36杯目 ホリデイ

 男三人が二つの皿を囲んで皿の上を見つめていた。

 カウンターの中からは弥生が、席がある側からは環と桂が、それぞれ皿を覗き込んでいる。

 皿の上にあるのは何切れかスライスしたケーキ。どちらもドライフルーツがぎっしり詰まり、全体的に茶色い見た目をしている。

 片方はよりみっちりと具材がつまり、酒とスパイスの香りが芳醇だ。もう片方はパウンドケーキのような見た目に同じくドライフルーツが詰まっている。

「俺は絶対俺が作った方が美味しいと思うけどな」

「この本場の方も俺は食べ慣れているからなんとも思わないが」

「でも、酒もスパイスも強すぎて、俺、クラッときたし」

「僕はどっちも美味しいからどっちでもいいや~」

 こんな感じでどちらの皿が旨いか、果てはどちらを店に出すべきかが決まらない。

 談義しながら主に弥生と環が皿の上のものを交互に食べては感想を述べていく。

「弥生の方はケーキとしては申し分ないが、趣旨としてどうなんだ?」

「確かにそれ言われちゃうと苦しいなぁ。俺のは最早フルーツケーキだからなぁ」

「食べやすいのはこちら。本場を求めるならこちら。どちらも一長一短あるからな」

「うーん」

 弥生は腕を組んで思案し始めた。

 環が言うように一長一短ある。そのどちらを取るかが決められない。

 もう少し意見が欲しい。

 そう思ったとき、店の扉が開いた。


   *


 カウンター席で環を含めた三人が何かを覗き込んでいる。

 何事だろうと、有紗はゆっくりと店内に入った。

「環さん、お久しぶりです」

「ああ、久しぶり。……そうだ。アリスにも食べて貰ったらどうだ?」

「食べる?」

 隙間からカウンターの上を覗いてみれば、似ているケーキのような食べ物が二つの皿それぞれに置いてある。

「これ、何ですか?」

 茶色い、ぎっしりとした、ケーキのようなもの。

「クリスマスプディング」

「プディング?」

 有紗の持っているプディングの概念とはおよそかけ離れた見た目をしている。

「イギリスのクリスマス菓子なんだよ。ドライフルーツとかスパイスとか入れて作んの。作りたてはあんまり美味しくなくて、何週間とか、時には何ヶ月とか寝かせて熟成させて食うんだけどさ」

「熟成……」

 お菓子の話をしていて熟成という言葉が出てくるとは思いもしなかった。

「こっちの皿が環が買ってきてくれた本場の奴。で、こっちが俺が作ったアルコールとスパイスほぼナシのケーキ」

 よりどす黒い色をしている方が本場、ということのようだ。

 差し出されたフォークを受け取って、まずは本場の方を食べてみる。ねっとりとした感触で、フォークに絡みついてくる。

「ふあっ!」

 洋酒と強烈なスパイスの香りで、流石に驚いた。

「すっごい味が濃いね。びっくりしたー」

 飲み込んでも味が口の中に残っている。濃いめの紅茶かコーヒーがあれば口の中をすっきりさせられるのに、と悔やまれる。

「ね、弥生くん。お水貰える?」

「そ、そんなに不味かった?」

「というか、味が濃すぎてもう一個の食べるのに味、わかんなくなりそうだから」

「あ、よかった」

 出てきた水で口の中を流し、いざもう一種類。

 今度は普通のパウンドケーキのような感触で、食べてみても特段変哲のないドライフルーツケーキだった。

「こっちは食べやすいね。悪く言えば、凡庸、かな」

「凡庸、かぁ」

「最初に食べたのが強烈過ぎちゃって……」

「アリスならどっち食べたい?」

「うーん」

 どんなものかを知っているのなら、本場のもありだが、如何せん個性が強すぎる。

 食べやすさと無難さを取れば、弥生が作ったものの方が良い。

「私は弥生くんのケーキかなぁ」

「やっぱり意見分かれるよなぁ」

「これ、お店に出すの?」

「出そうかなって思ったんだけど、どっち出すかが決まらなくてさ」

「この味は人を選ぶよね……」

 後はどのくらいコンセプトに拘るか、にかかってくる。

 イギリス菓子を前面に出すか、お茶菓子としてそれらしいものを出すことにするか。

「もうさぁ、そんなに悩むんなら、両方出しちゃえばー? それで、お客さんに選んで貰うの」

 口を挟んだのは桂だ。彼の口にはどちらも馴染むらしい。

「多分この本場の味を知ってるのなんて環くらいのもんだから、選ぶに選べねぇとおもうんだけどな、俺」

「そっかぁ。両方美味しいからいいと思ったんだけど」

「旨けりゃ何でもいい奴はちょっと引っ込んでろ」

「ちぇー」

 つまらなそうに桂は口を尖らせた。

「取り敢えず今日はこっちのドライフルーツケーキ食べていくか?」

「うん、そうする。飲み物は紅茶がいいな」

 紅茶、と口にした途端、桂の尖った口が弓なりに笑む。

「アリスちゃん、ありがとー!」

 上機嫌で紅茶の用意をし始めた桂を横目に、有紗はテーブル席の指定席に向かった。

 鞄を置き、ふっと息を吐く。

「ぶなぁ」

 どこからかやってきたてっさがソファ席に上がったが、今日は近寄ってこない。少し離れたところで香箱を組んで座っている。

「今日はいいの?」

「ぶーなー」

「そう?」

 何があったのか、今日も寒いというのに猫は暖を取りに来ない。

 少し寂しい気がしながらも、無理強いはしないことにした。

 弥生が水とお手ふきを置いて、また去って行く。

「聞いたぞ。瑛の店でアルバイトするんだって?」

 カウンター席にいた環から話が振られた。

「そうなんです。明日から三日間、頑張ります!」

「あの店は行事があると忙しくなるからな。程々にな」

「はいっ」

 ところで、と話題は続く。

「年末に実家に帰ったりするのか?」

「この間電話掛けたら、海外に行くって言ってたので今年は帰らないことにしました」

「娘を置いて海外旅行か。……自由なご両親だな」

「夏には海外から電話掛けてきたんですよ。何の用もないのに」

「実は寂しいのかもしれないから、機会があったら帰るといい」

「そうですね。親が家にいるときに一回帰ります。早くて来年の春になりそうですけど」

 早めに帰ると言っておかなければ、また予定を入れそうなのがあの両親だ。年始の挨拶の時にでも話題にしてみよう。

 ――年始の、挨拶かぁ。

 実家を離れて初めての年越しだ。家で出来合いの蕎麦を食す予定だが、一人で過ごす大晦日にぴんとこない。

 ――初詣とかどうしようかなぁ。

 実家にいたときは半強制的に連れて行かれた初詣。幸い、学校の近くに学業の神様の神社があるので、そこで済ますという手もある。

 悠々自適に心ゆくまで寝正月、というのも選択肢の一つだ。

「はい、ケーキ」

 弥生が持ってきた皿には、薄めに切られたドライフルーツケーキにホイップが添えられていた。

「やったぁ! ホイップ!」

「サービス」

 弥生がいい笑顔をしている。

 泡立てた生クリームは大好物だ。それだけ舐めていることもできる。

 この生クリームやアイスクリームがあれば、本場のきつい味もまろやかになるのではないだろうか。

 そんなことを思っていると、入れ違いに桂がやってきた。

「今日は祁門キームンだよー。多分その諄いケーキに合うと思うんだー」

「諄いとか言うな! 諄いのは本場の方!」

「あれぇ。そっかぁ。でも、ドライフルーツにも合うと思うからー」

 桂がティーポットから一杯目を注いでくれる。スモーキーな香りが立ちこめて、思わず深呼吸する。一度飲んだことのある祁門だが、個性の強い味だったように思う。確かに味の濃いこのケーキには合いそうだ。

「いただきまーす」

 ホイップクリームをケーキに載せ、一口。

 思った通り、中々合う。

 そして紅茶も一口。

 こちらもいい選択と言える。

 若干の上から目線で満足しながら、今日のデザートを堪能した。

「そうだ。弥生くん。このお店って何日まで営業?」

「今年は二十八日まで」

「わかった。クリスマス明けに来られたらまた来るね」

「おう。待ってるから」

「えへへへ」

 最近、有栖川茶房に来るのが友達の家に通っているような感覚になっている。或いはもう一つの自宅のようだ。

 のんびりと、寛げる。自宅と違うのは、会話が出来ること。

 そんな居心地のいい場所に待っていると言われれば、行かない理由が無い。

「去年なんかはクリスマスの後全部休みにしちゃったけどな」

「ええっ、一週間以上休みって事?」

「そん時は年始も十五日くらいまで休みにしちゃったから三週間以上。ほぼ一ヶ月休みだったもんな」

「うわぁ……」

「しかも理由が、『暇だから』っていう桂の一言で」

「あっ、そうだ、年始のことも聞いとかないと」

「年始はなぁ、大体毎年十日までは休みなんだ。来年もそうだよな、桂」

 と、弥生が桂を見れば、彼はうーんと唸りながらやはりゆらゆらとして、

「気が向いたら開けるよぉ」

「気が向いたらじゃ困るんだよ」

「じゃあ、十日」

「オッケ、十日な。アリス、十日までだって」

「じゃあ、十一日に来れば開いてるね。わかった!」

 手帳を取り出して早速メモをする。丁度学校が始まるのと同じ頃合いなので、また下校の際に寄ることにしよう。

 早くも浮かれ気分で手帳を閉じ、鞄に仕舞う。

 そしてまた、クリスマスのイギリスの世界へと戻っていった。

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