竜退治の英雄譚

第14話 スヴェンに休暇などない

 それは実に優雅なひと時だった。


 最近はずっと、どこかの馬鹿王子とかサボリ魔とかに邪魔されて、まともに休暇を取ることもできていなかったのだが、どうやら彼の仕事量は平気で過労死ラインを上回っていたらしい。

 とうとう上官から「命令だ。休め」と真顔で言われたスヴェンは、山のような仕事を執務室に残し、こうして一人、平日の只中に苦いコーヒーと甘いチョコレートケーキに癒されていた。


 ここは王都の外れにあるにもかかわらず、指折りの人気を誇るカフェで、パフェが特に美味しいと評判だった。平日でもなければ、スヴェンのような男が一人で来店することなど、気恥ずかしくて出来ないだろう。それでも店内はなかなかに混雑していたため、少し肌寒くはあるが、空いているテラス席を選んだ。


 店員が気を利かせて持ってきてくれたブランケットは、申し訳ないが向かいの席に放置した。なんとなくだが、ブランケットは女性のもののようなイメージがある。

 木枯らしは吹くけれど、スヴェンはおおむね満足していた。いくらかの寒さを代償に、穏やかで自由な時間を、手に入れることができたからだ。長いこと本棚を賑やかすばかりで、手をつけられていなかった本にも、ようやく目を通すことができている。


 スヴェンはいつもだったら、上官が何と言っても、仕事が残っている時に休む事は避けるのだが、運の良い事に、昨日、ちょうど仕事がひと段落した。たぶん上官も、それを理解したうえで休暇の命令を出したのだろう。

 厳密に言うのなら、まだ細々とした処理は残っていた。しかしちょうどいい機会だったから、それは暇そうだった副隊長に任せた。こうやって直接指示しないと、あいつは本当に働かない。


 無論、明日が来れば、机に積まれた書類は倍に増え、残業代の出ない残業にいそしむこと請け合いなのだが、そんなことを憂いていては、せっかくの休日さえ満足に楽しめないじゃないか。


(ああ……幸せだ)


 小説の中では探偵が難事件に頭を悩ませ、つい数ページ前に、また一人犠牲者が増えた。てっきりこの男が犯人だと思っていたのだが……やれ、作者には一杯喰わされたようだ。

 自分に責任のない推理というものが、これほど軽やかで甘美であるとは、久しく忘れていた。なにしろ最近、判断を誤れば即自分の首が危うくなるような、そんな推理しかしていなかったのだから。


 休日とは本当に素晴らしい。あの金の髪を見なくていいと思うだけで、安い平日ランチのデザートが、高級な城のディナーよりも美味しくなる。

 スヴェンは満足げにため息をついて、コーヒーのおかわりをもらおうと、本から顔を上げた。そのときだった。

 なんか見慣れた金髪が、こちらを凝視していた。


(気のせいだ。気のせい。だって今日は非番だろう。仮に本物だとしても、俺が関わる必要はない)


 現実逃避のため、再び本に目を落とした。見たら負けと知りつつ、やはりどうにも気になって、ちらり、と金色の方を伺う。

 ……近付いている。


 それはもう見間違いようもないほどに、近くまで来ていた。獲物を見るような爛々とした眼差しで、一目散にこちらへと駆けてくる。

 間違いなく、彼は王子その人だった。ごく普通の平民の服に身を包み、ごく普通の靴を履き、ごく普通のブランケットで、何かよく分からない巨大な物体を、ぐるぐる巻きにしている。


 顔立ちが整い過ぎている事を除けば、パーツ一つ一つはいたって普通だ。なのに、なんかこう、致命的に異様な光景だった。


 他人のふりをしようか、という思いがちらとよぎるが、あの王子にその手が通じるとはとても思えず、大仰にため息を落としてから、名残惜しそうに小説に栞を挟む。同じため息でも、先ほどのものと今のものでは、持つ意味合いは全く異なっていた。

 きりの悪いところで水を差された小説が、不満を言うようにパタンと音を立てた。


「スヴェン! いいところにいた!」


 王子の表情とは対照的に、スヴェンは人さえ殺せそうな目つきで王子を睨みつけた。

 万が一にも王子らに遭遇しないために、わざわざ王都の外れまでやってきたというのに、その努力は完全に裏目に出てしまった。少し行くだけで草原が広がるこの地に、王子は一体どんな用事があったのか。


「助かったよ。スヴェン。追われているんだ。匿ってくれ」

「いや、非番なんで」

「…………」

「…………」

「そうか。まあ、そこまで職がいらないというなら、無理強いはしない。ハローワーク頑張ってくれ」

「あっはっは。冗談ですよ王子」

「今舌打ちしたよね?」

「気のせいですよ」

「本当に?」

「もちろんですとも。

 ところで、追われているって言いました?」


 王子の空耳はどこかその辺にうっちゃって、スヴェンは額の皺を深くした。ここは栄えあるオルトバーネス国の王都。多少外れに位置しているとはいえ、治安も悪くない。王子たる彼が、一体何に追われるというのか。


「事情はよくわかりませんが……それなら、憲兵の詰所にでも行かれたらどうです?」


 とりあえず深く考えるのが面倒だったので、真っ先に思いついた案を口にした。

 王子がどのような状況に置かれているとしても、これが最も真っ当で、建設的な意見のはずだ。つまり王子がそれを思いつかなかったはずもなく、それは何らかの理由で却下済みということであった。


 案の定、王子は暗い表情で首を横に振った。


「だめだ。彼らではあれに対抗できない」

「……一体何に追われてるんですか」


 非番のスヴェンは腰に剣こそ提げているものの、例えば戦時中に着るような防刃ベストを着込んでいるわけでもなく、その点においては、都市の守護を請け負う一般兵にだって劣っている。

 だのに王子はその兵ではなく、スヴェンに助けを求めてきた。王子直属護衛隊、君影隊の隊長にまで上り詰めた彼の判断力が必須な相手など、まともな相手ではあり得ない。

 それに気づいた時、はっとしてスヴェンは首を振った。


「やっぱりいい! 言わなくていいです!」

「わかった。言わない」


 珍しく王子の物分りがいい。安心すると同時に、無性に不安になった。

 王子はスヴェンの隣にすっと回り込むと、スヴェンの横並びにかがんで、すらりと整った形の人差指を大空へ向けた。


「その代わり、見るといい」

「は?」

「僕を追っているのは、あれだ」


 王子の指の先は、間違いなく大空へと向かっている。今日はいい天気で、雲一つない青空だ。一体空を見て何を察しろというのか。


「……ん?」


 違和感があった。

 雲一つない。ただ青いだけの空。そこに、黒い点が浮いている。

 距離は、かなり遠い。かなり遠いのに、黒い点ははっきりと視認できるほどのサイズだ。無論、豆粒のサイズでしかない。が。これが目の前まで迫った時、一体どれほどの大きさになるのか。


「王子……。あれ、なんですか」

「いやあ、まあ、その。

 ……ドラゴン?」

「あ?」

「もうちょっと正確に言うと、フラムドラゴンの、お母さんだねぇ」

「ああ!?」


 思わず王子の襟首をひっつかんで揺さぶった。首をガクガクさせながら、王子は器用にスヴェンから目をそらしている。


 フラムドラゴン。別名、火焔竜。


 言わずと知れた竜族の一種で、その名の通り、炎を吐くための火炎袋という臓器を有する。その炎は摂氏千度にもなり、フラムドラゴンの通るところ、焼け野原しか残らないと言われている。体長十メートルという巨体も相まって、まさに災害とでも呼ぶべき獣であった。


 ただでさえ災害クラスの化け物だというのに、なんとこの竜、厄介なことに絶滅危惧種に指定されている。つまり無断で傷つければ、それだけで重罪に問われる。

 そんなくそ厄介な獣に、この馬鹿王子は追われているというのだ。


(フラムドラゴンなんて、普通に暮らしてて出くわす獣じゃねえぞ! なのにこの馬鹿は何をどうして追われることになりやがった!)


 スヴェンの腕の動きに合わせて揺れた王子の手から、するりとブランケットがはだけた。大きな布地に隠された中身が露わになる。


「あーっ」


 王子の口から、わざとらしい声が上がった。


 それは、両手で抱えなくてはならないほどの大きさの獣だった。この種族の平均的な大きさから考えると、それはごくごく小さなサイズだ。

 一見して、とかげに似ているようにも思える。しかしこの獣の背からは、小さな翼が生えていた。それは、まだ体重を支えることができるとは思えないほど小さい。事実、こうした獣は、ある程度成長して、親から飛び方を習って、はじめて飛ぶことができるようになる。


 赤ん坊と思われる獣が持つ赤い鱗は、まだ柔らかい光沢を放ち、傷ひとつない。親の庇護下にて、未だ悪意に晒されたことのない瞳は、無邪気に光っていた。だがこのあどけない様相も、あと数十年もすれば、百戦錬磨の王者の風格を醸し出すはずだ。


「……王子、まさかとは思いますが、それ……」

「……えへっ」


 王子は舌をぺろりと出して、左目だけを器用に瞑った。


「うん。御察しの通り、フラムドラゴンの赤ちゃんだよ」

「ぎゃうっ」


 まるで自己紹介でもするようなタイミングで、フラムドラゴンの子供が鳴いた。

 王子は、思わず硬直したスヴェンの手から逃げ出すと、目の上に手で傘を作って、フラムドラゴン(母)を見つめる。


「たーいへんだぁ。スヴェン、お母さんがどんどん近づいてくるよ。

 というわけで、はい。どうぞ」


 はい、と差し出された子ドラゴンを、スヴェンはとっさに受け取ってしまう。


「じゃあ、ちょっとお母さんの相手を頼むね。僕は急いで城に戻って、竜笛を持ってくるから」

「えっ、ちょ……は!?」

「わかってると思うけど、フラムドラゴンは絶滅危惧種だから気をつけてね」

「気をつけるって、どうやって!?」

「グッドラック!」


 王子はめちゃめちゃ良い笑顔で、右手の親指を立ててウインクしてみせた。呆気にとられるスヴェンを置き去りにして、まるで初めから用意してあったみたいなタイミングで現れた乗合馬車にさっと飛び乗る。


 手の中の獣。豆粒大まで小さくなった王子の背中。

 ………………。

 ……………………えっ?


「嘘だろおおおおおおおおおおおっ!!?」


 手の中に残された子ドラゴンを抱え、スヴェンが正気に戻って叫んだのは、王子が見えなくなって、とうに数分は経過してからだった。


(いやいやいやいや。待て待て待て待て。

 フラムドラゴンの子供!? 冗談も大概にしろよ!)


 つい先ほどまで優雅な休日を楽しんでいたはずなのに、何がどうしてこうなった!


「ぎゃうぃ?」


 子ドラゴンが、不思議そうに首を傾げながら、スヴェンの頭をペシペシ叩いている。

 現実逃避、というか現実に理解が追いつかず、論理的な思考にたどり着かないスヴェンを正気に戻したのは、すぐそばから聞こえてきた親子の会話だった。





 ねーお母さん、見て。おっきな鳥さん。

 あらー、本当ねえ。なんの鳥さんかしらねえ。

 わかった、きっとドラゴンさんだよ。

 まあ。ドラゴンさんは、こんな人里には降りてこないわよ。

 えー。ドラゴンさん見たかったー。

 いい子にしてれば、いつかきっと見れるわよー。





 良かったな少年。それは本物のドラゴンさんだぞ。


「ちっとも良くねえええぇぇぇぇぇっ!」


 もう子供にすら視認できるくらいまで、ドラゴンが近づいてきている。


(王子が竜笛を持って戻ってくるまで、どのくらいだ!?)


 竜笛とは、竜の鳴き声を模すことができる笛で、奏者の腕次第ではあるのだが、ドラゴンを落ち着かせたり、逆に興奮させたりといったことができるらしい。スヴェンにその技術はないが、あの言いようからして、王子には優秀な奏者に心当たりがあるのだろう。本当に腕の良い奏者であれば、ドラゴンを望む場所へ誘導することさえできるとか。

 それを思えば、竜笛を使うという王子の判断は、悪くない。しかしその方法には、時間という大きな問題点があった。竜笛は貴重なものなので、城に向かう道中で手に入れることは極めて困難だし、仮に竜笛があっても、奏者がいなくては意味がない。


 乗合馬車でまっすぐ王城へ向かえば、竜笛を持った王子は、数刻もせずに戻ってこられるはずだ。だが、それは逆に、数刻は戻ってこられないということを意味する。

 フラムドラゴンがこの街にたどり着くのは、あと十分少々といったところか。


(どうすんだこの状況!)


 とにかく、フラムドラゴンを都市の外に誘導しなくてはならない。このままフラムドラゴンがここに降り立てば、一体どれほどの被害が出るのか、想像もつかない。

 スヴェンは懐から紙幣を多めに取り出して、くしゃくしゃに握りつぶして机の上に叩きつけた。

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