51杯目 懐古的碧

 二年生も始まり二週間。新しい授業も一巡したところで、やや久方ぶりに有栖川茶房を訪れた。

「む」

 いつも通りかと思いきや、窓とドアが前回来たときのままだ。レトロ喫茶は未だ健在らしい。何を注文しようかと思案しながらドアを開けると、カウンター席の奥側二席に先客がいた。

 朝と真だ。

 二人ともクリームソーダを前に並んで座っている。鮮やかな青緑色にアイスにチェリー、といういかにもなクリームソーダだ。

 カウンターの指定席が空いていたので、有紗はそこへ腰掛けた。

「いらっしゃい、アリス」

 弥生が水とお手ふきを出して、いつものように迎えてくれる。

「まだ元に戻してなかったんだね」

「桂が気に入っちゃったみたいでさ。毎日ナポリタン食ってる。今も昼休憩で上でもぐもぐしてるぜ」

「奥からいい匂いするけど……?」

「今、笑太がオムライス作ってんの。この二人の注文でさ」

「オムライスかぁ。美味しそうだけど、お昼食べちゃったし、流石に入らないなぁ」

「まあ、なんか飲んで行けよ」

「うん。そうする」

 そう言ってメニューを手に取ってみたものの、横の二人が飲んでいる毒々しいまでに鮮やかな飲み物が気になって仕方がなかった。

 視線に気がついたのか、有紗側にいる朝が、つい、とグラスを差し出して、

「飲む?」

 と訊いてきた。

「ううん。自分で頼むから大丈夫だよ」

「そう?」

 朝はグラスを引き戻し、バニラアイスを沈めたりストローで啜ったりを再開した。

「というわけで、クリームソーダ頂戴?」

「おうよ」

 威勢のいい声を残して、弥生は厨房に行ってしまった。水を飲みながら呆けていると、

「あれ。朝。チェリー食べないの?」

「缶詰のチェリー、苦手なんだ」

「じゃあボクに頂戴?」

「いいよ? これ、好き?」

「大好き。このチープな感じたまんないよね」

「そういうもの……?」

 とても禍根が存在する間柄とは思えないやりとりが展開されていた。

 朝がハートの皆を良く思っていないのはもしかしたら事実かも知れない。しかしそれはちょっとした嫉妬のようなもので、怨恨とはまた別の次元の問題のように思う。そうでなければここでチェリーの授受が行われているわけもなく。

 微笑ましく彼らの会話を聞いていると、弥生がクリームソーダを持って戻ってきた。

「はい。お待たせ」

「わあい! 私ね、クリームソーダって実は飲んだこと無いんだ」

「え。マジ?」

「どんなものかは知ってるんだけどね」

 先ずは先客達がやっていたようにアイスクリームをどっぷりと青緑の中に沈めて溶かす。気持ち混ぜたところで、ストローで溶けたアイスごとソーダを吸い上げる。シロップのようなメロン味とバニラの味が混ざって面白い。

 気に入った。

 ストローの先で沈めたアイスをつつきながら、断続的に吸い上げていく。

 初めての味を一人楽しんでいると、皿を二枚持った笑太が厨房からやってきた。その皿を朝と真の前に置く。真っ白な皿に黄色い山が出来ていて、ケチャップで装飾されている。オムライスだ。実物を目にすると、昼食を食べてしまったことが本当に悔やまれた。

「朝、今年は結局どうしたの?」

 何事かを笑太が朝に尋ねている。

「うん。行かないことにした。中学卒業できたし、どうせ馴染めないしいいかなって」

 そして何事かを朝が答えている。

 ソーダを啜りながら何の話だろうと聞き耳を立てていると、

「朝な、頭良すぎて学校馴染めなくて不登校なんだ」

 何も訊いていないのに弥生が教えてくれた。

 頭良すぎて、馴染めなくて、不登校。気になるワードはいくらでもあったが、最も気になったのはその前の笑太との会話の中身だった。

「というか、朝くん、今、高校生?」

「通ってないけど年齢だけはね」

「ふえ。てっきり真くんと同じで成人しているものだとばっかり」

「真と一緒にしないでよね。似てるのは背丈だけなんだから。俺はこれから伸びるの!」

 朝は口を尖らせてスプーンでオムライスを掘り始めた。会話に参加していなかった真も同じタイミングでオムライスにスプーンを入れていた。

 この二人の間に最低十歳以上の差があるとはとても思えない。少なくとも外見上は同い年だ。

 ――見かけによらないって、こういうことも言うのかぁ……。

 真に基準を合わせていたから生じた誤解ではあるものの、五歳も年下の少年とは思っても見なかった。

 ただ、学校に行っていないという事実は、有紗には馴染まなかった。学校が大好きだった有紗にとってそこへ行かないということは考えが及ばない。その所為で、つい訊いてしまった。

「学校行かなくて、寂しかったりしない?」

 と。

 すると、朝はやけに大人びた顔をして、振り向いた。

「寂しくなんてない。今、楽しいからいいんだ。環も学校行けって言わないし、そこにいれば誰も俺のこと子供扱いしないし。そりゃ、偶には会話にならないこともあるけど、それでも、同列に扱ってくれるだけで嬉しいし。学校行かなくったって勉強する方法なんていくらでもあるし。資格だって取ろうと思えば取れるし。俺は今の状況、悪いことだなんて思ってない」

 そう言って彼はオムライスを口いっぱいに頬張った。

 そして、どうやら、彼に対して失礼なことを言ってしまったようだ。彼が異質にならない場所。それが環達がいる処なのだ。なんとなく巧く過ごしてきてしまった自分には経験したことのない違和感を、朝は感じて来たのだろう。

「そっか。……そうだね」

 彼の言に頷いて、有紗は自分のソーダへと戻った。

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