エレナの悔恨

 アリシアの遺体は村の集会所に運ばれた。

 血は綺麗に拭き取られて、人ひとり分の広さを持つテーブルの上に置かれている。

 化粧を施された顔は、まるでまだ生きているかのようだった。

 鎖骨から下は白くて大きな布で覆われて、頭から腰上までは膨らんでいたが、そこから先はテーブルと同じ高さまで布の膨らみが落ちていた。

 レフティはアリシアの遺体を全て取り戻そうとして、魔獣の腹を裂いた。

 しかし中には消化こそされていないものの、咀嚼されて粉々になった脚の骨と肉塊しか残されていなかった。

 飲み込まれた下腹部はそのままだったが、レフティは到底そこだけをアリシアの上半身と縫合して貰う気にはなれなかった。


 レフティはアリシアの遺体のそばで棒立ちしながら、変わり果てた新妻の姿を見下ろしていた。

 涙は既に涸れ果てて、思考は停止し、これから先の事を考える余裕など無かった。


 そんなレフティの元に申し訳なさそうに報告へ来る人物がいた。

 アルだ。


「あのさ、エレナが意識を取り戻したらしいんだよ。会うか?」


 レフティはアルと顔を合わせると、作った微笑みを浮かべて機械的に返事をする。


「そうか……良かった」


 会うかどうかの答えを言わずにレフティは、同じ建物内にある仮眠室のベッドで治療を受けていたエレナの元へ向かう。

 アルはレフティに付いて行かずに、歯がゆい表情を浮かべながら、彼を見送った。


 レフティは、エレナが寝ている部屋の扉の前に立つと、ごく自然にノックをした。


「どうぞ?」


 中からエレナの了承する声が聞こえてきた。

 レフティが扉を開けて中に入ると、首まで毛布を掛けられて、ベッドに横たわるエレナがいた。

 彼女は頭全体に包帯を巻かれていて、目と鼻と口だけが覗いている。

 エレナは入室してきたのがレフティだと知ると、覚悟はしていたのだろうが、やや緊張気味に目を見開いた。


「ごめん。まだ、身体を起こせないんだ……」


「かまわないさ」


 答えながらレフティは、扉を閉める。

 エレナはレフティの背中を一瞥すると、彼が振り向く前に目を閉じた。

 まるで直接、目を合わせることを恐れるかのように。

 包帯の内にある彼女の表情は、死刑台にあがる囚人のように強張っている。

 しかし、その顔をレフティが見ることは無かった。


「……なんでも……聞いて?」


 先に、そう切り出したのはエレナの方だった。


「なんでも?」


 レフティは、その意味を図りかねて、彼女に尋ね返した。


「アリシアのこと……当時の状況……私に答えられることなら、なんでも……」


「アリシアが死んだことは知っていたのか……アルに聞かされたんだな?」


 レフティの問いかけに、エレナは頷いた。

 彼のアリシアという名前呼びに、エレナは驚きと共に哀しい気持ちに囚われる。

 レフティは少しだけ考えてから答える。


「無いな」


 いまさら、どうでも良かった。

 アリシアが死んだ後となっては、その経緯、エレナの見たことなど、どうでも……。

 魔獣の持つ力とエレナの容態、アリシアの亡骸を見れば、自ずと察しがつく。


 この時のレフティは、やはり冷静ではなかったのか?

 なぜ、エレナでは無くアリシアが魔獣に喰われたのかを、考える事すら思いつかないでいた。


 彼の言葉を自分に対する心遣いだと勘違いしたエレナは、さらに深い悲しみに落ちたが、同時に安堵もした。


「ごめんなさい。二人を守れなかった」


 弱弱しく呟くように謝罪するエレナに対して、レフティは今度こそ本当に、彼女に対する配慮の言葉をかける。


「エレナだけでも無事で良かった。俺だって、あの剣を貸して貰わなかったら、魔獣に殺されていたかも……」


 知れないと、レフティは地面に突き刺さった片手剣を想い出しながら答えようとして、何かに気が付いたように途中で話すことを止める。

 エレナは既に自分の失言には気が付いた様子で、わなわなと恐怖で震えていた。

 彼女はケガによる熱の為に、やや意識が朦朧としていたのだ。

 エレナは自身の気の緩みによる不注意を心の底から悔いた。


「……二人?」


 レフティはエレナの顔を見つめて尋ねてきた。

 エレナはレフティから逃れるように、首だけを回して顔を背けた。


「どういう意味だ? アリシア以外に誰かもう一人、犠牲者がいたのか?」


 エレナは答えられなかった。


「エレナ!!」


 堪らずに叫んだレフティの怒声を浴びたエレナは、一度だけ身体を大きく震わせると、嗚咽しながら答え始める。


「アリシアのお腹……あなたの……赤ちゃんが、いる……って……診療所の帰りに……聞かされ……」


 その紡ぎだされた言葉の意味を理解した後に、レフティの目の前が真っ暗になる。

 嘔吐物を伴わない強い吐き気が彼を襲った。

 脂汗をかきながら扉を開くと、倒れこむように廊下へと出る。

 エレナへ何も言わずに、レフティは部屋から去った。

 泣いている彼女も、彼の去った扉へと振り向く事はなかった。


 やがて、レフティが廊下の壁を叩く大きな音だけが、エレナの耳に届いた。

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