第6話 秘密の特訓?
「眠い……」
おはようございます。朝です。僕です。初日を終え、迷子になり、部屋に備え付けの硬いベッドで眠れなかった有田悠人です。
朝の登校時間、僕は目を擦りながら靴を履いた。周りを見渡すと教室に向かうために洗面台で歯を磨く生徒や友達と談笑したりする生徒が多く見られる中、1人だけ異彩を放ちながら登校している生徒がいた。内田元だ。
男子生徒にも関わらず女子制服を着ており、なおかつそれが似合ってしまうほどに美少女と呼べる顔付きの彼は男子生徒の群れを華麗なステップで登校していた。
「おはよー! 悠人くん!」
「おはよう、内田さん」
「固いなー、元でいいよー」
気軽なスキンシップが僕の心を揺るがせる。この子は男、この子は男、この子は男、この子は男。今この時の平常心を保つために重要なことなので僕は念入りに頭へと叩き入れた。
「難しい顔してるね」
「疲労が溜まってるんだ」
「初日は誰でもあんなんだよ。今日は基礎授業ばかりだから、初めてでも分かりやすいと思うよ」
「だったらいいんですけど……」
「おい、あれ見ろよ」
そんな憂鬱になりそうな会話をしている僕たちを見て、誰かが僕たちにわざと聞こえるような声で言った。
「特殊学科のはぐれ者が2人も揃ってやがる」
「あの女装やろうの仲間か?」
その声を聞いた他の男子たちは口々に僕たちを見てそう話し始めた。
「僕たちのこと噂してるね」
「噂というより陰口っぽいですけど」
「きっと僕たちの関係を妬んでるんだ」
「いやいやそんなことないですよ。絶対」
彼らは明らかに僕たちを除け者にする言わば迫害の対象として見る目をしていた。ナチェラルは差別的な目で見られると聞いてはいたが……。
「お前らの考えてることはどっちもハズレだと思うぞ」
「うわメガネっ! どっから現れたんだよ」
「ずっと君たちの後ろにいたが?」
「気持ち悪いわ! ていうか他の男子生徒にも認識されてなくて更に気持ち悪いわ!」
僕たちの背後からいきなり現れたメガネこと秋上正樹。元と僕は思わず背後から逃げるように振り向いた。
「どっちも違うってどういう意味なの?」
元はどうしても気になってなぜか自信満々で仁王立ちしている彼に聞いた。
「そのままの意味だ。お前たち2人を噂しているわけでもなければ、ナチェラルを差別的に見ているわけでもない。この女装野郎が男子寮で悪名高い下着泥棒だからだよ」
「あ、バレた?」
「なーるほど……」
そりゃ軽蔑きた目で見るわけだ。納得した僕は真顔で登校することにした。
「あ、平田さんだ」
「どこだ! どこに平田さんがいるんだっ!」
あ、もう全部無視しますね。
「うーし、まずは基礎の復習からやっていこうと思う。基礎練習を怠ると、いざという時に体が動かないからな。辞書が展開出来ない有田はその目で見て真似るように」
元の言う通り今日は基礎授業ばかりだった。辞書の展開。単語の引き方。そして様々な基礎授業。
例えば数学。
『a>0とする。関数 f(x)=x^3-3a^2x(0≦x≦1)について次の問いに答えよ。』
1最大値。2 最小値。
「最大値は0最小値は最小値1-3a^2です」
例えば西洋史。
『ファシズムで唯一成功したといえるドイツですが何故ドイツがファシズムを象徴する国となったかあなたの答えを簡潔に説明しなさい』
「ヒトラー1人の功績ではなく、当時第一次世界大戦で疲弊していたドイツ国民の中にある選民的思想が根底にあったから」
『初めてノーベル文学賞を受賞したフランスの詩人を本名フルネームで答えよ』
「ルネ・フランソワ・アルマン・プリュドム」
昨日ついていくのが精一杯な僕だったが基礎授業は何なりとこなせた。これまで蓄えてきた知識がやっと有効活用できている気がして、勉強している時間が何よりも楽しく思えた。
「そんなに疲れました?」
「いや…………まあ、ちょっとだけ」
迷いの林では約束通り花美との秘密の特訓が始まった。
基礎授業はこなせても、ライブラリアンに1番求められる辞書の操作が出来なければ僕は毒者にとってただの餌だ。
「辞書を展開するコツはまず、自分の知識をさらけ出すことです。分かりやすく言うと他人に自分の知識をひけらかす愚者のようなイメージ、と言えばいいでしょうか」
「なんか嫌だなそのイメージ」
自分の知識をひけらかす……自分の知識をひけらかす。
僕は意識を集中させる。辞書をイメージ、尚且つ頭の中のものを全て吐き出すように深呼吸をした。
「凄いです悠人さん!」
「出来た……」
僕の目の前に辞書という文字が薄っすらと現れる。辞書を持っていない人間には見えない、いわゆるゲーム画面のようなものだ。
引ける単語が目の前に一覧となって現れる。僕は簡単そうなものから引いていくことにした。
「単語〔火〕を引け」
〖火〗 カ(クワ)・ひ・ほ コ・やく
1.
物が燃えるときの光と熱気。ほのお。 「火気・火山・火中・火勢・火炎・火燵(こたつ)・火傷(かしょう)(やけど)・水火・発火・石火」
2.
あかり。ともしび。 「漁火(ぎょか)(いさりび)・蛍火(けいか)(ほたるび)・鬼火(きか)(おにび)・灯火・行火(あんか)」
「何これ……」
火だ。僕は無事に単語を引くことに成功した。
しかし成功したはいいが、これは——ちょと強すぎやしないか。火というより、僕の目の前で起こっている現象は、噴火に近かった。吹き荒れる風に舞った炎が空高く登る。誰が見てもそれは火と呼べるものではない。
「火って、みんなこのくらいの強さなのかな……」
「そんなはずありません……異常ですよ悠人さん。いいですか、辞書から引かれる単語はその使用者の単語の理解度や関係性によって強さや持続時間が変わってくるんです。学習特区外からやってきた人のレベルを超えてます……」
お互い目を丸くして顔を見合わせた。燃え上がる炎に圧巻した。その炎の柱は天を貫くほど高く、自分が単語の力をここまで引き出したと思うと嬉しくなった。
だけど……これ使い道考えないとな、校舎とか燃えるぞこれ。
「ゆ、悠人さん! 燃えてます! 木が!」
「うおっ、言ったそばから」
でも丁度いい、試してみるか。
「単語〔可逆〕を引け」
その瞬間、すべてが無に帰った。ブラックホールのようなものが木に燃え移った炎を吸い込んで行く。その姿はまさに全てを元に戻していた。
「すごいな……これ」
その力に圧巻した。だがそれよりも僕に衝撃を与えたのがとてつもない喪失感だ。何かを失ったと感じさせるその感覚は、頭にこびれついて離れない。何を忘れたかもわからず、何も思い出せないもどかしい感覚が僕をしつこく襲った。
あまりにも強力すぎる力には、それ相応の対価を払わなくてはならいということなろだろう。
出来ればあまり使いたくないというのが正直な所だ。これはきっと、僕という存在と可逆という単語の関係性を自分自身がもっと知る必要があるということだろう。
自分自身の新たな目標ができた僕は、心配そうに見守る花美を見た。
「大丈夫ですか?」
「ちょっと頭がグラグラする、かな」
「その症状は好きな本を読めば大体治るはずです。原因は……多分単語が上手く体に馴染んでいないんだと思います。私みたいに……」
「そういえば、どうして花美は憤怒って単語が得意単語なんだ?」
僕は疑問に思っていたことを今ぶつけた。
「それは……」
難しい顔をした。聞いてはいけないことだったのかと僕は慌てる。
「聞いちゃいけなかったか」
「いえ! そういう訳では無いんですけど……私——」
『学習特区に19:00をお知らせ致します。外出制限区域にお住まいの方は速やかに帰宅しましょう』
「今日はもう終わりにしましょうか……続きはまた明日」
「そうだな……時間が時間だしな」
僕は不完全燃焼で終わった会話に少し違和感を感じながら帰宅することとなった。彼女の事はまた明日学校で聞けばいい、そう思いながら足を動かした。
「ただいま」
寮にある自室の鍵を開け部屋に入る。一人一部屋割り当てれていて、僕の部屋にはまだ片付いていないダンボールが積み上げられていた。
「げ」
何も無い部屋、そのはずだった僕の部屋には何故か不味そうな声を上げる元がいた。
「どうやって入った!」
「いやいやちょっと待って騒がないで! お願いだから、お願いします!」
「面倒ごとはごめんですよ! ただでさえフラフラなんですから」
「ちょっと匿ってくれるだけでいいから、頼むよ! 悪いようにはしないから」
僕は元の必死の頼みで渋々承諾する事にした。絶対ろくな事じゃない無いとはおもうが、ここで見つかっても僕が要らぬ誤解を受けそうだったからだ。
「いやーーーー助かった。理解ある人でよかったよ」
「理解も何もしてませんけどね」
「悠人は帰りが遅いみたいだったから、ついね。鍵も1つしかつけてないみたいだし入りやすかったよ」
「普通は一個ですよ……」
多分みんなはこういうことになるから鍵を何重にもかけてるんだろうな……。
「そういや、なんで帰り遅いの? 美玲ちゃんが気にしてたよ」
「美玲さんが?」
「辞書の使い方がわからないなら私に弟子入りするのが普通だろーってね。可愛いよねホント。でも美玲ちゃんの教え方って感覚的過ぎるからねー」
わははと元は笑った。
「で、なんでなの? 」
僕は思わず口を噤んだ。迷い林の事を他の人に言って良いのだろうかと考えたからだ。
「それはねー花美ちゃんと秘密の特訓をしているから」
「な、なんで知ってるんですか!」
「何でだろうねー」
わははと笑いながら、元は立ち上がった。
「花美ちゃんと関わるならちゃんと見てあげないといけないよ……あの子——」
「見つけたぞ! はじめ! お前平田さんのアルバム返せ!」
ドアが勢いよく開いた。廊下から顔を出したのは秋上正樹だ。話している内容から察するに、平田さんのものを巡っての争いのようだ。
「真由美ちゃんが取り戻せってうるさいんだ! それにこれは君のものじゃないだろー」
「くそ……バレてたのか! だがしかし諦めるわけには!」
「じゃあね。悠人くん。花美ちゃんのことよろしくね! 花美ちゃんの詳しいことは美玲ちゃんに聞けばいいよ——辞書を展開! 単語〔黄昏〕を引け!」
【黄昏】
薄暗くなった夕方。夕ぐれ。比喩的に、盛りを過ぎ、勢いが衰えるころの意にも使う。
ドアを開け、黄昏という単語を引いた彼は飛び降りたかと思うと夕日を背にしてその姿を消していた。その早業に僕は見とれ、秋上正樹は悔しそうにその光景を眺めていた。
「花美の詳しいこと……」
僕はその疑問を抱えながら、明日を待つことにした。
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