第7話 花美という憤怒
「どうしてそんな顔するんですか美玲さん」
「どうもこうもないわ。私の前で他の女の子の話をしたのはあなたでしょう?」
午前の授業が終わり、蝉の声が良く聞こえるお昼休憩中のカフェで、美玲さんは教科書と睨めっこしながらそう僕に言い放った。
「そもそも普通私という美少女がいながら他の女の子に目が行くかしら」
「いいえ美玲さんが1番可愛いです素敵です。ですからそういう話じゃなくて、僕はただ単に気になってるだけですから」
「そう? まあ私がこの世で1番可愛いのは当たり前よね」
あの鬼のような口調で地獄を戦い抜いてきた英雄がこうも自信満々に言い張る姿はなんだか可愛かった。
「それで、花美の何が聞きたいの?」
「花美の得意単語について、なんですけど……。元が詳しい事を聞くならって美玲さんのことを言ってたんだ。関わるならちゃんと見てあげないといけないよって。本人に聞こうにも、今日は休みみたいだし」
「ああ、その事……」
美玲さんはそう言って少し考え込むような素振りを見せた。
この話は別あまり他人にペラペラと喋るような話じゃないんだけど——花美はねライブラリアンに父親を殺されてるのよ」
衝撃の発言からその話は始まった。
「まだ毒者に関する法律がガバガバであやふやだった時の話よ。当時の毒者と人間の区別はあやふやだったの。勿論初期段階にある毒者は基本奇形タイプで意思を持たないから一目でわかるけど人型に成長していくと人間社会に溶け込んで暮らすようになる。だからね、当時のナチェラルは毒者として暮らしていたのよ」
美玲さんは足を組みながら言った。
「学習特区化が進むなか相応しくない区民の立ち退きに揉めたお父さんがナチェラルってバレて、その場で射殺されたわ。酷い話よね、男手一つで育ててた娘もナチェラルだったなんて……。彼女は必死に逃げたわ。下水道で暮らしながら泥水をすすって生きる毎日、そりゃ酷いものよ……私が見つけた時には、今の彼女からは想像できない姿だったわ。私が見つけなかったらあの子ずっとこの下の下水道で何かに怯えながら誰にも会わずにたった1人で暮らしてたのよ」
「酷い……」
「だからね……あの子、本当はずっと——怒ってるのよ。この世の理不尽を」
◇◇◇
「はーい、お前ら全員注目―」
朝の教室で先生は黒板に何か書きながら言った。
「あれ、有田はどうした」
「悠人はお腹痛いってさっき医務室へ行きました」
「なんだ俺にも言えよあいつ……来週ペア戦があるから説明しようと思ったのに」
岬美玲は有田悠人の席をしょうがない子、といった表情で見ていた。
◇◇◇
蝉の声がよく聞こえる。石畳の道がカツカツと音を鳴らす。
美玲さんの言葉がずっと耳元に残っていた。
「ずっと怒ってる、か」
彼女のような人がどうして憤怒という得意単語なのか、疑問に思っていた全てのことがわかった訳だが、僕は胸の中のもやもやとした得体の知れない感覚が増大していくのを感じていた。
人はどれだけ中身が大事と言っても、結局は表面を見なければ中身を見ることすら不可能だ。僕は彼女の表面だけで全てを語っていた事に酷く罪悪感が今の僕の足を動かしている。
彼女の迷いを同じ迷い仲間として、どうにかしてあげたい……と。
「花美……さん」
「わおっ……どうしたんですか? 改まって」
迷い林を抜けた広場では、学校を休んだ彼女がいつもと変わりなく太陽の日を浴びながらちょこんと座っていた。
「隣、いいか?」
「いいですよ……はい、どうぞ」
僕の座るところを確保するため、彼女は横にズレた。
「聞いたよ……美玲さんから、憤怒のこと」
「そう……ですか」
僕の言葉を聞いた途端、彼女の顔からは笑顔が消えた。
口説い遠回しの言葉も嫌いだったので単刀直入に言ったのだ。
「美玲ちゃん、ですよね」
「うん、でも美玲さんは悪くない。僕がどうしても聞きたくて——」
「いいんです。美玲ちゃんが話したってことは、美玲ちゃんが悠人さんを信用しろって言ってることと同じですから」
こんな所まで蝉の声が聞こえてきた。何が僕達の会話を遮ろうと邪魔をしてるみたいだった。
「もう……復讐したいなんて思ってません——あの時の私なら、怒りに身を任せていたかもしれません、でも……美玲ちゃんが私の世界を変えてくれたから」
花美がそう言うと、迷い林がゆらゆらと風を受けて揺れ出した。
「私……変わりたいんです。自分自身を知りたいんです。克服したいんです。逃げたく……ないんです」
彼女の本当の迷いを見た気がした。彼女はずっと迷っていたのだ。あの時からたった1人この林の中で。
「手伝うよ。僕にできる事ならなんでもする。辞書展開を教えてくれたお礼、しないといけないから」
「悠人さん……はい! よろしくお願いします!」
うつむいた顔を上げた彼女は、あのいつもの笑顔だった。どれが隠していた表情かは分からないが、不思議と今目の前にある笑顔は本物な気がした。
それからは本格的な特訓が始まった。
来週にペア実戦があると聞き、そこに向けて2人でペアを組んで戦うこととなった。美玲さんがひとりぼっちになり不機嫌そうな顔にしてたが、全員ボコすと息巻いていたので満更でもないような雰囲気だった。
自分自身を見直す、自分自身の思いを素直に出す、この2つを目標に僕たちは特訓を行なった。
「好きなものは?」
「セーレン・キェルケゴールの『野の百合と空の鳥』です」
「キェルケゴールって言ったら『誘惑者の日記』しか読んだことないや」
「美的著書もいいですけど、宗教的著書の方が私は好きです」
まずは互いを知り、一般的に仲がいいと呼ばれる度合いまで関係を進めることにした。自分自身を知ってもらいそこから不意に出る自分も知らない自分の事を相手に理解してもらうためだ。決して僕がかわいいからもっと君のことを知りたいとか言い出して始まったわけではない、決して。
「単語〔憤怒〕を引いてください!」
【憤怒】つかみかからんばかりの恐ろしい形相(ぎょうそう)で、激しく怒ること。
怒りを象徴するように大地は揺れ、地面が剥がれ始める。剥がれた土や岩は拳のように形成されていく。
「昨日より形成時間が早くなってる気がするな」
「でもこのままじゃ、形成時間が相手にとって有利な状況にさせてしまいます……」
「そうなんだよなあ……まあそこは僕がカバーするとして問題は——この暴力的な拳さんですよ」
辞書で防壁という単語を引いているから良かったものの、この僕を殴り殺すために奮闘している拳によって毒者や敵よりも、真っ先に僕が死ぬ。
やっぱりまだ本質的には怒っているのだろう。辞書をもつライブラリアンに似た僕を憤怒は許せないのだ。
「やっぱり……私」
「諦めることないよ! 僕でよければいくらでもサンドバッグになるから!」
「悠人さん……だんだん秋上さんに似てきてませんか?」
「失敬な!」
そんな日々を過ごしていた。楽しい日々だ。授業を受けては秘密の特訓のため2人で迷い林へといく毎日。
必死に生きた日々は気づけば、ペア実戦を明日に控えていた。
まだ完璧ではない花美の力は、いきなり本番へと突入することになったのだ。
あの読者を殺せ 石富かが @duckU
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