第15話 逃走

 目立つ子ドラゴンを再びブランケットに包み込む。不満げな鳴き声が聞こえたが、無視だ。でっけえブランケットを抱え込み、街の外へ向かって走りだす。アラサー男の異様な風体に町の人々が振り返るが、気にしている余裕などない。とにかく、一刻も早く街から離れなくては。


「おいっ、こら。動くな」


 腕の中で子ドラゴンがもぞもぞ動く。子ドラゴンはぶんぶんと首を振って、顔だけをブランケットの外に出すと、「ぷはっ」と満足げに息を吐く。苦しかったらしい。


 子ドラゴンは一見して、とても愛らしい顔をしている。生まれたばかりのドラゴンは、顔にまだ産毛が生えていて、ぬいぐるみのような印象を与えた。ぬいぐるみを大事そうに抱えた二十九のおっさんの姿を想像し、少し寒気がした。

 幸か不幸か、スヴェンは王都の端にほど近いカフェにいた。それほど走らぬうちに町の外壁が見えてきた。そこには検問所が設けられている。


(さて、どうするかな)


 走る速度を落とさずに、考える。

 普段であれば、適当に兵に挨拶だけして通る。だが、今は? 


 ドラゴンの子供なぞ、どう考えても検問で引っかかる。衛兵に事情を説明している間に母ドラゴンが追いついてしまったら、この街は終わりだ。衛兵が柔軟な奴なら間に合うだろうが、下手なマニュアル人間だった場合、最悪の状況になってしまう。

 となれば、非合法な手段をとるしかないわけだが、城壁を登るのは、制限時間を考えるとやめたほうがいい。ましてや今は昼。目立って仕方ないだろう。とはいえ、衛兵を殺してしまうわけにもいかない。


「……仕方ないな」


 スヴェンは懐から煙草の箱を取り出した。それをフラムドラゴンの顔の前に持ってくる。


「燃やせるか?」

「ぎゃーす」


 小声で聞いてみると、子ドラゴンは任せておけというように、一声鳴いた。そして息を吸い込むと、口内にある火炎袋に空気を溜めて、ぷくっと頬を膨らます。

 ドラゴンは頭が良く、人間の言葉を介すると噂に聞いていたが、まさか本当だったとは。しかもこのドラゴンはまだ子供。ドラゴンの知恵は、あるいは人間よりも優れているのかもしれない。


 もし子ドラゴンが首を傾げるようなら、スヴェンは自分のジッポで煙草を燃やすつもりだった。それをその辺りに生えた、低い街路樹の中にでも放り込む。すると煙草の煙を見た衛兵が、火事と勘違いして飛んでくる……そんなシナリオを用意したのだ。実に単純であるが、効果的だろう。


(炎を吐くドラゴンを見たいというのは、興味本位だったが……)


 ちょっと楽しみである。

 子ドラゴンが大きく膨らんだ頬をすぼめて、息と同時に炎を吹き出した。

 そしてそれは……スヴェンの頭ほどの大きさの火球を作り出す。


「えっ?」


 スヴェンが小さく呟いた時には、燃やして煙を出させるつもりだった煙草は、もはや炭とでも呼ぶべき黒い塊になっていた。ぴゅうっと風が吹いて、その炭さえも原型をとどめず崩れ落ちる。


 そしてそれだけの勢いを持った炎が、煙草を燃やしただけで消えるはずもなく。


 ぎぎっと機械じみた動きで、スヴェンは炎の先へと視線を巡らせる。浮かべた笑顔が引きつっているのが自分でもわかる。

 控えめに言っても、火事だ。街路樹がぱちぱちと音を立てて燃えている。大きな桜の木が割れて、半分が道路に、もう半分が歩道に倒れた。通行人が悲鳴をあげて逃げていく。


 うわあ。どうしようこれ。


 幸いにもここは王都。このあたりの民家はほとんどが石造りで、炎で燃えることはない。ああよかった。大丈夫。人死には出ない。グッジョブ俺。動揺しまくる心に、ゆっくりとそう洗脳をかけた。


 想定よりもずっと大きな悲鳴と喧騒の最中、「やれやれ、ひと仕事終えたぜ」みたいな顔した子ドラゴンを、一瞬引きつった目で睨む。が、すぐに肩を落とした。どう考えても、今のはスヴェンの落ち度だ。

 兎にも角にも、狙い通り検問所は空いている。行くしかない。


(すまん、名も知らぬ衛兵。だが母ドラゴンが襲来したら、この程度の被害では済まないんだ)


 消火活動に勤しむ兵を横目で眺めながら、スヴェンは心中で独りごちた。戦時中であったなら、どれほどの災害が起ころうと、検問所を空けるなどあり得ないが、今は平和な時代が続いて久しい。検問所の兵に、そこまでの危機感を覚えろという方が無理がある。彼には何の罪もない。

 スヴェンが誰にも見咎められなければ、この不運な兵士が、責任を負わされることもあるまい。


 幸いにも、スヴェンの動きに注目する者はいなかった。何しろ誰もが炎から逃げようと、スヴェンと同じ方向へ我先にと逃げ惑っているのだ。スヴェンは彼らよりもほんの少し、まっすぐに進むだけだ。


 思ったよりもずっと簡単に、スヴェンは王都の外に出た。そのまましばらく、舗装された石畳の上を走る。作りのしっかりしたブーツの踵が打ち鳴らされ、断続的に音が響き渡る。その音に合わせて、ぎゃうっ。ぎゃうっ。と子ドラゴンが歌っていた。


 スヴェンはある程度走ると、舗装されていない道へと進む方向を変えた。伝わってくる振動が変わったのか、子ドラゴンが驚いて火花を散らせた。

 最近雨が降っていないせいで乾燥した道路は、スヴェンの足元で土煙を立てた。それがスヴェンの顔のあたりまで巻き上がって来るよりも早く、スヴェンは走る。


 今スヴェンが走っている道は、すぐ先が森林になっている。地元の者でも、奥まで入ることはまずない。その森の入り口で、スヴェンは子ドラゴンを高く掲げた。長距離を走ったせいで乱れた息を整えて、小さな声で話しかけた。


「お前の母親を呼んでやれ。探してるだろうから」


 スヴェンのその言葉を聞いて、心なしか、子ドラゴンの大きく丸い瞳が、涙で滲んだ気がした。突然母が恋しくなったのだろうか。それとも、母が側にいないことを、今更思い出したのかもしれない。人間の子供だって、迷子になった事実に気付くまで、かなり時間がかかったりするのだから。


 子ドラゴンはさっき火を吹いた時と同じように、大きく息を吸った。そして今度は炎を伴わずに、吸った息を全て吐ききった。スヴェンの耳には何も届かなかったが、「よし」と小さく呟く。


 フラムドラゴンは、仲間内で話す時には、超音波を使う。人間の耳には届くことのない高周波の音。子ドラゴンの位置は、今の音波で母ドラゴンに伝わったはずだ。


 あとは、視界の悪い森の中を、どうにかして逃げ回るだけだ。ドラゴンの視力は、人間よりやや良い程度。空からスヴェンや、ことさら小さな子ドラゴンを見つけられるとは思えない。


 スヴェンは森に入り、先ほどよりは幾らか湿り気のある土を手にとって、己の顔や腕などの、露出した部分に塗りたくった。森を形成する色に比べると、人間の肌は異様なほど白い。万が一にも見つからないよう、念には念を入れよう。

 本当は泥とか、もう少し湿り気があるほうが塗りやすいのだが、気候に文句を言っても何も始まらない。


 子ドラゴンがスヴェンの腕から身を乗り出し、ブランケットを脱ぎ捨てて地面に落ちた。やはりまだ飛べないようだ。怪我をしてはいないか、一瞬心配したのだが、ドラゴンは落ちたことなど気にもせずに、地面をクルリと一回転してから、ぽてっと転んだ。


 一体どうしたのかと思いきや、子ドラゴンはスヴェンの真似をして、土を顔に塗った。正直、ドラゴンの顔は白くないので、塗る必要もないかと思うのだが、本人(?)が楽しそうなので、放っておくことにした。


「なあ」


 土遊びに夢中のドラゴンに、スヴェンは真剣な様子で話しかけた。

 両手いっぱいに土を持ったまま、子ドラゴンはスヴェンを見る。


「これから、お前のところに母親が迎えに来る」

「がう!」

「だが、いいか。これから先、母親を呼んではいけない」

「う?」

「なぜなら、ここは深い森の中で、音は木々の間を縫って反響する。お前が声をかけるたび、母親はお前の居場所がわからなくなるだろう」

「ぎゃうっ!?」


 それは真っ赤な嘘だった。ドラゴンの聴覚は人間の数百倍は優秀で、この程度の木に邪魔されるようなヤワな造りはしていない。だが所詮は赤ん坊。それに気づくほど賢くはない。ならば森を出ればいいのに、という案さえ思いつかない子供なのだ。

 幾らかの罪悪感に苛まれながら、言葉を続ける。


「俺がどうにかして、お前を母親に会わせてやる。だからそれまで、おとなしくしているんだ。いいな」

「ぎゃう!」


 子ドラゴンは上半人をフルに使って、首を……というか、上体を縦に振った。街のどこかで、首を縦にふる行為が肯定を意味することを知ったのだろう。


「いい子だ」


 頭を撫でてやると、子ドラゴンはくすぐったそうに身をよじった。柔らかな産毛が気持ちよかった。

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