出会いの朝
朝。
村から街へと、そばで川が流れている道を歩く、二人連れがいた。
一人は少女。
栗色のミディアムボブの毛先を揺らしながら、楽しそうに歩いている。
もう一人は老婆、というには少しだけ若く生気あふれる女性。
少女が少しだけ顔を上げて、彼女を見ながら話しかける。
「それでね、おばあちゃん。私ね、どうしても弟が欲しくてね。昨日の夜にね。お月様に、お願いをしていたの!」
「そうなのかい? アリシアは熱心だねえ」
少女アリシアに向かって微笑む女性は、顔には出せない哀しみを心に感じていた。
アリシアは彼女の娘の子供、孫にあたる。
アリシアの両親は魔の眷属に殺され、この世にはもういない。
祖母である彼女が引き取り、今は街で彼女の亭主、つまりアリシアの祖父と共に生活している。
老父婦に対して表には出さないが、アリシアは家族が少ない事を寂しがっている。
しかし、アリシアが何度でも熱心に天へ願おうとも、彼女の家族に弟が加わる事は、もう有り得ないだろう。
孫が成長して誰か良い人と結婚するまでは、自分達がしっかりと育てなければならない。
アリシアの祖母は改めて、そう決意した。
「でもね。その時、お月様が闇に覆われてしまったの!」
アリシアは、凄くビックリした、といった表情を見せる。
そういえば、昨夜は『月喰いの夜』だったかしら? と、アリシアの祖母は考えた。
アリシアは物心ついてから皆既月食を見るのは初めてだったので、とても驚いたことだろう。
「しばらくすると、暗くて赤いお月様が現れて……私ね。きっと願いを叶えてくれる事を伝える為に、お月様が魔法で姿を変えたんだわ! と、思ったのね?」
アリシアは、そう言って無邪気に微笑んだ。
彼女は両親の
いや……魔神の正体が月神であり、月に神がいたという伝説を知る者は、この世界の人間では一握りだけだった。
だから祖母もアリシアの微笑みに微笑みで返す。
「そうかい? そうだと、いいねぇ」
「きっと、そう! だから……」
アリシアは、そこまで言いかけて、ふと何かに気がついた様に辺りをキョロキョロと見回す。
「どうかしたのかい?」
祖母が尋ねてくると、アリシアは右手の平を立てて彼女の顔に向けた。
アリシアは左手を片方の耳の後ろに当てると、そっと目を閉じる。
その耳の中へ激しく流れる川の音に混ざって、声が届いた。
アリシアは瞼を開き、喜びの表情と共に駆け出す。
何事か? と、祖母は思いつつも、走っていくアリシアの後を、ゆっくりと歩きながら追っていく。
やがて彼女にも、激流の音以外に赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
「うぅわあぁ!」
地面の
彼女は急いでしゃがみ込むと、赤ん坊を抱きかかえて立ち上がる。
「アーリーシーアー!」
ようやくアリシアに追いついた祖母が、背後から声をかける。
アリシアは赤ん坊を見せようと、祖母に向かって身体ごと振り向いた。
「アリシア!?」
アリシアは頬が泥だらけになるのも構わずに、泣いている赤ん坊に
祖母は慌ててポケットからハンカチを取り出し、彼女の顔を拭いてやった。
「まあまあ! この娘は……」
呆れながら自分を綺麗にしてくれる祖母に向かって、アリシアは笑顔で言う。
「おばあちゃん! お月様が約束を守ってくれた!」
祖母の顔は更に呆れていく。
「アリシア、この赤ちゃんはね……」
おそらく捨て子だろう。
祖母はアリシアに向かって、そう言いかけたが、やめた。
心優しい孫に捨て子という存在の意味を教えるのを躊躇った。
祖母はアリシアが抱いている赤ん坊の顔の泥を拭きながら、どうするのかを先に考える事にした。
それにしても河原に捨てて置くなんて、なんて酷い親だろう、と彼女は思った。
その薄情な親が住んでいそうな場所を考える。
少し遠い所に自分たちが住む街とは別の街があるが、そこでは無いだろう。
あそこは金持ちの多い街だから、赤ん坊を捨てるような世帯があるとは思えない。
自分たちが泊りがけで買い物に行った村は、どうだろう?
いや、それだったら帰り道にそれらしい人物と出会う筈だ。
やはり、自分たちが住む街の人間の誰かなのだろう。
アリシアの祖母は、街の人々を自分の親戚のように思っていたので、その中からそのような人物が出たかもしれない事を酷く哀しんだ。
「おばあちゃん?」
考え事をしていた祖母の服の袖をアリシアが引っ張る。
「ああ、ごめんね?」
祖母はアリシアに微笑むと、その頭を優しく撫でる。
「アリシア、この赤ちゃんは何か事情があって、今は母親が離れているだけだよ?」
祖母にそう諭されると、アリシアは何となく理解はしたが、感情から頬を膨らまして赤ん坊を抱きしめる力を強める。
赤ん坊は既に泣き止んでいた。
「でも、そうだね……泥だらけのままは可哀想だから、ウチに連れて帰ってお湯で身体を拭いて、新しい肌着に着替えさせてあげようかね?」
そして街の人達に尋ねて回ってみよう。
最近、街の中で怪しげな行動をしていた母親がいなかったのかどうかを……。
役人にも両親の行方、または所在を調べて貰おう。
それまで我が家で預かるのも仕方ない。
このまま、この赤ん坊をここに置き去りにしておくのは、余りにも可哀想だ。
きっと主人も理解して、納得してくれる。
祖母は、今後の方針を決めた。
アリシアは再び微笑む。
「それじゃあ……」
「ああ、そうさね。とりあえず、この赤ん坊を連れて家に帰るとしようか?」
祖母はそう言うと、アリシアから赤ん坊を受け取ろうと両手を差し出した。
アリシアは上半身を
「大丈夫! 私が抱いて行く!」
「重くないかい?」
「重くない!」
「じゃあ、疲れたら交代しようかね?」
「うん!」
ふと、アリシアは自分の右手の人差し指を握ってくる赤ん坊の左手に気がついた。
彼女は、じっとその小さな手を見つめる。
「おばあちゃん! 私、この子の名前を決めたわ!」
「名前……かい?」
すっかり自分の新しい家族にする気満々の孫の笑みに、祖母は少しだけ圧倒された雰囲気で尋ね返す。
「うん! この子の名前は……」
アリシアは赤ん坊を見て優しく微笑む。
その表情はすっかり、慈しみに溢れた義姉の顔になっていた。
「この赤ちゃんの名前は、レフティ!」
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