第16話 これは正当防衛だ。
森の中を、足音を立てないように歩くこと数分。スヴェンは懐中時計をポケットから取り出して、時間を確認した。王子が戻ってくるまで、まだまだ時間がかかるだろう。
肩車している子ドラゴンが、懐中時計を見ようと首を伸ばした。重心がずれ、首にかなりの負担がかかる。
(さっさと母親に返せたら良かったんだがな……)
子ドラゴン自身もそれを望んでいるようだし、スヴェンもそうしたい。今だって、その木の向こうには母ドラゴンが息を潜めて、子供をさらった人間を八つ裂きにせんと、爪を磨いているのではないかと、不安で仕方ない。
しかし、子ドラゴンを手放してしまえば、スヴェンには母ドラゴンをコントロールする術がなくなってしまう。今は母ドラゴンが我が子を探しているから、子ドラゴンの鳴き声を利用して、人の少ない森の方へと誘導できた。
母ドラゴンが子を取り返して、素直に山へと帰ればいいのだが、スヴェンを襲うならまだしも、もし人間種族に怒り、人里に目をつければどうなるか。それを考えると、子ドラゴンを返すのは、王子が戻ってからでなくてはならない。
「……ごめんな」
「がう?」
何を謝られたのかわからずに、子ドラゴンが首をかしげた。スヴェンの頭の上まで登ってきて、両足で器用にスヴェンの頭髪を掴む。ぐるんっと天地を逆さにして、数センチ離れたところからスヴェンの顔を覗き見る。
「痛だだだだっ! お前さすがに、それはだめだ」
ひょいと子ドラゴンを持ち上げて、元の肩車の体制に戻した。この体勢とて、首が痛くないわけではないが、さっきよりは余程ましだった。
(……ん?)
木々の隙間から、明らかに他よりも眩しい陽光が差し込み、開けた場所が目前に迫ったことを知った。けれどスヴェンが首をかしげたのはそのことではなく、そこから人の話し声が聞こえたからだ。
スヴェンは息を殺し、話し声の内容が聞こえるところまで近づく。
「だから言ったじゃねえか! 苦労して指定区域に侵入して、死ぬ思いで捕まえてきたのに、どうすんだよ!」
「俺に言うんじゃねえよ! そもそもお前が目を離したのが悪いんだろうが!」
「おい、やめろ二人とも! 今はそんなことより、あのドラゴンをどうにかするのが先だろ!」
「どうにかってなんだよ! どうもできねえよあんなの!」
そこでは三人の男が話し合……いや、怒鳴りあっていた。三人とも、お世辞にも身なりが整っているとは言えないが、旅慣れた人間がするような、動きやすく丈夫な服を着ていた。特にブーツやグローブは、相当頑丈な作りだ。腰のナイフは使い込まれており、おそらく幾らかの隠し武器を持っていることだろう。
(あいつら、何者だ? なんでフラムドラゴンをどうにかしようとしている?)
彼らが話している『ドラゴン』は、十中八九、スヴェンを追ってきているフラムドラゴンだろう。そうであってほしい。そう何頭も、あんなのが人里に下りてきてたまるか。
彼らは上空を旋回しているフラムドラゴンを見るたびに、顔を引きつらせていることだし、それは間違いない。だが、普通フラムドラゴンを見て、逃げることを思いつくことはあっても、戦うことなど考える馬鹿はそうはいない。
スヴェンは静かに身を乗り出して、男たちの観察を続けた。
「なんなんだよ……。逃げ切れたと思ってたのに、子供はどっかにいなくなるし、親は追ってくるし……。さっき一回、王都の方に向かってたじゃねえか! なんで今更帰ってきたんだよ」
「お、俺たちを殺そうとしてるとしか、考えられねえよ!」
「動物にそんな知恵があるのかよ!」
「実際そうとしか思えねえだろ!」
……なるほど。
ようやく話が飲み込めた。傾けていた体を元の位置に戻し、腕を組む。右手で口元を押さえた。特に意味のある行動ではないが、考え事をするときの癖のようなものだった。
彼らはフラムドラゴンの巣に潜り込み、そして子ドラゴンを攫った。
まず間違いなく、母ドラゴンがいないときを狙ったのだろう。フラムドラゴンの子育ては、ほぼ母親が単独で行う。その隙を突かれたのだ。
というか、指定区域への侵入阻止は国の環境管理課の管轄だろう。こんな連中が侵入できるような警備しか敷いていなかったのか。ちゃんと仕事しろよ。非番の人間に尻拭いさせんな。
しかし環境管理課のザル警備を度外視したとしても、フラムドラゴンの巣に侵入するとは、この連中も大分肝が座っている。何しろ彼らの住処は、火山の火口付近にあるのだ。フラムドラゴンがこれまで子育てを単独で行ってこられたのには、その巣が侵攻困難な場所にあることも一因である。
まあ、第二の問題点として、フラムドラゴンの子の鳴き声は、異常なほど遠くまで響くため、あっという間に母が取って返して、不届きものを八つ裂きにするから、という理由もある。きっとそのことは知らなかったんだろうなあ。
火山用に装備を整え、うまく子ドラゴンを攫った彼らは、おそらくそれに気づいた王子に、子ドラゴンを取り返されたのだろう。
(この子ドラゴン、おかしなくらい人懐っこいからな……。攫われたときに、母親に助けを求めなかったのか)
首を限界まで回して、肩の上の子ドラゴンを見やる。
子ドラゴンは、またもやスヴェンの真似をして、腕を組んでいた。幼い子供は、そういえば親の真似をして成長していくのだったか、とぼんやりと考えた。
子ドラゴンが、またしてもスヴェンの真似をして、同じように右腕を持ち上げ口元に持って行ったとき、スヴェンの肩の上で、バランスを崩した。
よろ……。じたばたじたばた。ずるっ。がさがさっ! ぽてっ。
あ。落ちた。
大きな音を立てて、子ドラゴンに踏まれた低木が鳴る。子供と言えど、そこはドラゴン。それなりに質量があるのだ。当然その音は、不届き者三人組の耳にも届いた。
「おいっ! 誰だ、そこにいるのは!」
二秒ほど頭を抱えて、いろいろなものを諦めたスヴェンは、子ドラゴンに小声で「ここに隠れていろ。出てくるなよ」と言い残し、男たちの前に姿を現した。
「なんだてめえは」
どすの利いた声でそう聞かれ、しかしスヴェンはなんと答えたら良いか、迷った。
(何……。何、か。今の俺の立ち位置って何なんだろうな)
王子の被害者、が最もしっくりくるけれど、それを伝えたところで、奴らは首を傾げるだけだろう。
「とっとと答えろ!」
「ちょっと待て。今考えてるから」
「何をだよ」
「いや……俺、なんで、こんなところで、こんなことしてるんだろうなって……」
「知るかよ! ふざけてんのかてめえは!」
短気な男たちはそう言って、ナイフを抜いた。それを見た途端、スヴェンの目が爛々と光る。
「……抜いたな?」
「あ?」
「抜いたな、と言ったんだ」
「それがどうした」
スヴェンは軍人である。だから軍法により、むやみやたらに一般人に刃を向けることは禁じられている。無論、殴る蹴るであろうと同じこと。
だが、相手が武器を持って向かってくるのであれば、話は別だ。そして今、相対する男たちは、スヴェンにナイフを向けている。
スヴェンは無造作に男たちに近付く。腰に下げた剣には、手もかけていない。
「これは、そう。……正当防衛だ」
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