初めての悪意・6

 現れた男女は全体的に「森の住人」という雰囲気だった。服は身体を覆うだけの単純なつくりだ。茶色と灰色の地味すぎるもので、ところどころ土に汚れている。コスプレイヤーのような布地の四人とは全く異なっていて、自然由来の衣服は深い森によく調和している。

 彼らの身体的な特徴としては、まずほとんど黄色に近い鮮やかな金髪。しかし流れる絹糸のようなアリスのそれと比べると、硬さやゴワゴワ感が目立つ。そして、二人とも耳が妙に長かった。尖がった耳が頭頂部と同じくらいの高さにまで伸びている。逆に言えば、その二点を除けば普通の人間と異なるところは特にない。強いて言えば二人とも容姿が平均よりもかなり整っている方だが、それにしてもアリスやジュリエットには遠く及ばない。

 腰には矢筒と小さな物入れ袋、手には木と蔓でできた弓。単純に木を折り曲げただけではなく、いくつかのパーツが組み合わさっている少し複雑なものだ。一目見ただけでは構造がわからない。この仕掛けが先ほどのような威力を生み出すのだろう。矢筒は意外と小さく、入っている矢はせいぜい二十センチというところか。


「……エルフ?」


 見たままの感想がアリスの口から漏れる。


「ええ、お嬢様。いわゆるファンタジーにおける『エルフ』です。そして見た目的には、『異邦人』の我々と違って彼らは『現地人』と考えるのが妥当でしょうね」


「僕も同感だ。ただちに襲ってこないあたり敵意が無いのは幸いだが、どうしたものか」


「この距離であの武器なら、こちらの戦力の方がいくらか上だと思いますが……」


「戦うことから考えるな。まずは交渉を試みるべきだ」


「そうですね。いざとなったら殺せるというだけで十分です」


 こちらと同様、エルフ二人もまた怪訝な顔でこちらを見てひそひそと話している。お互いに警戒半分、好奇心半分というところだろうか。


「わたくしにお任せください。交渉は得意です」


 意外にも、ジュリエットが自信ありげに前に出た。エルフの男らしき方は身構え、弓を軽く持ち上げる。ジュリエットが怯むことなく木の下に近づくと、エルフたちは器用に枝の間を飛んで目の高さにまで降りてきた。


「さて、こんにちは」


 ジュリエットが挨拶すると、彼らはよく聞き取れない言葉を返した。比較的平坦で濁りのない音だが、それは少なくとも日本語ではなく、この場にいる誰も理解できるものではなかった。

 ジュリエットは続けて何か話しかける。それも日本語ではなかったが、エルフたちの言葉とも違うことはアリスにもわかった。どこかで聞いたことがあるような無いような、多分地球での日本語以外の外国語なのだと思う。イントネーションを変え、韻律と強拍を変え、様々な国の言葉でジュリエットは話し続ける。そのたびにエルフは何かを答えはするのだが、お互いに首をかしげていてばかりで意思疎通には成功していないようだった。


「ふーん、自信があるだけあって、何ヶ国語も知っているのね」


「ああ。通訳の経験でもあるのかもしれない」


 ジュリエットはめげることなく延々と話し続け、五分ほどが経過する。そしてようやくジュリエットが流暢に喋った英語は二人にも理解できるもので、だからこそアリスと凪を凍り付かせるには十分なものだった。


「……f××× ××××××」


 それは耳を疑うような罵倒だった。やはりエルフにはそれが通じていないことを確認し、ジュリエットは日本語でもう一度同じ内容を繰り返す。


「お前の××は×××な××××だったんだろうな、××野郎」


 そこで我に返った凪が止めに入る。


「おい、おい、おいおいおいおい」


「なんでしょう、凪様」


「なんでしょうじゃない。お前は頭がおかしいのか?」


「言葉が通じているかどうかを見るのには侮辱してみるのが一番で御座います。もし言葉がわからないフリをしていても、激昂か動揺くらいは引き出せますので」


 ジュリエットは平然と答える。ジュリエットは今までずっと口汚くエルフを罵っていたのだった。何ヶ国語も使って、無数のボキャブラリーで、流暢に。


「それは交渉じゃない。もういい、お前に任せた僕が馬鹿だった」


 凪はジュリエットを乱暴に押しのけると、ジュリエットに代わってエルフとの対話を試み始めた。それは身振り手振りを駆使した直感的なものだ。お腹を叩くのは路頭に迷って空腹であることを示しているのか、大地を指した人差し指を回すのは地形について話しているのか。それに応じ、エルフもジェスチャーで何事かを答え始める。

 凪の交渉術は見事なものだった。ジュリエットの試みよりも遥かに短時間で、地面に棒で何か図を描きながらエルフと明確に意思疎通をするところまで到達する。なるほど確かに、言葉が通じなくても目で見ているものは同じなのだから、図や動作を交えれば考えを伝えることもできるだろう。お互いに何かを描いて頷いているあたり、首を縦に振るのは肯定というような基本的なルールは共有されているらしいということはアリスにもわかった。

 アリスは凪の手腕を見守りつつ、それとは対極にあるジュリエットの無残な交渉術について考えていた。確かに異常なやり口ではあるが、ジュリエットの職場(?)ではそれが普通だったと仮定してみよう。侮辱が有効なのはどういう状況なのか。まず、相手を怒らせても問題が無いというのは、立場が著しく不均衡で、質問側に決定的な主導権があるということ。そして相手が言葉のわからないフリをするというのは、内容云々ではなく話を理解できること自体が決定的な意味を持つということ。となると、思い浮かぶシチュエーションはそう多くない。


「ねえ、ジュリエット。ひょっとしてあなたが得意な交渉っていうのは、拷問のこと?」


 ジュリエットは一瞬目を見開いたが、すぐににっこり笑ってアリスの頭を撫でた。


「ええ。ご名答です、お嬢様。よくわかりましたね」


「あなた、軍人だったの?」


「そのようなものです」


「ふーん。まあいいわ、話したくなったら色々聞かせてね」


「だから好きですよ、お嬢様」


 ジュリエットは後ろからアリスを抱き締めた。ジュリエットの腕やお腹は柔らかく、思い切って後ろに体重を預けてみる。メイド服のエプロンのフリルが手に当たってくすぐったい。フローラがマスクの下で小さな欠伸をした頃、凪が長い交渉を切り上げてこちらに戻ってきた。


「我々が迷子であること、路頭に迷っていることを伝えた。彼らは僕らに対して村に来ないかと言っているようだ」


「ありがたいことだわ。見事なものね、凪さん」


「ただ、僕の思うようにジェスチャーが伝わっているかは推測の域は出ない。それに何かの罠という可能性はある。全員で決めよう」


「わたくしはそれで構いませんよ。ここから敵対するのはいつでも出来ますし」


 アリスにも異論は無かった。フローラもどうでも良さそうに頷く。凪は地面を叩いてエルフ二人に何事かを伝え、四人は彼らに先導されて森の中を再び歩き始めた。

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異世界で栄えるテロリストを見過ごしていてもいいですか? 眠谷DE @nemuriya

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