第29話 ナディア
結局侵入者は見つからなかった。仕方なく王子の寝床のそばにエミール率いる第二分隊も呼び寄せ、警戒を強めることで対処した。さすがの王子も、これには文句をつけなかった。
スヴェンは寝ずの番を申し出たのだが、いざという時に役に立ってもらわなくては困るという王子の言い分から、少し眠らせてもらうこととなった。
しかし与えられた部屋で、柔らかなベッドに身を横たえても、全く眠れそうになかった。気付いてしまった侵入者の正体が、スヴェンの脳裏をぐるぐると駆け巡る。
ナディア・アルダートン。
彼女は、スヴェンの幼馴染の一人であり、今では飲み仲間だった。スヴェンと一緒に軍の学校に入学し、ほとんどの時間を彼女を含む四人で過ごした。
クリスより色素の薄い茶色い髪は、軍人なのが不思議なくらいに艶やかで、学生のときは、学校の規定で短くしなくてはならないことに、不満を漏らしていた。その反動か、軍人の仕事には邪魔でしかないだろうに、今は長く伸ばしていたはずだ。
彼女の大きな藍色の瞳は人懐っこくくるくる動き、整っている上に愛嬌のある顔立ちをしていた。特に年配の男性教師からの評判が高くて、色々と利用させてもらったのを覚えている。
ナディア自身も、優れた己の容姿を武器として捉えていた。どんな才能も磨けば武器になるのだと笑って、またその容姿を保つのにそれなりに苦労していることを、こっそりと明かした。あんただって、磨けば光るのに。そう言ってスヴェンの顔をぐりぐりと弄った。
スヴェンたちは軍学校を卒業すると、それぞれの道に別れた。スヴェンは騎士に、ナディアはウィロン教の聖騎士に。
ウィロン教はオルトバーネスでも最も信仰者の多い宗教の一つであり、世界二大宗教の一つだ。彼女はその協会の聖騎士の中でも、最も戦闘能力に秀でた十数名だけが所属する、「神の裁き」と呼ばれる部隊にいた。これは神敵を排除することを神命とする割とやばい組織で、正直なところ、信仰心に厚いとは言い難いナディアが所属できるような部署ではない。
一般には知られていないが、この場合の神敵とは、魔素に侵され正気を失った人間や、アンデッド等の魔素の塊の他に、教会上層部の人間にとって不都合な人間も含まれる。つまり「神の裁き」の裏の顔は、暗殺者集団だ。
そのナディアが、王子の部屋に忍び込んできた。それはつまり、王子が教会から神敵の認定を受けたことを意味する。
スヴェンは頭をかきむしりたい気分だった。王子の悪い評判は、極力一般国民の耳に届かないように厳重に扱われていたが、教会の情報網がそれを聞き逃すとは考えられない。とうとう教会は、王子が国を担う器ではないと判断し、強硬手段に出たということだろう。
いつかそんな日が来るかもしれない。そんな予感がないではなかった。だが実際に目の当たりにすると、事態の重さに目眩がする。
ナディアは優れた聖騎士だが、所詮は教会の子飼いにすぎない。スヴェンが王子の命令に従っているのと同じで、彼女の行動も教会の命令によるものだろう。つまり彼女を退けたとしても、残りの十余名の暗殺者が王子の命を狙う。
いや、それだけではない。こうなった以上、王子の敵はウィロン教そのものだ。世界でも最も力のある組織の一つが、秘密裏にとはいえ王子の命を狙うのだ。厄介なことこの上なかった。
(……いや、まあ、それは今更か)
もともと王族には敵が多い。オルトバーネスの長い歴史を紐解けば、明らかに暗殺と思われる不自然な病死を遂げた者も少なくないし、直系男子の血が途絶え、女王が即位した例もある。王族の血筋など、どうしたって暗殺とは切っても切り離せない。
正体不明の敵より、相対するには余程いい。
だがスヴェンには、もう一つ懸念があった。
(王族の暗殺は、企てただけで死刑になる)
それは教会の命令で動いていようと同じことだ。スヴェンが、あるいは君影隊の誰かがナディアを捕まえたら、ナディアはろくに裁判も経ずして死刑になる。
スヴェンは仕事の鬼だった。王子がどれほど馬鹿王子でも、その命令に背いたことはないし、王家に仕えることを誇りに思っている。その王家に反逆するような暗殺など、許せるはずがない。
しかし、スヴェンにとってナディアは、もう半ば家族のようなものだった。他人に問われれば、手のかかる妹のようなものだと答えるだろう。
ナディアは孤児だった。そんなナディアをスヴェンの両親や姉たちが喜んで招き入れ、彼女は幼少期の半分を孤児院で、もう半分をスヴェンの家で過ごした。
そのナディアが死刑になるようなことを、果たして自分は受け入れられるのだろうか。どれほど感情を押し殺しても、いざとなった時に刃が鈍るかもしれない。
「くそっ。ナディアの奴、面倒なことしやがって」
小さく毒づく。
夜が明けるまで。スヴェンは自分で期限を設けた。
夜が明けるまでに結論を出そう。そして一度決めたら、心を殺すことになろうと、命を捨てることになろうと、それを貫き通すのだ。
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