初めての悪意・4

 ナースはジュリエットよりも更に頭一つほど背が高かった。相対的に小さなナース服が身体に張り付いてそのスレンダーな体型を強調している。長い足を覆うにはスカートの長さが足りず、大きく露出した足が妙に艶かしい。その一方で、表情は隠れていてよく見えない。白く角ばったナース帽を深めに被っている上に、大きな医療用マスクで口元を隠しているためだ。両手共にポケットに突っ込んでいるせいで手先も隠れている。下半身の露出と上半身の遮蔽がちぐはぐだった。

 いずれにせよ、重要なのは彼女の異様な服装だ。森という場所に全くそぐわない、機能性も景観も完全に無視した服を着ている。アリスたちと同じような境遇という可能性はかなり高い。さっきからにらみ合ったままでいるあたり、ジュリエットもナースも同じようなことを考えているのかもしれない。


「コード……」


ジュリエットが何かを言いかけた瞬間。


「ピピーッ!」


 今度は笛の音がした。全員がそちらを見る。


 音の出所にいたのは婦警だった。小さな婦警が口に銀色の小笛を咥えている。

 紺色の帽子、金色のワッペンやボタンを散りばめた制服。青いシャツはシワ一つ無くピンと伸びており、ネクタイは正中を貫いている。タイトなスカートはアイロンをかけたように折り目がきっちりと付いていた。いかにも隙がない雰囲気で、現場の警官にしても庁舎の指揮官にしてもピッタリ務まりそうだ。婦警は笛から口を離すと、ゆっくりとした足取りで二人の間に割り込んできた。


「暴力は感心しない。まずは話し合おう」


 諭すように口を開いた彼女は、致命的に背が低かった。

 長身の二人に挟まれているというのもあるが、中学生にしても半分より小さな方だろう。よく見れば顔立ちも幼く、目がぱっちりとしていて愛嬌がある。口調に反してやたら声が高いが、しかし、子供が背伸びをしているという感じでもない。経験を感じさせる振る舞いがそれなりの風格を漂わせているのだが、しかしそれは外見とは釣り合わず、彼女もナースと同じでやはりどうにもちぐはぐだった。

 婦警は続けて言葉を繋ぐ。


「そのまま黙って聞いていてくれるとありがたい。状況から判断して、僕はどうやら死んで生まれ変わったらしい。たぶん君たちもそうだと思うのだが、どうだろうか?」


 婦警はいきなり核心を突いた。アリスにとっては願ったり叶ったりだ。ねえやっぱり落ち着いて話しましょうよ、と言うつもりでジュリエットの顔を見る。

 しかし。


「コード156AA」


「コード173KC」


 無視。ジュリエットとナースは婦警を完全に無視して、彼女の頭越しに言葉を交わしていた。アリスはジュリエットのメイド服の裾を掴んで引き寄せる。


「ちょっとジュリエット、それはなに」


「このナースはわたくしの知り合いで間違いありません、お嬢様。前世の知り合い……元知り合いですが」


 ジュリエットが目線を向けるとナースは頷く。ナースは既に警戒態勢を解いている。腕を組んで手近な木に寄りかかると、僅かに顎を持ち上げて「私は口を挟まないから話を続けて」というジェスチャーを行う。


「で、その知り合いのナースさんは敵ではないの?」


「それは微妙な質問ですね。仕事仲間ですが、敵ではなかったとも言えません」


「ライバルみたいなもの?」


「左様で御座います」


 アリスはナースをもう一度見た。ナースもアリスを見ている。ナースの視線は冷たく、昆虫を見るようにただただアリスを見下ろしている。好意も関心も読み取れない。出会ってから今までの間にアリスが何か機嫌を損ねるようなことをしたとも思えず、元々そういう性格なのだろうと結論した。恐らく、マスクの下に隠れた表情も鉄仮面のようなのだろう。

 ナースのことはひとまず置いて、アリスは話の通じそうな婦警に向き直った。こちらは目が合うとすぐに会話に備えた構えに移る。非常に婦警らしいというか、コミュニケーションが取りやすそうでありがたい。


「婦警さん、私たち……私とメイドも多分同じ状況なのよね。ナースさんもそうっていうなら、これで死んで生まれ変わった人が四人いるっていうことになるけど」


「ああ、僕も同じ見解だ。ここには来たばかりで何もわからない。同じ立場の者同士、協力していけたらありがたいのだが」


 婦警はさっき無視されたことには気を悪くする様子もなく取り持った。同意を取り付けようと周囲を見回す。ナースは木にもたれかかったまま黙って頷き、ジュリエットも今度はきちんと応答する。


「ええまあ、可能な範囲で。宜しいですか? お嬢様」


「もちろん」


 これで四人がひとまず対話のテーブルに着いた。令嬢・メイド・ナース・婦警。改めて見ると山奥に集うコスプレイヤーでしかなく、滑稽以外の言葉が見付からない光景だった。もしこの場に登山家がいたら、小一時間は説教されそうだ。目覚めたときにはこの服装だったのだからどうしようもないのだが、深い森からはどうしようもなく浮いている。集まるとなおさらだ。

 ジュリエットはナースがもたれかかっている大木の洞に腰かけた。そしてアリスをちょいちょいと手招きする。アリスが導かれるままに寄っていくと、今度は腕を伸ばしてきて膝の間に座らせられた。更にはジュリエットは後ろから腕を回してアリスの胸のあたりで手を組み、柔らかい身体がアリスを抱きかかえた。なんだかすっかり休憩モードに入った三人を前に、婦警が進行役として声をあげた。


「とりあえず名前からだ。僕の名前は凪。芙蓉凪」


「私はアリス。こっちは私のメイドのジュリエット。あなたは? ナースさん」


 次を促されたナースは首を捻り、少し間を置いてからマスク越しに小さく呟いた。


「フローレンス。フローラでいい……」


「オーケー。じゃあ、順番に自己紹介をしていこう。まず僕は二十四歳だった。かつて警官だったが、テロリストを追い詰めたときに……」


「失礼。前世の詮索はよしませんか?」


 ジュリエットがいきなり話を遮った。


「藪蛇なので御座います、凪様。わたくしたちは現状で初対面、それで良いのではありませんか? 前世を掘り起こして関係が悪化したら目も当てられません。仮に前世で知人だとしても、わたくしとフローラのように一目で気付かなければその程度ということです」


「……君の考えにも一理あるが、お互いのことを深く知っておくのは協力する上で最も大切なことだと僕は考えている」


「わたくしはあなたの管理職的な楽観論には同意できかねます。話を聞くだけでうまく付き合えるのは上下関係があるときだけで御座います」


 穏やかな口調で、しかし強烈に突っかかってくるジュリエットに対し、凪は眉をひそめる。アリスから見てもジュリエットの攻撃ぶりは異様に思えた。確かにアリスも前世の話をするのには躊躇うところがあるが、ここまで拒否する理由はあるだろうか。しかし、凪は軽く指を鳴らして張り詰めた空気を切り替える。そしてすぐに手を叩いて妥協案を示した。


「わかった、そこまで言うならこの話はやめよう。代わりにこれからどう行動するかを決める。どうしても必要なときにだけ過去のプロフィールを聞くかもしれない。それならいいだろう?」


「ご理解に感謝致します、凪様。そして前世の話を棚に上げた今、紹介すべき自己は特にありません」


「そうだな。しかし君の考えとは違っているかもしれないが、僕は人と人はいつでも理解し合えると思っている。だから君の話を聞くし、譲歩もする」


「殊勝なことで御座います」


「まあ、それならそれで今やるべきことは移動くらいしかない。この森を抜けるか、何かを見つけることを期待して可能な限り移動しよう。日が落ちたり体力を消耗する前になるべく早く動きたい」


 これには三人とも同意した。凪の指示の下、森を踏破するための隊列が組まれる。凪曰く、深い森の中では方向感覚を失わないよう、十メートル程度の間隔を空けて一列に並んで前進するのが定石らしい。誰かの足取りが曲がったときに後方の人がすぐに気付けるからだ。順番は前から凪、アリス、ジュリエット、フローラ。経験のある凪が先頭なのは良いとして、その次にアリスが来たのは、凪がアリスをやたら心配して近くに置きたがったからだ。


 出発前、凪はアリスに耳打ちした。


「君は死んだときには学生、多分中学生か高校生だっただろう?」


「よくわかるわね。そうだけど、どうしてそれを?」


「雰囲気で察しただけだ、半分はカマかけだったが。いいか、僕は君の味方だ。何か不安なことや心配なことがあれば遠慮なく何でも言ってくれ」


「はあ、それはどうも」


 凪はアリスの肩を叩いて横をすり抜けていった。

 味方であることを表明する前に学生であることを確認する必要はあるだろうか、とアリスは考え、答えはすぐに出た。要するに、彼女は未成年に対しては保護者としての義務感を持つタイプの人間なのだろう。いかにも警官らしい振る舞いではある。

 しかしそれは同時にジュリエットとフローラはアリスと違って庇護対象ではないということも意味する。二人には聞こえないようにアリスに耳打ちするあたり、どちらかと言えばジュリエットとフローラは凪にとって警戒対象なのだろう。この二人は恐らく既に(?)成人していたということにはアリスも同意するが、だからといってただちに警戒すべきところまで信頼を落とすとも思えない。出会い頭に戦っていたことや、さっき会話の中で小競り合いをしたことがマイナス評価として響いているのだろうか。


「では出発しよう。最悪の場合には野宿も考慮するから、果物とか木の洞とか、何かに使えそうなものを見つけたらすぐに教えてくれ」


 凪が前を向いて歩き出した瞬間、フローラが不意にジュリエットの手を掴んだ。アリスはそれに気付いたが、フローラは立てた指をマスクに当てて沈黙のジェスチャーを強く示した。「黙っていろ」という無言の圧力。アリスはこれに素直に従うことに決める。フローラの素性が掴めない今、下手に事を荒立てたくはない。

 フローラは素早くジュリエットの手を覆うハンカチを解き、折れた小指を露出した。患部はさっき見たときよりも遥かに酷く、赤黒く変色して親指ほどの大きさに腫れあがっていた。煙が上がって僅かな腐臭が漂っている。この状態で平然と喋っていたジュリエットは大したものだ。フローラは無残な有様には驚く様子もなく、無言で患部に手をかざす。フローラの手のひらとジュリエットの指が軽く触れた次の瞬間。

 小指は元に戻っていた。腫れが引いた……というレベルではない。完全に元通りだ。骨折は痕跡すらなくなり、どの指が折れていたのかももうわからない。ジュリエットが小さく感嘆の声を上げる。少し折り曲げて動かしてみるが、動きは滑らかで全く問題がないようだった。


 フローラがナース服を着ているからといって、少なくとも前世の常識ではそんなことができるはずはない。彼女たちにとってもこれは当たり前というわけではないらしく、処置したフローラでさえも自分でやった割には目を丸くして指をまじまじと見ている。出来そうな気がしたから試しにやってみたら出来た、そんな感じの反応だ。

 まあ魔法か何かだろう、とアリスは自分でも意外なほどすんなりと納得する。フローラは転生に伴って何らかの魔法的な治療スキルを習得し、今初めて発動に成功したというところか。ひょっとしたら自分も含めて転生者には同じような超常的スキルがあるのかもしれない。それは胸躍る話ではあるが、少なくとも検討すべきタイミングは今ではない。フローラのスキルの詳細にせよ、アリス自身やジュリエットのスキルにせよだ。


 フローラはアリスに向かって再び自分の唇の前で指を立てると、凪の背中をツンツンと二回指差した。それが「何事もなかったかのように歩け」を意味するジェスチャーであることを察し、アリスは再び素直にそれに従った。足音が続かないことを不信に思った凪が振り向く頃には、三人はさあちょうど準備が出来たぞという顔で歩き出していた。


「……」


 歩き出しながら、アリスはこのパーティーの微妙な力学について考える。このパーティーは分裂しかけている、というよりは、もう既に緩やかに分裂している。凪の警戒はいみじくも的中していた。団体行動が始まるより早くにフローラは凪を欺いたのだから。

 何故フローラは自身の魔法を凪から隠したかったのだろう? もっとも、凪がジュリエットとフローラを警戒しているように、彼女らも凪を警戒するのは自然なことではある。知らない人同士なのはお互い様だ。その一方で、ジュリエットとフローラが魔法についての秘密を共有していることから考えるに、彼女たちはかつてそれなりに近しい関係だったのだろう。

 そして最も重要なのはアリス自身の立ち位置だ。現状、アリスは幸いにも誰から受け入れられている。少なくとも排斥されてはいない。その理由が「無害な存在と認識されているから」だとすれば、それは実際正しかった。アリスは元々ただの学生である。ジュリエットのように鮮やかな足刀蹴りを放つことも、フローラのようにそれを受けることもできないし、凪のようにこうして森を歩く知識もない。自分よりも知識や体術を持つ彼女たちに疎外されるよりは、マスコット的なポジションに甘んじる方がよほど良かった。

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