第4話 あの、もう帰りたいんですけど
「特殊学科25号室……25号室……どこだ」
どうも、有田悠人です。あの後車から放り投げられ、紙だけ渡されて現在に至ります。紙には特殊学科25号室に行け! と大きく書かれているだけで、その他には何も書いてなくて絶賛迷子中。
今現在僕は不審者のように周りをキョロキョロと見渡しながら廊下に下げられた札を見て回っている最中だ。
美玲さんは車を停めて、学園長と話をしてくると言ったっきり戻ってこないし、自力で探し出すしかないと僕は腹を括った。
「普通科335号室……普通科があるんだ。やっぱり凄いな」
小松中央区にある高校なんて普通科じゃなくて一般的な普通科の半分以下しか学習内容が無い短期普通科だし、学習特区だから内容も凄いんだろうか。
ていうか、ライブラリアンに関する学科以外にも普通に一般的な普通科もあるんだな。
ただ歩いているだけでも冒険だ。全てが知らないものだらけの世界に、僕はただただ圧倒されていた。
「そこの君、何してるの」
「僕、ですか?」
ウロウロと辺りを見渡しながら目的の場所を探していると廊下の奥から図書管理学科と書かれた腕章を付けた女生徒らしき人物が僕を指差した。
「そうよ、そこで不審者丸出しで歩いているあなたの事よ」
長く黒い髪を揺らしながらツカツカと歩く姿は雑誌で見るようなモデルの様だった。短過ぎず長すぎもしないスカートが、その足の長さをより際立たせていた。
「いや、僕は決して怪しいものでは——」
「制服も着ていない、IDも腕章もつけてない、こんなので貴方の言葉を信じろという方がおかしくないかしら」
「……確かに」
いや、仰る通りです。全くもってその通りです。
本当にすみません、でも信じてください。僕はここの生徒なんです!
そんな心の悲鳴を叫びながら、僕は身分の証明できるものを必死に探した。確かIDカードとやらを渡されていたはずだ。
「あった……これで、どうですか」
「ふーん。なんだ持ってるじゃない、ちょっと貸しなさい。番号を本部に確認するわ」
リュックの中探し出したIDカードを渡すと目の前の少女は何やら携帯機器を取り出し、その機械でIDに記載されている番号を確認し始めた。
「浅井……環奈」
彼女の制服の胸ポケットにぶら下げられた僕のIDカードとよく似たカードには浅井環奈という名前と顔写真、そして番号、出身区と現在の所属機関が記されていた。
浅井環奈と言う名の彼女は金沢学習特区出身の金沢第一学園図書管理学科に所属しているらしい。図書管理学科というのは、分かりやすく説明すると一般的なライブラリアンを育てる学科だ。つまり、このエリート学校の中のエリート中のエリートということとなる。自分で言ってて何だがエリートのゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。
「ここの生徒なのに、私を知らないのね」
「すみません、今日編入してきたばかりで」
「へー、そう。どこの地区から? 金学に来れたんだから、北海道地区かしら? それとも京滋? 東京?」
「えーと、小松中央区です」
あたりは静まり返る。あたりというより、彼女と言った方が正確だろう。僕と彼女の沈黙が始まった矢先、彼女は信じられないと言いたげな顔でIDカードを見た。
「機械の故障?! いやそんなはずないし、いやでもでもそんな。学習特区外の人間が学習特区の学校に編入できるなんて……まさか偽装じゃないでしょうね?」
「違いますって!」
「偽装なんて正真正銘の不審者よ!」
「だから違いますって! 話聞いてください!」
食い入るように見つめる彼女に僕は思わず後退りした。信じられない彼女は機械のモニターを何度も確認するが、結果は変わらずのようで彼女の驚いた顔が変わることはなかった。
「それに特殊学科って……あ、もしかして美玲さんにスカウトされた?」
「美玲さんのこと知ってるんですか?」
「はー……そっか、まあーうん。そっか」
察し。そんな意味ありげな表情で彼女は僕を見た。
「知ってるも何も英雄だし、それにうちの学校の——まあいいや、行けばわかるしね」
彼女はIDカードを僕の手を握りながら手渡した。
「特殊学科の教室はこの突き当たりを左に曲がった先にあるわ、行けばすぐにわかると思う」
「あ、ありがとうございます」
「頑張ってね。特殊学科でやっていくのは大変だろうけど、私あんまり偏見とか無い方だから何かあったら私に相談してね」
じゃあね、と彼女は哀れみの顔で階段を降りていく。不安を残すような言葉と手の温もりだけが僕に残り、浅井環奈という少女に僕の思考は奪われていた。
「何だったんだ……」
僕は思わず本来の目的を忘れないように顔を横に振って特殊学科25号室を目指した。
彼女の言った通りの場所に特殊学科25号室はあった。石畳の廊下に似合わない木造の教室。古いのか、苔や蜘蛛の巣が所々に見られる。何だか不安になりながらも僕は深呼吸を入れてドアを叩いた。
「失礼します」
ドアは不気味な音を鳴らし僕を出迎えてくれた。静かに入室したいという僕の意思を裏切りながら僕は、教室へと入った。
「遅いわよ有田悠人。 私より遅いって一体どういうこと?」
ドアを開けた先、僕の目の前に飛び込んできたのは信じられないような光景だった。そう彼女だ。彼女が制服を着てそこにいたのだ。
「美玲さん?! どうしてここに」
「どうもこうも、私はここの学生よ? 別にいても不思議じゃ無いでしょ?」
「英雄が、学生……」
「在学中に召集命令がかかっちゃってね。みんなとは2年遅れてるのよ」
「ていう事は……美玲さんの年齢は19なんですね。近いって聞いてたのでちょっと安心しま——」
「何を勘違いしてるの、私は15よ?」
「15……」
流石天才。僕の常識を遥かに超えた超人っぷりに目眩すら起きそうになる。確かに体は幼さの残る体型だが、その気品溢れる立ち振る舞いはとても僕の2つ下とは思えない程に成熟されていた。僕は改めて認識しなければならない。学習特区という場所は僕の生まれ育った定式が全く通用しない場所だということを……。
「うーすっおはよう糞ガキ共。おっ、編入生もきてるな早く席につけよ殺すぞー」
誰かが死にそうな物騒な物言いがドアを開けた。振り向くそ剃り残した髭にジャージ姿の男性が歩きながら教卓へと着いた。
それがこのクラスの担任というのは直ぐに分かった。何故かって? 首に下げられたIDカードにそう書いてあったからだ。『金沢第一学園特殊学科担任』と。にわかに信じられなかったが教室全体が彼に従うところを見ると、当たっているらしい。
「あの、どの席に座ったら——」
「あー、そうだな……どこでも大丈夫じゃないか。だってこのクラス全員で6人だからな。あ、お前を合わせたら7人だな」
そう言われて僕は初めて空席の多さに気がついた。岬美玲という存在の大きさに埋もれていたそれは、特殊学科という奇妙な学科にさらなる疑問を呼んだ。
「丁度いいから、編入生に自己紹介でもしとくか」
「賛成―!」
先生の提案にすぐさま賛成したのは、どこかで聞き覚えのある声だった。どこで聞いたかと聞かれれば、はてどこだっただろうかと小一時間考え込みそうな声の主は、起立して自らをアピール始めた。
「はーい! みなさーん! おはようございます! みんなのアイドル! 嘲藁優衣野です!」
「2番の子だ……」
「誰が2番じゃ、あ?」
声の主はあの帰還式で進行役をしていた2番の子だった。確かに聞き覚えのある声だったが、まさか同じクラスになるとは思ってもみなかった。
「はーい、2番の次は誰だー?」
「先生まで言うな!」
「じゃあ、俺が」
そう言って席を立ったのは長身の眼鏡をかけた男子生徒だった。美形に分類される顔立ちと鋭い眼差しが僕を刺した。
「秋上正樹、東京学習特区生まれ金沢学習特区育ちのエリートだ。勘違いされるのが嫌だから先に言っておこう。俺は学習特区外育ちの奴が大嫌いだ! 以上」
キマッた。そんな彼の表情に教室全体がシラケた顔になった。周りの反応から察するにこの人はいつもこんな感じなのだろう。美玲さんなんて自分の髪の毛触って平常運転だ。先生に至っては聞いていない。
「次、私か。内田元よろしくな!」
「女の……子?」
「いや、男だ。ただの女装癖で変態だから気を付けろよ」
「ちょっと美玲ちゃん。バラすの早すぎだよー」
見た目も顔も完全に女の子のような容姿をしている彼だったが、僕は美玲さんのおかげで騙されずにすんだ。いや、これは本当に言われないとわからない。透き通るような黒髪はまるで女性で、廊下で出会った彼女にも負けず劣らずの美貌だ。
「女装変態の次に私? 冗談じゃない! 嫌よ、私は」
「平田真由美17歳。スリーサイズは上から75、59、85」
「ちょっとこのエロ教師黙りなさい! あとメガネはメモするな! 殺すわよ!」
低めのツインテールが特徴的な彼女はそう言いながらメガネの頭をバンバンと机に叩きつける。
「じゃあ次、落合だな」
「え、あ、はい……あの、落合花美です。よろしくお願いします」
ショートカットの内気な美少女と言えば分かりやすいだろうか。いかにも人前が苦手で、クラスの女子とは特定の人とずっと一緒にいて男子は近寄りにくい、そういうタイプの子だ。
今まで紹介された中で一番まともそうで、一番苦労してそうだ。
「おーい、平田。そろそろやめろよー。秋上本気で死ぬぞ」
「死ね死ね死ね死ね死ねクソメガネ!」
「先生、止めなくていいのです! これでいいのです!」
「平田もだが、お前も大概だな」
呆れた光景を目にした先生は軽く咳払いをして僕の目を見た。
「そんで、俺がこの特殊学科担任の濱岸秀一だ。前科持ちで、まあ色々あるがよろしくな」
白い歯がきらりと光る。彼のとった行動に反するような内容に僕はもう既に驚けないでいた。個性の強すぎるクラスは何味だかわからない闇鍋のようだった。
「まとまりのないクラスだと思ってるだろ? でもなこいつらにはたったひとつだけ共通点が有るんだ。それはな——全員ナチェラルってことさ。ナチェラルって奴は昔から化け物扱いされてきてな、学習特区外からきたお前さんにはあまり実感がわかんだろうが、そりゃーもう毒者と同じ扱いを受けてきたのさ。ライブラリアンになる道しか残されてない人間以下の生物、それなのにまともに図書管理学科の学校に入学させてもらえない。そんな中俺たちのようなはぐれ者をスカウトしてくれたのが、このちびっこ英雄って訳だ」
そう言って周囲の視線は美玲さんに集まった。勿論、僕の視線も。
「何をジロジロ見てるの。早く授業を始めろこの変態親父」
「ははははは、まあ俺達は全員はぐれ者ってわけだ。これからよろしくな新人!」
「よ、よろしくお願いします」
どうしよう胃が痛くなってきた。僕……田舎に帰っていいかな。
そうして僕の新たな生活の幕がスタートした。それは僕が思い描いていた学習特区の生活とは全くもって別物だった。優雅に本を読み、知識欲のままに番額に励む。そんなものはただの幻想……現実は——
「何やってる有田! 辞書も展開出来ないのか!」
「すみません!」
「何やってる有田! 単語もまともに引けないのか!」
「すみません!」
「何やってる平田! またメガネがなにかしたのか!」
「こいつ私がいない間に私のトレーニングシューズこっそり盗もうもしてたのよ!」
「なら仕方ない! 存分に殴れ!」
とまあ、こんな風に僕があの時辞書を使って奇形人型毒者を倒したのは事実だけれど記憶のない曖昧な場所での出来事で、実際にはまともに辞書も出せず、単語も引けないというダメっぷりだ。美玲さんに辞書を展開するコツを聞いても「やる気と根性、あとは感覚」以外の言葉が帰ってこず、天才の感覚というのは恐ろしいとつくづく実感した。
それからも到底僕のような学習特区外の人間がついていける授業など無く、疲労困憊する僕の学習特区生活初日があっという間に終わった。
「ダメダメね。悠人」
疲れきって机に突っ伏している僕の肩をその声の主は叩いた。
「流石に分からない事だらけですよ……」
「まあ、だれでも初日はそんなものよ。そんなに悲観的になる事はないわ。私がスカウトしたんだから自信持ちなさい。でもまあ、辞書くらいはすぐに展開できるようにはならないとね」
そう言って渡されたのは四つ折りされた一枚の紙だった。
「これは?」
「寮までの地図よ。朝みたいにならないようちゃんと私が手書きで書いてあげたわ。感謝しなさい」
じゃあね、と美玲さんは不気味な音を鳴らすドアを軽快に開けながら去っていった。
「ありがとうを言う前にどっかいっちゃうんだもんなー……」
でも、やっぱり人思いの優しい人だ。今日の1日だけでもそれがよくわかった。このクラスの中心にいて、皆の信頼も厚い。彼女の期間式でで言った言葉に僕が惚れたように、ここに集まった彼らもまた彼女に魅せられてきたのだろう。僕はもっと彼女のことを知りたいと、知識欲以外の何かが働いた気がした。
「美玲さん……地図下手すぎ」
「B区画を右に曲がってそのあと真っ直ぐって……どこだ」
はいどうも、無事に迷子になりました有田悠人です。小学生が書いたような可愛らしい手書きの地図を片手に僕は自身の部屋を探し求めてさまよっている。
無駄に広い敷地を前に、僕の精神はへし折られそうだ。
辺りを見渡すと見えるのは木々と石造りの建物ばかりで、僕の目指している木造寮はどこを見ても存在していなかった。
「地図の見方でも間違えたかな……」
地図をぐるぐると回しながら僕は歩き続けた。
『現在の時刻18:00をお知らせいたします』
「はー、こんなんじゃ日が暮れるな」
夕日が街を照らしていた。長いようでとても短かった1日がもう終わろうとしている。美玲さんの勢いに任せてここまできたけれど、本当に僕はきたんだ。憧れの地に。
「じ、辞書を展開!」
夕日を見ながら今日1日の振り返りに耽っていると、石畳の道を外れた林の奥がガサゴソと動いた。気になった僕は地図を畳み、その林へと近づいて行く。
林を分けながら進むと大きな芝生の広場に出た。そこは外からの光を遮り、他とは少し違った幻想的な場所だった。
「あれって落合さん?」
林の向こう側から聞こえてきた声の正体は、同じ特殊学科の落合花美だった。辞書を展開し、何やら真剣な顔で自身の神経を研ぎ澄ませているように見える。
「誰ですか!」
その時だ。足下の枝を踏んでしまい、乾いた音が凪のように静かな空間をかき乱した。
「え、あ、いや怪しいものでは」
「単語〔憤怒〕を引いてください」
「ちょっと、待って——」
パンチ。黒曜石のような硬い岩石が拳の形を形成し、僕に向かってとても反応できない速度で衝突した。
気づけば僕は宙を舞い、木々よりも高い位置で下を見ていた。
ああ、僕の寮ってあそこだったんだ。
空から見た学園を見ながら、僕は意識を失った。
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