第7話 今日もスヴェン怒声が響く

 王子は、性格が悪い。


 これは誰もが知っている純然たる事実であり、それに異論を唱える気は毛頭ない。むしろ、王子による被害者の会のようなものがあれば、スヴェンはその筆頭に名前を挙げられる人物だろう。


 しかし、王子にも良いところがないわけではない。

 人身売買の事件は、いまだ解決してはいない。組織が一つ壊滅しても、そのバックアップを行っていたであろう富豪は、のうのうとどこかで生きているだろうし、奴隷に関する法整備も十分であるとは言えない。


 それでもスヴェンは出かけた時より、多少なりとも穏やかな心地で、自らの仕事場にいた。あまりに心穏やかであったから、クリスが資料に目を通すふりをしながら昼寝していても、拳骨を一つ落とすだけで済ませてやったくらいだ。


 王子がやった事は、明らかに犯罪だ。水族館の立場からしたら、正当な代金を払って手に入れたものを盗まれた、ということになる。王子の行いに対し、なるべく早くに詫びに行かなくてはいけないだろう。

 それでも、王子の行動で一人の少女の人生が救われ、一つの家族に救いの手が差し伸べられた事は事実だ。法に則り正しく行動したのであれば、少女を救う事が出来たのか、甚だ怪しい。もしかしたら少女は見世物としての人生を送り、その幼い心には生涯消える事のない傷が残ってしまったかもしれない。

 それを思うと、王子をはっきりと責める事ができないのだ。


(今回だけは、大目に見よう)


 人は、分かり合う事ができる。互いを知る事で、その印象は真逆に変わる事だって有り得る。もしかしたら、あの王子とだって分かり合える日が来るかもしれない。


 国民がどれほど彼を卑下しようと、どれほど人望がなかろうと。そう思いながら王子に接するのは間違いなのかもしれない。先入観というのは恐ろしいものだから。


(馬鹿王子、などという呼び方も改めるべきかもしれないな)


 スヴェンが書類の一つに判を押して熱いコーヒーをすすり、満ち足りた様子で大きく息を吐いたとき、慌ただしく執務室の戸が開いた。


 部屋にいた君影隊の全員(眠っていたクリスを除く)が、戸の前で息を切らす男に注目する。彼は確か、経理の人間だったか。なにか書類にミスでもあったのだろうか。


「どうかしたのか、そんなに慌てて」


 スヴェンが優しく声をかける。経理部の男はぎょっと身を縮めた後、緊張した面持ちでスヴェンに向き直り「こちらを」と言って一枚の書類を差し出した。


(やはり書類のミスか。しかし、はて。見覚えがないな)


 首を傾げながら書類を受け取ると、スヴェンはその内容をあらためた。そこには、以下のように記されていた。







 スヴェン様


 平素、格別のお引き立てを賜り、誠にありがとうございます。

 先日お渡しした人魚族の子供の代金を貴殿から受け取るようにと、王子殿下から承っております。

 つきましては、請求書を同封させていただきましたので、ご確認いただきますよう、お願い申しあげます。

                          ラディ水族館 館長







 くしゃっ。と、請求書が潰れる音がした。

 人魚族は見目が麗しく、また生息地が海中である事から捕獲が困難で、つまり非常に高価である。ちらっと見えた請求書には、スヴェンの高給でも支払いが簡単ではないほどの額が記されていた。


 国庫から金を出すのは、確かに間違っているかもしれない。でも、少なくともスヴェンは、王子から何の相談もされた覚えはなかった。


「ふ……」

 スヴェンの口から笑みが漏れた。

「くっくく……。

 あーっはっはっは!!」


 スヴェンはひとしきり笑うと、すでにくしゃくしゃな請求書をさらに丸めて、額に青筋を立て怒りに体を震わせた。そして大きく息を吸い込むと、王城が震えるほどの大声で叫んだ。




「あんの、馬鹿王子が!!」

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