第3話 学習特区へ 二

「本当に、いいんですか」


 あらから数日がたった。検査は無事に人間と判定され、安堵したのも束の間。病室から引っ張り出された僕は、軍用車に詰め込まれて現在に至る。

 やっとあの体調検査から開放されて嬉しいのだが、今度はそれに変わる苦悩が待っていそうで僕の頭はその事でいっぱいだ。


「もう正式な許可がおりてるし、後戻りは出来ないわよ。上も私がスカウトした人材が来るってウキウキよ。はい、これIDと通行許可証ね。あとは……はい、これ読んどいて」


 そう言って隣の座席に座っている岬美玲から渡されたのは分厚い冊子だった。そこにはでかでかと『猿でもわかる学習特区とライブラリアン』と書かれていた。


「岬さん……あの」

「美玲でいいよ。年齢もそこまで変わらないしね」

「じゃあ、美玲さんで」

「はあ……まあいいや君っぽいよそういうの」


 分かってないという風なため息と共に、車はガタンと揺れた。


「これが、正門ですか……」

「ん? ああ、そうだね。高さ40メートル、蟻一匹侵入させない厳重監視体制、ようこそ悠人くん。日本でナンバーワンの偏差値を誇る金沢学習特区へ」


 そう、僕はあの憧れの土地である学習特区に入ろうとしているのだ。何故そうなったのか、説明するには時間を少し巻き戻さなければならない。僕が退院する数時間前に。






「え、えええええええ! ぼ、僕が学習特区にですか!」

「ええい、うるさい、馬鹿! 思春期の猿かお前は!」


 退院を残り数時間後に控えた僕に伝えられたのは、僕が学習特区の特殊学科に編入するというなんとも信じがたい話だった。


「でも、そんな急に言われても信じられませんよ……僕なんかがライブラリアンになんて」

「流石にあそこまでの力を放置しておくほど上の連中も私たちも馬鹿じゃないってことよ。それに、貴方ライブラリアンになりたかったんでしょ? その夢に一歩踏み出せたって思って私に感謝しなさい?」


 私を褒めなさいと言わんばかりに胸を張るその時の彼女はとても嬉しげな表情をしていた。

 とまぁ、こんな風に僕は車に詰め込まれ今に至る。いまいち実感の湧かない現状に、僕は素直に喜べなかった。

 何せ僕には生まれた時から辞書を持っているナチュラルという人種なんて言われた矢先に、憧れの学習特区に行けるなんて誰が直ぐに信じられるだろうか。

 僕はまだフワフワと浮く綿毛のような夢の中にいるではと内心では思いながら、嵐のように進む物事に身を任せていた。




「IDと通行許可証を提出してください」

「未だに私も提出しなきゃいけないの?」

「すみません、規則ですので」


 門の検問所は賑わっていた。金沢が生んだあの英雄が帰ってきたのだからそれも当たり前である。しかし彼らを騒がせていたのにはもう1つ理由があった。


「小松中央区生まれ……岬さん。これは何かの間違いでは?」

「そこに書いてある通りだが?」

「いやしかし、学習特区外の人間を入れるなど」

「話、聞いてなかった?」

「す、すみません」


 威圧的な言葉に周りは思わず沈黙した。書類の不備は見られなかったので僕達は無事に門を通過することができた……のだが、余りにも居心地が悪いので、車の中で僕は終始無言を貫いていた。暗いトンネルの中、そんな沈黙を破ったのは美玲さんだった。


「気にすることないよ。生まれでしか人の力量を量れない人間もここでは少なくない。私も君と同じ境遇だからね、気持ちは分かるよ」

「同じ境遇……」

「同じ境遇って言っても私は学習特区生まれ学習特区育ちだけどね! まあ、あのクソジジイに関しては似たようなものよ……」


 若干自慢とも取れる言い方が鼻につくが、彼女が僕を励まそうと言葉をかけてくれているのには変わりなかった。最後の方は良く聞こえなかったが、きっとまた誰かを罵倒しているのだろうと僕はあまり深く受け止めなかった。


「もうすぐよ。ちゃんと目を見開いてその目に焼き付けなさい」


 車は暗いトンネルの中をただ一つの光を求めて走っていた。

 出口は近い、彼女がそう言うと出口がこちらに向かってきているように感じてしまう。


「これが、学習特区……」


 やけに眩し太陽の光が車内に差し込んだ。目が眩み、その目を見開いた先に見えたのは——空に届きそうな程に高いビルと呼ばれる建物に、僕の住んでいた地区では考えられないほどの車の数と路線の多さ、そして何よりも驚いたのがその人の数だった。

 全てが僕の想像を超え、都会と呼ばれる本の中から飛び出したような世界に僕は目を輝かせていた。


「やーっと着いた……」


 車は街中を進みながら、大きな鉄格子の門の前に止まった。


「もしかして……ここが?」

「そう、正解。ここが君が暮らして学ぶ金沢第一学園」


 僕は思わず鉄格子の奥に見える建物を見詰めた。学習特区の都会の中に有るもんだからもっと近代的で最新の設備が整った施設だとばかり思っていたが、僕の目の前に立つそれはヨーロッパの昔ながらの建造物を模した幻想的な建物が並んでいた。


「綺麗だ……」


 この一言に尽きる。他の言葉が要らないくらいその建物達は周りの景観を圧倒し、その存在感を放っていた。

 僕の新しい生活がここから始まるのだと思うと、胸が思わず踊り出してしまいそうだった。

 ようやくライブラリアンになる1歩を踏み出したんだと、僕はここで初めて実感した。

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