第2話 学習特区へ 一
「——心拍数は正常。安定してますね。あれ程までに辞書に知識を吸われながらも戦闘していたなんて、この子何者なんですか」
「この子はナチェラル。私にもそれしか分からない」
目が覚めて初めて目にしたのは天井からぶら下がる管とベットに寝転がる僕を見ながら会話する2人の姿だった。
酷い頭痛が僕を襲う。体の至る所が軋み、筋肉が縦に裂ける痛みが襲う。
確か……帰還式で、僕は——
「あら、目が覚めたの? 有田悠人」
「ここは……って、岬美玲?!」
辺りを見渡すとそこは病室のような場所だった。真っ白い部屋に窓が2つ、そして岬美玲と白衣を着た男性が1人。
うまく飲め込めない状況に僕は一旦フリーズした。
「なんだ、ぼーっとしてるのはいつもの事なんだ」
「すみません……昨日の記憶がなくて、どうして僕がここにいるのかも曖昧で」
「まあ、無理もないか……それに関しては見てもらった方が早いかな」
そう言って出されたのは1つのタブレットだった。
目の前に出されたそれはしばらくすると監視カメラのような映像に切り替わった。
「ビックリするよね。自分の知らない所で自分が人型の毒者を一体倒していたら」
そこに映し出されていたのは紛れも無い僕だった。恐怖とも受け取れるような存在に引くことなく勇敢に戦う僕。一瞬作り物ではなくかと疑うほどだったが、帰還式に行ったのは確かだし毒者が現れたのも僕は覚えている。
その後の記憶が映像に靄がかかったようにうまく思い出せないんだ。
もしこれが本当だとしたら……僕は毒者と戦えたんだ。
その時、僕はなんだか胸が軽くなった気がした。いままでの苦しみや重荷を全部下ろせたようなそんな感覚。
「君はもしかしたらこう思ってるかもしれない。毒者を倒した僕はすごいだとか、まあそんな風に喜んでいるかもしれないけど……君は今拘束されてることを認識しておいた方がいい」
拘束。僕はそう言われて初めてその存在を認知した。手首を固定され、四方八方いたるところにカメラが設置、窓だと思っていた窓枠は外の風景に似せた写真だ。おまけに首の動かす向きまで制限されているこの状況。全てがただの怪我人にしては異常過ぎた。
「今貴方には2つの疑問がある。1つ目は辞書を元から所持しているナチェラルかどうかという事。そして2つ目は、辞書を食らった毒者かどうかという事」
その目は喉元にナイフを突き立てるような眼差しだった。あの雑誌に載っているような可愛らしい彼女ではなく、これが本物と言わんばかりの表情だ。
僕が毒者。彼女はハッキリとそういった。反論しようにも自分の身の潔白を証明できないことに気がつくのはそう遅くは無かった。
僕の意識の奥底にあったあの力。僕の中でも自分が毒者なのではないかという疑問が出てしまうほど、僕は自分を疑ってしまっていたのだ。
「あはははは、冗談冗談! 流石に知能のある毒者ならこの状況を見たら冷や汗を出して逃げ出してるわよ。完全補給したライブラリアンが目の前にいるんだから」
天使か悪魔か、その笑顔は純粋な心の内から出た笑顔に思えた。
「それに関しては検査待ちよ。安心しなさい!」
「そう……ですか。よかった」
「もし毒者でも安心しなさい! 私がちゃんと殺してあげるから」
「あ、ありがとうございます?」
彼女は笑った。放った言葉には到底似合わない可愛らしい笑顔で。
「君、やっぱ面白いね」
ベッドに手をついて僕の顔を覗き込んだ。はだけて胸元が見えそうな制服に僕は思わず目を逸らす。
「じゃあ、あとは検査待ちだから結果が出たらまた教えに来るわね。その間はそこに居る男の指示に従ってね」
「どうも、よろしく。有田悠人くん」
「は、はい。よろしくお願いします」
丁寧に一礼する姿に遅れながらも僕も頭を下げた。
「岬さんはどこへ?」
「私は話さなくちゃいけない人がいるから、後はよろしくね」
「了解です」
自動ドアが開き、岬美玲が廊下に出ようとしたのと同時にゴム手袋をはめる医師に僕の視線は遮られた。
「よろしくね、有田悠人くんっ」
語尾にハートがつくような喋り方に、僕はなすすべがなかった。何が行われたのかは、ここでは言わないようにしようと思う。
まあ単純に言うとあれだ。うん、やっぱりやめておこう。
暗闇の廊下に岬美玲はいた。その立ち姿は可憐で美しいが、彼女の言葉遣いや性格を見ればその見方も変わってくるだろう。
ライオンのように気高く、そして何処か脆い。そんな姿の彼女を知るものは極少数で、彼女の目の前に現れた1人の男は、その内の1人だ。
「岬美玲……いつぶりだろうか。大きくなったな」
「貴方こそ髭がよく似合うようになったわね。老いぼれジジイの有田和良」
彼女の前に立ったのは有田和良。有田悠人の父親だった。
「息子は大丈夫なのか」
「あら、一応心配はするのね」
「憎まれてはいるがこれでも父親なんでね」
岬美玲はその言葉を聞き溜息をついた。
「自身の子供を人体実験に使う畜生が父親だと?」
「いやはや……言葉がキツイよ岬くん」
「彼は明らかにこの地区の偏差値を大幅に超えている。辞書もプラグ手術なしで展開できたからにはこの件、上に言い逃れは出来ませんよ。有田元研究員」
「私の息子に何をしようと勝手だろう?」
「記憶の刷り込みに半強制的な知識欲。それと、貴方の家を調べさせていただきました。ゴミの山に埋もれた地下室の入り口と、後は……こんなものまで。これまで隠蔽されてきた数々の情報。貴方には説明責任があります」
岬美玲は地面に資料のようなものを叩きつけた。力強く、怒りを込めたような冷めた表情で。
その資料にはこう書かれていた。
『記憶パターンB-5に関する注意事項と父親の演じ方』
「全てお見通しか」
「貴方を強制的に連行する用意がこちらにはあります。さて、どうしますか? この場で私にバラバラにされるか、大人しく連行されるか」
「怖いなあ……何が望みだい? まさか私を逮捕するだけってことはないだろう?」
「単刀直入に言いますが……息子さんを私にください」
「——最近の若い子は……ストレートなんだね」
「いや、そういう話ではなくて!」
少し赤面しながら、女の子らしい一面を見せてしまう岬美玲に有田和良は笑っていた。
「元はライブラリアンにさせようと思って現在に至る。息子には悪いことをしたが、結果が早まったと思えば息子にとっても私にとってもそう悪い話じゃない。だけどね、だからって私たちのことを詮索していいことにはならない。これ以上詮索すると、君も痛い目を見る」
「そんな言葉で私が引くとでも?」
「……まあ、いいさ。いずれ分かる」
沈黙する薄暗い廊下。先に口を開いたのは岬美玲だった。
「有田和良。こちらに戻って来るつもりはありませんか」
「こんな老いぼれ戻ったところで使い物にならんさ。息子の活躍は遠くから見守ることにするよ。私にはもう既に特等席が用意されているからね」
「特等席……?」
「いや、いい。忘れてくれ。息子をよろしく頼むよ」
そう言って有田和良は背を向け歩き始めた。黄昏時の外から差し込む光が廊下を歩く有田和良の姿を隠す。岬美玲が眩しさに思わず瞳を閉じてもう一度その目を見開くと、彼の姿はもうそこにはなかった。
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