第6話 海
夕刻、ヴィゴニアの海浜公園にスヴェンとクリスの姿があった。
あれから二人は、街の憲兵に盗賊団を縛り上げたことを告げると、大急ぎでこの海浜公園までやってきた。ここはヴィゴニアの中でも国境付近にある公園で、特に何があるというわけではないが、海が美しいとしてガイドブックにも載るほどの観光地であった。
しかしどれほど美しい景色であろうと、隣を歩くのがやる気のない部下で、目的が馬鹿王子の探索とあれば、その感動は半減だ。
「で、なんでここなんですか?
俺、男と海の綺麗な公園に行く趣味はないですよ」
足元の悪い砂浜を難なく進みながら、大あくびをしてクリスが聞いた。
「奇遇だな。俺もだよ。
いいからとにかく、王子を探せ。多分ここにいる」
「だから、なんで」
譲らないクリスにため息をついて、説明しようとしかけたとき、気の抜けるような腹立たしい声が聞こえてきた。
「あれ? スヴェンにクリスじゃないか。こんなところで何してるんだ?」
それは男にしては少し高い聞きなれた声。捜してはいたが、できるなら二度と聞きたくはない声。
ゆっくり振り返ると、そこにはあの馬鹿王子がいた。
長い金の髪はゆるくポニーテールにしてあり、父王と同じ青い瞳は、まるで悪事になど何一つ縁がないかのように澄んで見える。服装は一般市民と同じもので、ランニングにでも出かけたようなスポーティな格好だが、頭の上のおしゃれサングラスが、この男が運動する気などさらさらない事を示していた。知らない人間であれば、一見して彼が王子だとは思うまい。
そして盗賊の情報通り、王子は見たところ五歳程度の女の子を抱えていた。
女の子はフードつきのパーカーを着ているが、王子のものだろうか、かなり丈が長く、もし歩いたら引きずってしまいそうだ。
「王子を探しに参ったのですよ。ご連絡を受けましたので」
にっこりと笑って、全力で嫌味を言ってやるが、そんなものが通用するような王子ではないことはよく知っている。案の定、王子はさらに嫌味で返してきた。
「そうか、それは悪いことをしたな。以前何も言わずに出かけたら、やたらと怒られたものだから、今回は、連絡くらいはしたんだが」
「あの、殿下。そんなことより、そちらの女の子は?」
クリスが珍しく口を開いた。いつもなら報告も何もかもスヴェンに任せてしまうから、王子の前ではあまり喋らない。
「ああ、この子? ……あれ? わかったから、ここにいるんじゃないの?」
王子の目がスヴェンに向いた。先ほどはなぜここにいるのか、と問いながらこのセリフを言い放つ。完全に語るに落ちている。
スヴェンは大きくため息をつく。
「……行方不明になっていた、人魚族の子供。違いますか?」
「ぴんぽーん。だいせいかーい」
王子が楽しそうにそう言って、女の子のフードを外した。
女の子は人魚族に特徴的な、珊瑚のように硬質な耳と緑色の髪をしていた。スヴェンの顔を見てぎょっとすると、王子の服の裾を小さな手で握りしめた。
「大丈夫、怖くないよ」
王子が優しげに声をかけるが、女の子は王子の陰にすっぽりと隠れて、スヴェンの前には顔を見せようとしない。
「あはは、嫌われてるね。スヴェン」
指をさして笑う王子。顔が怖いとはよく言われるから、慣れている。
そこに、一人話についていけていないクリスが待ったをかける。
「ちょ、ちょっと待ってください。
なんで人魚族がこんなところに? しかもなんで王子と一緒にいるんです? 最初から説明してくださいよ!」
「お前、まだ気付かないのか。
……いいか、まず事の起こりは今回の会議だったんだ」
「はあ? 会議? 王子がばっくれた会議ですか?」
スヴェンがちらりと王子を見る。王子はニヤニヤと笑っているだけで口を挟む様子はない。スヴェンに話せという事なのだろう。
「今回の議題、覚えているか?」
「そのくらい覚えてますよ。人身売買組織の壊滅の話でしょう」
「そうだ。じゃあ、その組織が壊滅した際に、行方不明になった子供がいただろう」
「あー、そうですね。いましたいました」
明らかに覚えてはいなさそうだが、スヴェンは無視した。
商会が一つ潰れたのだから『商品』が幾つかなくなっても、なんら不自然ではない。今回の場合では、人魚族の女の子が行方不明者として挙がっていた。
「なんで、そんな子がここに?」
「王子が保護したのだろう」
「うん。そう」
あっさりと王子が頷く。なんでも、資料に目を通しているうちに、怪しい水族館に目星がたったため、こっそりと侵入すると人魚族の女の子を連れて逃げたらしい。
今回の組織は非合法であったが、そもそも奴隷制度というのは、幾つもの制約こそあるが、違法ではない。奴隷を買った水族館は善意の第三者であるため、正攻法では奴隷を取り戻せない。
「考えてみれば、ヴィゴニアは海に面していて、人魚族の活動範囲内にある。もっと早くに気づくべきだった」
苦々しげにスヴェンが言った。スヴェンがそれに気づいたのは、盗賊の頭が、王子が女の子をずっと抱えていた、と言ったときだ。人魚には足はないから、歩けないのだ。
「もうすぐね、この子の一族がここに来るんだよ」
王子が人魚の頭を優しく撫でながら言った。
「この子が攫われたのは、もう二年前になるが、人魚族はとても家族を大切にするからね。どうやら二年間ずっと、あちこち探し回っていたらしい。その移動パターンを分析して、昨今の気候とか海流とかも計算すると、おそらく数日のうちにこの海域に現れるはずだとわかった」
「人魚の出没パターンを分析したのですか!」
あっさりと頷く王子に、スヴェンは内心で舌を巻いていた。専門家の間でさえ意見が割れ、人によってはパターンなどないと断言するほどのランダムな彼らの動きを、王子は完璧に予測したというのか。
王子の能力は、天才的だ。それはずっと前から、それこそスヴェンが王子の護衛隊長に任命されるよりも前から噂で聞いていた。これで性格さえ良ければ、この国は安泰だったであろうに、という嘆きとともに。
しかしスヴェンは、まだまだ王子の能力を過小評価していたらしい。
(まあ、もっとも。王子の予想がきちんと当たればの話だが)
スヴェンが海へと視線を移した。すると青緑色のそこここに、数多の白いさざ波が立った。
「まさか」
クリスのつぶやきが聞こえた。信じられない気持ちはスヴェンも同じだった。この中で驚いていないのは、王子だけだ。
王子が手に抱えた女の子も、今見ている光景が信じられない、と言うように目を見開いている。
王子が水平線に向かって目を細めた。
「ああ、やっと来たか。
ほら、みてごらん。君の家族が迎えに来たよ」
スヴェンたちの視線の先には、何十人もの人魚の群れが、最愛の家族を迎えに現れていた。
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