厄除けの御守り

 レフティとアリシアが結婚式を挙げた深夜。


 汗をかいてしまったアリシアは、自宅の井戸のそばで身体をこうとしていた。

 レフティは早朝に共同浴場へ行くと言い、寝てしまっている。

 風呂には後で自分も一緒に行こうと思いながら、アリシアは井戸をコの字に囲むように立てられた、背が高く隙間すきまほとんど無い木のさくの中へ入る。

 手にしている木桶きおけの中のかわいた着替えを取り出して、井戸のそばに置いてある小さなたなの上に載せる。

 木桶を水出口みずでぐちの下に置いて、手押しポンプのハンドルを上下に往復させると、勢い良く水がき出して、木桶の中にまっていった。

 アリシアはしゃがんで、木桶に溜まった水へ布をひたす。

 その時、水面みなもに映る形のゆがんだ輝きに気がついた。

 彼女はゆっくり立ち上がると、背筋を伸ばして空を見上げる。


「綺麗な満月……」


 誰に語るでもなく、アリシアはひとちた。


「レフティと出会う前の夜も、満月だったわ」


 木桶の中の水に布を浸したままで彼女は、寝間着である薄手の白いワンピースのスカート部分を掴んですそ手繰たぐり寄せる。

 両手を交差させて裾を掴むと、持ち上げるようにして脱いだ。

 大人になってロングにするようになった栗色の髪が、彼女の白い両肩と鎖骨で出来たくぼみを覆う。

 汗で濡れた寝間着は、井戸のそばに置かれた洗濯かごの中に入れられた。



 上も下もなんら下着を身につけていないアリシアは、ひじを挙げると両脇を開くようにして、首の後ろに両手を回す。

 豊かな胸の谷間にある布製の小さな袋を、ペンダントのように支えているひもを掴むと、そっと首から外した。

 袋の口を縛る部分がゆるんでいたのか、中身がこぼれて木桶の水の中に入ってしまう。


「いっけない」


 アリシアは、しゃがんで袋の中身を拾う。

 それは、美しい宝石だった。

 深い紫色をした半透明な石の中で、金色に輝く紋様もんようが浮かんでいる。

 彼女は、これを祖母から渡された時の事を想い出していた。


 二年ほど前のことだった。

 白昼堂々はくちゅつどうどうと、村の大地主おおじぬしの屋敷に盗賊団が押し入った事件があった。

 アリシアも人質の一人としてとらわれ、地主が地下の金庫を開けるまでの間の時間稼ぎ、自警団に対する牽制けんせいに使われた。


 自警団の団長は、屋敷の外にいる盗賊達を大柄の団員達で陽動しつつ、小柄な団員達で屋敷の内部に侵入して見張りを倒し、人質を解放する作戦を立てた。

 当時のレフティは、まだ少年だったので突入するグループに選ばれた。

 自警団の団長の指示の元、レフティ達は慎重に屋敷の中に侵入して、敵に気付かれないように次々と倒して行く。

 村の自警団ごときがと、盗賊達があなどっていた事もあったのだろうが、レフティ達は団長の期待通りに人質を無事に全員解放できた。


 レフティはその日アリシアを助ける為に、犯罪者とはいえ初めて人を殺した。


 その時は静かに、まるで獣のような目でアリシアの近くにいた盗賊の首をき斬ったレフティだったが、夜に家へ戻ってからは夕食もらず、ベッドで横になっても眠れず、やっと寝たと思えば悪夢にうなされたかのように飛び起きた。


 その夜は、そばで一緒に横になっていたアリシアが、震えるレフティの頭を両腕で抱きしめていた。

 レフティはそんな彼女に向かって、義姉あねとはいえ女性として、自分が如何いかにアリシアの事を愛しているのかを語った。

 まるで殺人の罪に対して女神にゆるしを乞うかのように……。


 子供の頃は、生意気だけど可愛いだけの義弟おとうとだと思っていたアリシアだったが、いつしか一人の男性としてレフティにはかれていた。

 しかし、自分は義理でも姉だからと、その気持ちを心の引き出しに、そっと仕舞っていた。


 こんな切っ掛けが無ければ、彼女の心が揺さぶられる事も無かっただろう。


 その夜、アリシアはレフティを受け入れて、二人は恋人同士となった。


 しばらくは祖母に内緒の逢瀬おうせが続いたが、自分達から告白する事を決めた。

 床の上に正座した二人からベッドの上で座りながら話を聞いた祖母は、心の底から呆れたという表情をする。

 アリシアにとっては幾度いくどとなく見てきた顔で、いつもなら気にも留めないのだが、流石に事情が事情なので戦々恐々せんせんきょうきょうとしていた。

 そんなアリシアとレフティの様子を見た祖母は、とても大きな溜め息を一度だけ吐くと笑う。

 次に彼女の口から出たのは、祝福の言葉だった。

 アリシアは喜んで祖母に抱きついた。

 レフティは彼女に感謝の言葉を述べる。

 アリシアの頭を撫でながら祖母は、孫娘に渡したい物があると伝えた。

 レフティは立て掛けてあった杖を祖母に手渡す。

 アリシアは彼女から離れ、もう一方の手を支えるように両手で握った。

 祖母は立ち上がると、ゆっくりとベットとは部屋の反対側にある箪笥チェストのそばまで一緒に歩いた。

 その引き出しを開くと、中から長い紐で結ばれた小さな袋を取り出す。


「レフティ、これをアリシアに掛けておくれ」


 義理の祖母から小袋を受け取ったレフティは、お辞儀じぎをするような姿勢のアリシアの首に、静かに小袋を支える紐を掛けた。

 頭を挙げたアリシアは、その胸の上にある小袋を、そっと片手で触れる。


「アリシア、それは昔あたしがおじいさんと結婚した時に、おじいさんの母親から受け継いだ物なんだよ」


 娘とそっくりな孫娘の様子を眺めながら、祖母の説明は続いた。


「それは『厄除やくよけの御守おまもり』といってね。昔の魔導錬金術士まどうれんきんじゅつしの人が、おじいさんの先祖の為に作った物で、様々な災難から守ってくれる有難い石が中に入っているんだよ」


「そんな大切なものを、私に?」


「いいんだよ。お前に結婚する予定の相手が出来たら渡すつもりだったし、お前の亡くなった母親にも結婚した時に一度渡してあった物なんだよ」


 アリシアを見つめる祖母の目が、少しだけ涙で滲む。


「いいかい? なるべく、それを肌身離さずに持っているんだよ? わたしゃ、それのおかげで今日まで無事に生きてこられたのかも知れないんだよ」


 涙が、わずかに溢れて頬を伝わる。


「お前の母親にも、あの時、きちんと忘れずに持って出掛けるように言い聞かせておけば、あんな事にはならなかったかも知れないね」


 アリシアは祖母を両手で抱きしめると、髪の毛を優しく撫でた。

 祖母は娘の、アリシアの母親の最期の事を想い出して哀しんでいる。

 だけど気を取り直して微笑むと、身体を離したアリシアにハンカチで涙を拭ってもらう。


「レフティ、おまえもアリシアの事を守っておくれよ?」


 こちらを向いた育ての祖母に、笑顔だが真剣な眼差しでわれたレフティは、力強く大きく頷いた。


 そんな昔の事を想い出しながら、アリシアは石を小袋に戻すと、着替えの上に置いた。

 木桶の水の中から濡れた布を取り出して、しっかりと絞る。

 そして身体を拭き始めた。


 あれからアリシアは、祖母の遺言ゆいごんとなってしまった言いつけをきちんと守って、服を脱いで風呂に入る時や身体を拭く時以外は、厄除けの御守りを常に身につけるようにしている。


 いや、彼女が御守りを外す時は、まだ一つだけあった。


「あっ!?」


 軽く声をあげたアリシアは、身体をぶるっと震わせる。

 彼女の内腿うちももをレフティの雫が伝っていく。

 その感触に彼女は幸せを感じつつも、生暖かさで戦慄わなないてしまった。

 アリシアは少しだけ脚の間を開くと、それをゆっくりと布で拭き取る。

 しゃがんで、もう一度だけ布を木桶の水に浸すと、良くすすいで絞り直した。

 それを洗濯かごに入れる為に立ち上がろうとした彼女は、腰に軽く針でつつかれたような痛みを感じて、思わず前屈まえかがみになってしまう。


「あいたたたた」


 まだ若いはずのアリシアは、片手で腰の斜め後ろを軽くトントンと叩いた。


 レフティは普段は優しく大人しいのだが、最近は月に一度くらいの頻度ひんどで優しいままだが荒々しくなる。

 彼がたかぶってくれる事自体は、彼女にとって逆に嬉しい事ではあるのだが……。


「それにしても……」


 今年、アリシアは二十四歳になったが、たぶんレフティは十八歳くらいになったばかりだろう。


 将来的な夜のいとなみに対して、若干の不安を抱くアリシアだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る