先生は私に託した。失敗はできない。


 執務室の木製の扉の前に立ち、それを叩いた。

「レヴィか、入れ。」

 太く、厚い声だった。

 この部屋に入るのはずいぶん久しぶりで、昔来た時とはずいぶんその様も変わっていた。


 しかし、私にはその違いをゆっくり観察する余裕などなかった。気づけたのは、扉からはいって正面、陛下の机の背後に置かれていた、バラの鉢植えがなくなっていたことくらいなもの。


 陛下は執務用の机にすわり待ち構えていた。その頭にはいくらか白色が増えていたが、立派なツノは相変わらず黒く艶がある。

 鍛え上げられた体は私よりもふた回りは大きく、コートのようにその黒い翼を折りたたみ、体を覆っていた。


「陛下。」


 頭を垂れ、膝をつき許可を待つ。視界に映る膝が震えているのがわかる。陛下の発する魔力に体が恐れをなしている。

 強い、勝てる相手じゃない。怖い。頭に泡のように言葉が浮かび弾けていく。

 執務室だけあって多くのろうそくが火を灯し、部屋は随分と明るく床に映る私の影は色濃かった。


「良い、話せ。ただし手短にな。」


 未だ陛下に威圧され体はまともに動きそうになく、唯一使える口を必死に動かした。

「陛下の思われる所のことを、小人の身では理解するに及ばず、あまつさえ陛下の言葉に異を唱えた非礼をここに。この戦、端を発したのは彼ら新大陸の者でありました。そしてこの戦において同胞の血が多く流れたのは事実であります。ゆえに陛下から膝を折ることなど許されなかった。そのこと、今は十全に理解して下ります。この身の罪、この命を持って償いましょう。」

 陛下の警戒を解こうと心にも無いことを口にし、時間を稼ぎ隙を伺う。


 彼を殺し損ねれば次は私が死ぬ、だから迂闊に動けなかった。それに加えて、威圧された体は動きたくても自由がきかない。


 やるかやられるか、そんな言葉が浮かんで・・・

 自分の息遣いや鼓動が異様なほど鮮明に耳に届いた。

 身体中の感覚が研ぎ澄まされていく。

「まあ良い。その程度の罪、余は気にせん。」

「はっ、陛下な寛大な御心を称えましょう。」

 なんだ、いつもの戦場となんら変わらない。殺される前に、殺せばいいだけだ。

 そんな思いに至って、そして体の震えがピタリと止まった。


 窓一つ開開いていない部屋で風を感じ、陛下が立ち上がったことを知り、彼はさらに話を続けた。


 その声は随分と楽しげで、

「そこに余があって敵対する者があれば、それは戦となり、そして余が勝つのだ。余は全ての敵を滅ぼしてきた。今もそれは変わらぬ。だから戦うのだ。敵がいる限り平和などありえぬ。だから敵を滅ぼすのだ。これから余は前線へ出る。余がこの手で持って、敵を地のチリとするのだ!」

 陛下は跪いたままの私の元へ、ゆっくりと近づいてきた。皮の靴の踵が石の床を叩く。

 油断し、十分に近付いた時を狙う。

 

 私は気づかれないようほんの少しだけ、手を剣に伸ばし

「そう、敵は全て滅ぼさねばならぬのだ。たとえそれが我が子であったとしてもな!!」

 慌てて顔を上げ、横に転がった!

 振り下ろされた剣が私の眼前を通り抜ける。かすめた前髪がはらりと地に落ちる。


 何事!なぜ陛下は私に剣を向ける!まさか暗殺がバレたのか?


 剣先は床にあたり、岩を砕き床にヒビを入れた。

 見上げた顔には深いシワが眉間に刻まれ、しかしその頬は釣り上がり大きな笑みを浮かべていた。


 その身を覆っていた翼を大きく広げた陛下は、扉を背に私に立ちはだかり、私を見下ろしそして、睨んだ。


 その目に激しい怒りの炎を見て、彼が不気味に思えた。

「貴様が我が王位を狙い、暗殺を企てていることは知っておった。父親の命を狙うその行為、まさに恩を仇で返すとはこのことよの! 」

 再び振るわれた剣は、横向きに流れ、飛びのいたまま地に転がる私の首を狙っていた!


 急ぎ、左手を迫り来る剣に向け魔術を使う。

 現れた無色の壁によってなんとか防ぐも、障壁は砕け散った。


 だが、時間は稼げた!跳ね起き、立ち上がり、剣に手をかける。

 足を一歩陛下のもとに踏み出して・・・

 

 再び迫る陛下の剣!胸元めがけた鋭い突き!!

 目前に見える刃先に焦りを強く感じつつも、それを飛びのいてかわす。

 

 さやから剣を抜き、右手に構え、

 再び振るわれた剣は縦に!脳天を狙ったものだった。

 それを剣で左に流し・・・


 しかし陛下の剛力に私は地面に膝をつきよろめいた。そこに再び繰り出された突きが喉元に迫る!

 左の手のひらで剣を殴り、それを弾いた!


『窮地、それ転じて好機となる。』

 全くもって先生の教えはいつも正しい。


 防がれることを予想していなかったのだろう、陛下は剣を弾かれ体勢を崩したのだ!

 伸びきった腕、重心は前足に乗り切っている。

 その懐に飛び込み、横薙ぎに剣を振るった・・・


 しかしそれは陛下の魔術により塞がれ、透明の障壁を砕き、右腕に鋭い痺れが走る。

 その衝撃で陛下の体は宙をまって、背後の書架にぶち当たった!


「いまだ!」口から声が溢れる。


 左手を懐に忍ばせて、例の魔道具を二つ取り出し放った。

 『セルバ』

 放つ時に口の中でそう呟く。これは隠遁の魔術。


 床に落ちる一本の釘、魔道具は陛下の魔術によって弾かれたのだ。

 だがもう一本は・・・


 隠遁の魔術が功を成した。執務室では薄着だったことも幸いした。麻のシャツを貫き、ついに陛下の腹に深々と突き刺さった!!

 勝利を確信し、このまま一撃を叩き込んでやると、剣を手に体を前のめりにさせ、陛下へと迫り、


「待て!動くな!」


 背後から声が聞こえた。ゆっくりと頭だけで振り向けば、バルバトスが私に剣を向け立っていた。その後ろには彼の側近が全身を鉄の鎧に包み、警戒している。

 なぜ彼らがここにいる? 

 その答えは父上から、


「お前が裏切る可能性は、はじめから想定済みよ。余を甘くみたな。こやつを捉え、牢に放り込んでおけ!」


 しかし、魔道具の効果のほどは、確かにその顔色から伺え、魔力がうまく扱えなくなり、体に不調をきたしているのか、真っ青な血の気のない顔から汗が次々に吹き出してきていた。だが、それでも奴をしに追いやるには一歩足りなかった。


「陛下を寝室までお連れしろ!」

 バルバトスの指示で、側近のうち一人が陛下に連れ添って部屋を出た。


 その一歩は遠かった。

 バルバトスが牽制し、私は剣を構えたまま、しかし指ひとつ動かすことができず、陛下の背中を見送ることしかできず、ただただ去りゆく陛下の背中を睨みつけ、剣先を向けたまま拳を強く握った。


 残ったバルバトスの手下どもの呪文を唱える声が部屋に響いた。

 ここで捕まれば死刑。

 彼ら全員を相手にして戦えば間違いなく死ぬ。しかも唱えている魔術は、呪殺のもの。


 考えている間にも、魔術は完成へと近づいている。

「観念したか。」と、バルバトス。

 私は剣を捨て降参の意を表し、バルバトスが手を挙げ、詠唱を中断、待機させた。首元に伸ばされていた剣をどかし、牛頭の彼は拘束用の魔術の発動を封じる魔導具を取り出した。


 このまま捕まっても、戦ったとしても待ち受けるのは死。しかし逃げるだけなら・・・

 首元の剣が退き、魔術が待機されている今なら・・・


 身体中の魔力を少しの余すところもなく一度腹のあたりに収束させ、押さえ込み、


「ふん、お前のことは昔から気に入らなっ・・・」


 そして一気に放出する!

 術の構成も詠唱もない、形を持たずに溢れ出た魔力は行き場をなくし、暴れまわり、部屋を吹き飛ばした!

 風となり炎となり岩となり水となり、あるいはただの衝撃として。

 炎は書架に収められた本に燃え移りしかし風によって書架ごと空を飛び部屋中に炎を広げ、衝撃はバルバトスを吹き飛ばした!

 彼の体は宙を舞い、蝶番ごと外れた扉から外に。


 魔力の波は、完成していない魔術に干渉し、暴発させる!

 呪殺の魔術は弾け飛び、術者を呪った。未完成ゆえに殺すほどの力はなくとも、意識を奪うには十分な力を持ち、倒れる彼らの体は水の波が塔の外に押し出した。


 そして岩が生み出され壁を突き破り、風が残骸を粉々に砕く。

 窓などもはや跡形もなかった!


 随分と大きく広がった窓から身を踊らせる。

 幸いにして、執務室があるのは4階。魔力を使い果たしていてもこれくらいの高さ、造作もない。

 地面に降り立ち、駆けだした!包囲網が敷かれる前に城外に!


「不届きものだ!者ども、奴を捉えよ!」

 牛頭の雄叫び。釣られて一目だけ先ほどまでいた場所を振り返ると、執務室のあった塔は赤ほどが大きくえぐられて、今にお崩れ落ちそうになっていた。

 牛頭はそこから覗いてみえる。


 一直線に中庭を進み、槍を向ける兵士たちの合間を駆け抜け、目の前にはだかる一つ目の城壁を蹴って飛び越え、街の屋根に飛び上がってそれを伝い走った。

 屋根を走りつつ、少しずつ大通り沿いへと移動する。その先に城門はあったからだ。


 見えた!あと少し!


 二つ目の城壁は眼前であった。城門もまだ閉ざされていない。私を追えとの伝令もまだ伝わってないようで、守りは手薄。


 魔術で不可視の壁が張り巡らされているこの壁は、先ほどと違い飛び越えることは不可能であった。外に出るには城門を通るしかない。

 屋根から通りへと降りたち、速度を緩めることなく城門へ。


「止まれ!何用か!」

 流石に不審に見えたのだろう、門兵が槍で行く先を塞いだ。

「リヴァイアサンである。急用なり!そこを通されよ!」

 伝令はまだのはず、であれば彼らが王子の私を止めるはずはない。


「し、失礼いたしました!」

 案の定、兵士達はあっさりと槍を引き、深々と頭を下げ非礼を詫びてきた。

「馬を借りるぞ!」

「はっ、どうぞお使いください。」


 早駆けのため、常に一頭の馬が城門にはおかれていた。城壁に繋がれている馬に駆け寄る。

 綱を解く時間が惜しかった。剣を叩きつけ馬をつなぐ綱を断ち切り、飛び乗った。

「待て!止まらねば打つ。殿下といえど容赦はせぬ!」


 私を追っていた兵士が追いついたようで、城壁の上から呼びかけてきた。城門からは騎兵達が飛び出してきた!


 だいたい、ここまで逃げておいて止まる訳がないだろ!


 心の中で悪態をつく。


 馬の腹を蹴り速度をあげ、走る。

 背後から警告の通り火の矢が迫ってくるが、剣で迫る魔術の矢を切り落とした!

 優秀な馬だったのだろう、地にあたり弾ける火の矢に怯えることもなく、真っ直ぐ駆けて追っ手との徐々に距離を広げていき、そして半刻も走り続けた頃には、追っ手の姿はもはや見えなくなっていた。


 どうやら逃げ切ったようだった・・・。

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