アリシアの闘い
やがて、エレナは緩やかに突っ伏した。
意識を失った彼女の肩を噛みつつ、魔獣の蛇は軽やかにその身体を空中に持ち上げる。
時折エレナの手足が小刻みに痙攣しているのが、彼女がまだ生きているという証だった。
エレナは獅子の胴体に繋がった女性の目の前に吊り下げられる。
ちょうど、エレナの股間が女性の鼻先に来る位置だった。
女性はエレナの股の匂いを嗅ぐと、少しだけ不満そうな表情をした。
だが少し後に思い出したかのように微笑むと、彼女の下半身を守る鎧に手を掛ける。
少しだけ軋むような音がして、派手な金属音と共にエレナの鎧が、下半分だけ易々と引き千切られた。
その下にあるエレナのズボンは、汗のせいだけとは思えないほど派手に濡れていた。
魔獣の女性は愉快そうに顔を歪めると、そのズボンをも引き千切ってしまう。
すると飛沫が辺り一面に散り、アリシアのいる場所にまでアンモニア臭が漂ってきた。
アリシアの嗅覚は匂いを感じていたのだが、彼女の意識は蹂躙されつつあるエレナに向けられていて、撒き散らされた小水の香りなど無かったかのように、ただ茫然としながら魔獣とエレナを見ている。
魔獣はエレナの下着をも破って捨てた。
やがて、うつ伏せになるようにエレナを地面へ寝かせると、その腰の下に蛇を潜り込ませて、身体を持ち上げさせる。
エレナは露わになった尻を魔獣の獅子に向けて、高々と上げた姿勢を無理やり蛇に取らされた。
顔を地面に着けたままで、強制的に四つん這いに近い格好をさせられたエレナの上から、覆い被さるように獅子が身体を寄せてくる。
前足が彼女の両肩の前に置かれ、ずれ動かないように固定されてしまった。
レフティの腕くらいの長さと太さのある影の先端が、エレナのまだ男性を知らない場所に擦り付けられ始める。
その様子をアリシアは、なすすべなく見ているしかなかった。
彼女は身体を震わせながら、必死で厄除けの御守りを握りしめる。
「レフティ、レフティ、レフティ、レフティ……」
愛する義弟の名前を呪文のように唱えていた。
強く握りしめてしまったせいだろうか?
小袋の中から御守りの本体である魔石が飛び出し、アリシアの目前にある地面を転がっていった。
彼女は慌てて上半身を傾けて、それを拾う。
両手の中に魔石の存在を感じると、目を閉じてホッとした。
そして、背を丸めた上体を伸ばして顔を上げると、前を見る。
その間近に獅子の顔があった。
彼女は驚いて声をあげかけたが、すかさず自分の右手で口を強く抑えた。
震える左手を胸に寄せて魔石を握り締める。
獅子はアリシアの目の前で盛んに鼻の穴を開いたり閉じたりして匂いを嗅いでいる様子だったが、やがて何かを諦めたようにエレナの方へと戻っていった。
「……まさか?」
アリシアは魔石を小袋の中に戻すと、紐に持ち直した手を真横へ水平に伸ばした。
紐を揺らして小袋を振り、軽く自分の身体から遠ざける。
その瞬間に魔獣の女性、獅子、そして蛇の頭が、同時に彼女の方へと向いた。
「ひっ!?」
アリシアは慌てて紐を引き寄せて、小袋を胸に抱く。
すると一匹に繋がった三者は、何かを見失ったかのようにキョロキョロと、辺りを見回し始めた。
厄除けの御守りが自分を守ってくれている。
魔獣を遠ざけてくれている。
アリシアは、そう理解した。
「おばあちゃん……」
彼女は小袋を胸に抱いたまま背を丸め、祖母に対する感謝の涙を流した。
この御守りを手放さなければ、自分は助かる。
その安心感から、少しだけアリシアは冷静になってしまった。
彼女はエレナを見つめる。
「助けなきゃ……」
アリシアが御守りを持ったまま応援を呼びに行けたとしても、その間にエレナは魔獣に犯されてしまうだろう。
このまま御守りを持って、エレナに近づけば良いのだろうか?
いいや、魔獣はエレナのすぐそばにいる。魔獣に接触しないでエレナに近づくのは無理だ。
例え御守りの力で存在を知られなくても、迂闊に魔獣に触れてしまえば、自分だって見つかってしまうかも知れない。
では魔獣を一旦は誘い出して、エレナから遠ざけた後で一緒に村へ逃げれば?
それもダメだ。
エレナは重症だ。自分の力で歩くことは、恐らく無理だろう。
エレナを持ち上げて運ぶだけの力は、アリシアには無い。
引きずって行くのは、どうだろうか?
アリシアはエレナが自分の手を取って、魔獣から逃げていたときのことを想い出す。
魔獣は迷いつつも正確に、逃げる自分たちの後を追って来た。
多分、あれが御守りの効果がある範囲の限界なのだろう。
仮にエレナを引きずって、運ぶ事が出来たとしても、御守りの効果範囲の外では魔獣に位置を気付かれてしまう。
それに、そんな遅い速度で村まで戻っても、エレナが保つとアリシアには思えなかった。
アリシアは彼女の思いつく最後の方法を実行に移すことを決意する。
彼女は立ち上がると、右手で小袋の紐を掴んで、腕を真横に水平に伸ばす。
今まさにエレナを犯そうとしていた魔獣の動きが止まった。
魔獣は三つの頭をアリシアの方へ向けて、ゆっくりと近づいてくる。
彼女は木の幹から離れて、森の中へ続く道に移動し始めた。
魔獣はアリシアに誘われるように、道の上を歩き始める。
「そう、いい子ね……そのまま、真っ直ぐ……」
アリシアは、ほくそ笑んだ。
魔獣が何故倒れて弱っているエレナではなく、自分を狙うのか?
アリシアには分からなかった。
しかし、このまま村まで誘い込めば、自警団の人たちが何とかしてくれる。
いくら相手が魔獣でも、大勢でかかれば倒せないことは無いだろう。
「そう、きっとレフティが倒して……」
そこまで考えてアリシアは、ハッとなった。
魔獣が自警団と闘う。
その自警団の先頭に立って、闘わなければならないのは、誰だ?
自警団の中で、今現在一番強いのは……戦闘力が高いのは、誰だ?
それは自慢の義弟。
愛する夫。
レフティだった。
レフティが、この凶悪な魔獣と闘う?
素早く動くエレナを捕まえ、その剣の突きを通さない硬い皮膚を持ち、猛毒の大蛇を携えた恐怖の獣が、アリシアの大切な恋人と対峙する。
もしかすると、大怪我を負うかもしれない。
最悪死ぬことだって、あり得るだろう。
「レフティが……死ぬ?」
アリシアの顔が青ざめていった。
魔獣と距離を取りつつ、彼女は必死になって辺りを見回す。
この魔獣とレフティを闘わせる前に、何か義弟の手助けになるようなことをしておく必要がある。
彼女は、そう考え焦っていた。
そのとき、アリシアの意識がある音を感じ取る。
先ほどから彼女の耳に届いてはいた。少し遠くにあっても大きく響く音。
滝の音。
アリシアは、ひとつの作戦を思いついてしまった。
彼女は森の中へ続く道から外れると、慎重に滝の方へと向かい始める。
やがて、アリシアは崖の上へと辿り着く。
彼女の横では川が流れ、その水は滝となって崖の下へと落ちていた。
今や滝壺の水飛沫の音は、彼女の耳に轟音となって届いている。
アリシアが崖下を背にして正面を見据えると、そこには誘導されて来た魔獣が立っていた。
彼女は魔獣を睨むと小袋を振り、外に向けて投げる。
彼女の手から紐が離れて、魔石の入った小袋は崖の上の草原に落ちた。
その瞬間に魔獣が、悦びの雄叫びをあげながら彼女に突進して来る。
アリシアは、その様子を冷静に見つめた上で、魔獣を引きつけていた。
そして、魔獣が彼女に向かって跳躍してきた刹那、真横に向かって飛ぶ。
アリシアに避けられた魔獣は、着地と同時に彼女を襲おうとして身体を横向きに捻る。
しかし、勢い余って滑りゆく魔獣の後ろ足の下に地面は無かった。
魔獣は怨みの雄叫びをあげながら、崖下へと転落してしまう。
「や……やったの?」
アリシアは後ろを振り向いたが、崖下を覗き込んで、魔獣の転落死を確認をする時間的な余裕は無かった。
すぐに立ち上がると、地面に落とした小袋の紐を掴んで走り出す。
診療所へ向かって行き、先生に事情を説明して、エレナが倒れている場所に連れて行かなければならない。
それとも、レフティたち自警団のみんなに報告するのが先だろうか?
そんな事を考えながら、わずかな距離を駆けた彼女は、手にしていた紐が妙に軽い事に気がつく。
見れば紐は、先ほどエレナが結んでくれた場所から再び解けていた。
アリシアは慌てて辺りを探すと、崖のそばに小袋が落ちているのを見つける。
「もう! こんな時に!」
アリシアが小袋を拾いに戻ろうとすると、崖下から何かが駆け上がって来る振動が聞こえてきた。
彼女は急いで小袋に駆け寄ろうとしたが、一足遅く……。
「あ……ああっ!?」
無傷の魔獣が小袋のある地面の上に降り立った。
魔獣の女性がにたりと笑って、瞳の無い目で見つめてくる。
アリシアには、そんな風に見えていた。
アリシアは悲鳴をあげた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます