第30話 爽やかなはずの朝
「おはようスヴェン、いい朝だね!」
王子のテンションの高い声に叩き起こされ、スヴェンはようやく微睡みかけていた意識が浮上させられるのを感じた。
どうでもいいが、いや、よくないが、眠っているスヴェンを起こさずにここまで近づくとか、王子のスペックは無駄に高い。いくら敵意がなかろうと、クリス相手でさえ部屋に入ったあたりで気付くというのに。今度鍛え直そう。
瞼を抑えて俯くスヴェンを、王子が覗き込んでくる。
「あれ、あんまり眠れなかったのか?」
「……少し考え事をしていたので」
スヴェンは窓の外を見た。まだ薄暗い。スヴェンが寝坊したわけではなさそうだ。
太陽よりも早起きしたらしい王子は、身支度も完璧に済ませていた。表情から察するに、ぐっすり眠れたらしいが、なんで命狙われた直後に熟睡できるの?
「もしかして昨日のこと気にしてる? あはは、何を今更。王族に敵が多いのは今に始まったことじゃないじゃないか」
「王子は少し気にしてくださいよ……」
「平気平気。どうせ組織だったものじゃないって」
「……だといいんですが」
そう答えるより他なかった。スヴェンが侵入者の正体を知っていることを悟らせてはいけない。
「ところで、何かあったんですか? こんなに早くに」
「いや。目が覚めちゃったから、もう起きようかと思ってね。下に降りる途中にスヴェンの部屋があったから寄っただけ」
ただの迷惑行為だった。
「さあ、朝食にしよう。スヴェンも早く下においで」
王子は楽しそうにスヴェンの部屋を出た。どうやら本当に用事などなかったらしい。しばらくすると軽快な足取りで下に降りる王子の足音が聞こえてきた。スヴェンは小さくため息をこぼす。
「……起きるか」
なるべく王子のそばを離れるべきではない。いつどこでナディアが襲ってくるかわからないのだ。
王子は死なせない。ナディアも死なせるつもりなどない。それが一晩かけてスヴェンが出した結論だった。
「必ず俺の手で、秘密裏にあいつを捕らえる」
困難なことだった。ただでさえ強いナディアを、王子や君影隊の力を借りずに、また彼らに知られることなく捕らえなくてはならない。だがスヴェンは、あえてその荊の道を選択した。それができれば、王子とナディア、どちらのことも救えるはずだ。
スヴェンが下に降りると、既にかなりの隊員が起きて周囲を警戒していた。スヴェンの代わりに、深夜から早朝にかけて部隊を指揮していたクリスは、今空き部屋で仮眠をとっているという。
王子のそばで、困った様子で何か話し込んでいるのはエミールだ。エミールは軍人の割に気が優しく、民間人からの好感度は高いのだが、王子のわがままに強く反論することが苦手であった。
「王子、どうにか考え直してもらえませんか……」
「いやだ」
「そこをなんとか」
「ぜったいいやだ」
スヴェンが近づいてくることに気づいたエミールが、こちらに垂れた茶色の目を向ける。そばかすの多い顔が安堵の色に染まった。
「隊長、よかった。隊長からも言ってください」
「……何を揉めてたんです?」
王子に向けて問いかけると、王子は湯気の立つコーンスープを一口すすり、盛大にため息をついた。
「エミールが王都に帰れって言うんだ。冗談じゃない。僕は兄上のお墓参りに来たんだよ。これからだっていうのに、戻れるわけがないだろう」
珍しく王子の目が笑っていない。どうやら本気で怒っているようだ。
「ですが王子、昨日の襲撃のこともあります。一度戻って体勢を立て直してから、改めてナサニエル王子にご挨拶するというのも、良いのではありませんか?」
「それ本気? 僕のスケジュールをどうやって空けるんだよ。
スヴェンが全部やってくれるならいいよ。ハドルストーン家とかアルダイラ家とかとの約束を反故にしてくれるんだね?」
「それは……」
言葉に詰まるスヴェンを見て、王子はふんと鼻を鳴らす。ハドルストーンもアルダイラも、オルトバーネス屈指の名家だ。いくら王子といえど、簡単に約束を反故になどできない。
「そもそも、君影隊は僕の護衛隊なんだよね? 例えばさ、今ここにスヴェンとクリスしかいないから、人数が足りないというならわかるよ。けどね、理由はあえて聞かないけど、ここには第二分隊がいる。
とりあえず、賊は捕まえなくていいよ。僕の身だけ守ってくれれば。
……ねえ。聞きたいんだけど、君たちは十一人も揃っていながら、最低限の警護もできないのかな?」
僕何か間違ったこと言ってる? そう問いかける王子に、スヴェンは返す言葉を持たなかった。たしかに、守る相手が王子一人で、賊を捕らえなくても良いと言うのなら、分隊一つでも十分に守りきれるはずだ。というか、それができなければ王子の護衛隊など名乗れない。
「僕は今日、兄上のお墓参りをするよ。いいね」
王子は不機嫌そうに言い放つ。今回のことばかりは、王子のわがままというわけでもない。
「……わかりました。その代わり、勝手に何処かに行ったりしないでくださいよ」
はいはい、と適当な相槌を打って王子は朝食の続きをとり始めた。信用ならない。
諍いがひと段落した頃になって、クリスが大あくびをしながら食堂に姿を現した。歯にものが挟まったような表情のスヴェンとエミールを見て、嫌そうに眉根を寄せた。
「……朝っぱらから不景気な顔」
「喧嘩売ってんなら買うぞ」
寝不足と精神的ストレスから、今のスヴェンはすこぶる機嫌が悪い。
「カルシウム足りないんじゃないですか? ……で、なんでそんなに不機嫌なんです?」
「僕がお墓参りをするのが不満なんだってさ」
未だぶすっとした様子の王子が口を挟む。その声を聞いて、クリスがあっけらかんと笑った。
「え、もしかして隊長、王子を説得しようとか思ったんです? 無駄ですよ、無駄無駄。あんた何ヶ月隊長やってんですか。
そりゃあ隊長もかなり小賢しいですけど、その辺王子は天才ですよ。諦めましょ。素直に従うのが、一番ってもんです」
「歴は長いくせに、お前が隊長に昇進しない理由を、俺は今、心の底から納得したよ」
とはいえスヴェンも諦めて、おとなしく朝食をとることにする。今日はきっと、普段以上に神経を尖らせることとなるのだろう。腹にエネルギーがなければ、何もできはしないのだから。
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