第十章 ぼくらのフィナーレ
第55話 絶望の先へ
ビブリオバトルが無事に終わって、参加者同士で発表本についての感想を言い合ってから体育館を出ると、文芸部の皆が待っていた。
白石先輩がいきなり僕の肩を揺さぶりながら嬉しそうに言う。
「やったわね悟くん! 見事、チャンプ本よ! これで廃部についてもなんとかなりそうね!」
「ありがとうございます白石先輩」
「ふふん。見事、ウチの作戦成功ってわけね」
鳴瀬さんの考えた作戦通り、これで他校でのしっかりとした活動実績は残せたわけだし、廃部も回避できたんじゃないかと思う。久方も腕を組んで満足そうに頷いている。
「ところで高野くん。君が発表していた本だけど、コミケには出品しないのか?」
涼の性格的にコミケに堂々と店を構えて販売するスタイルは向いてそうに思えないけど、ネットの小説サイトに投稿したりするのはあいつにとっても励みになるんじゃないかと思う。
「作者がその気になるまではなんとも言えないけど、僕ももっと多くの目に触れられるべき作品だと思ってるよ。……そういえば……鶴松先輩は?」
鶴松先輩の姿がないことに、ふと気がついた。てっきりビブリオバトルが終わったから合流するもんだと思っていたけど、どこ行ったんだろう?
「あいつ、さっき体育館で白城野文芸部の部長と話してたわよ。大事な用事があるとかなんとか言って」
「……白石先輩はいいんですか? その……『一応』部長ですし、他校の文芸部と交流しといた方がいいんじゃ?」
「なによその、『一応』って、悟くん! 波入さんなら前にも会ったことあるし、今日もビブリオバトルの前に話したからいいの。それよりも……頑張った部員を褒めたたえる方が部長としては大事に決まってるわ。なのに、あいつったらもう……」
そんな時、背中越しに聞いたことのある怜悧な声が聞こえた。
嘲るような含み笑いを見せつつ話しかけてきたのは雨宮先輩だ。
「随分、浮かれてるみたいだね」
「雨宮くん、あなたもさっきのビブリオバトル見てたのよね。うちの悟くんの発表を見て、本、読みたくなったんじゃない?」
そう尋ねる白石先輩に、雨宮先輩は気が抜けたようにふっと笑って言った。
「白石さん、君は相変わらずだね。ま、僕も素直に彼の発表した本、読んでみたいと思ったのは確かだ」
「なら……文芸部の廃部は無くなったってことでいいのよね? こうして部活動としてのきちんとした実績もあることだし」
そんな白石先輩の言葉を聞くと、雨宮先輩はやれやれと肩をすくめ、淡々とした口調でつぶやいた。
「まったく羨ましいくらいお気楽だね、君たちは。確かにビブリオバトルでの彼の発表は素晴らしかったよ」
雨宮先輩は僕の方を見てやれやれと肩をすくめてほくそ笑むと、何でもない当たり前のことを言うみたいに、無機質な声色でつぶやく。
「だけど――そんなこと関係ないんだ。君の発表がどうであれ、文芸部の廃部はすでに決まっているんだよ」
「そんな……そんなのっておかしいわ! 生徒会の規則通り、私たちには活動実績もある。文芸部はこれからなのよ!」
雨宮先輩の言葉に納得できない白石先輩は、これまで抑えていた感情を露わにし、食って掛かるような目で雨宮先輩を睨みつける。雨宮先輩は白石先輩の威圧に全く動揺する様子もなく、その余裕綽々な態度を一切崩すことなく、一枚の紙片を僕に突き出した。
手渡された紙には生徒会執行部で行われた役員投票で、文芸部の廃部が可決されたことが記されていた。
「そこに書いてあるのが、我々生徒会の総意だ。あとは校長先生の承認を得れば、君たち文芸部の廃部は確定する」
雨宮先輩は何でもないことのように、至極淡々とした口調でその事実を告げた。
僕たちが何をするよりも以前に、生徒会の総意で文芸部の廃部はほとんど決定されていた。決まったものを覆すだけの策は僕たちにはもう……何もない。
自分たちのこれまでの頑張りは何だったんだろう――。やるだけのことはやった。学校を飛び出して白城野学園まで来て、ビブリオバトルに参加して、チャンプ本まで勝ち取ったのに。僕らがやったことは全部、無駄だったんだろうか。そう思うと、全身から力が抜けていって、気がつくと僕は雨宮先輩の前でくず折れてしまっていた。それは僕だけじゃなかった。久方も白石先輩もがっくり項垂れて、俯いた顔からは絶望の色が濃くにじみ出ていた。
普段ならこういう場面で開口一番反論するはずの鳴瀬さんも、今は黙って口をつぐみ、雨宮先輩をじっと見つめていた。彼女が考案した作戦は成功したが、文芸部の廃部は作戦もクソもなく、それ以前の問題だったのだ。彼女の心中は聞くまでもない。
雨宮先輩は意気消沈した僕らを順繰りに眺め見ると、嫌味に小笑いする。
「僕は最初から忠告していたじゃないか。文芸部の廃部は決まっている。何もしても無駄だから、さっさと次の部活を探しておくべきだと助言したんだけど……君たちは揃いも揃って、愚か者の集まりだったようだね」
クソむかつくが反論する言葉が出てこない。いや……反論する気が失せていた。
何をしても無駄だったという事実が、胸の内に残っていた希望の灯を粉微塵に打ち砕いてしまった。あとに残るは空っぽの虚ろな気持ちだけだ。
これからどうすればいいんだろう? 過ごした時間はそんなに長くないけど、文芸部は僕の高校生活において、大切な居場所であり、日常だった。みんなと真面目な話をする機会はそうないから直接聞いたわけじゃないけど、たぶん久方も鳴瀬さんも同じように思っている。部長である白石先輩は僕らよりも、文芸部にかける気持ちは一回りも二回りも重かったはずだ。白石先輩は今、ぐっと握った拳をわなわなと震わせながら、眼鏡の奥の瞳でじっと雨宮先輩を見据えている。
「そういえば鶴松は? あいつにも文芸部の廃部が決まっていること教えてあげないと。ここにも来てるんだろ? 白石さん、奴はどこへ行ったんだ? 大方……現実を直視したくて逃げ帰ったってところか。いかにも奴らしいな」
そこまで聞いたところで、白石先輩の何かがぷつんと切れたんだろう。
先輩は無言で雨宮先輩に一歩詰め寄ると、右手をびゅんと風を切り、頬に痛烈なビンタをお見舞いした。パン! と漫画みたいな音がした。
白石先輩は目を潤ませながら、雨宮先輩の胸を掴み上げて言う。
「いい加減にしてよ雨宮くん! あいつは……鶴松はどうしようもないゲス男だけど、あなたみたいな陰湿で三流悪役みたいな真似はしないわ!」
「……ふん。負け惜しみを。君もさっさと次の入部先を考えておくことだね」
「どうしてそんなに文芸部に固執するの? あなただって前はもっと……」
「君には関係ないだろ!」
雨宮先輩は赤くなった頬を押さえて吐き捨てるようにそう言った。
その時、背中の方から聞きなれた憎たらしい声が聞こえて、ずっと項垂れていた僕ははっと顔を上げた。
「――よう。お前ら。なんだか楽しそうだな」
聞き慣れた声に振り返ると、そこにいたのは物語に出てくるラスボスのようにニヒルに笑う鶴松先輩だった。思いがけない鶴松先輩の登場に、雨宮先輩は一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐにいつもの自慢たっぷりな表情を戻して言った。
「鶴松か。君たちの頑張りは認めるけど、残念ながら文芸部の生徒会内で決まったことだ。彼らにもその話をしていたところだ」
やるだけのことはやったけど、僕らの頑張りは全て水泡と帰した。生徒会の中で決まってしまったことを今更覆すだけの力は僕らにはない。皆、それがわかっているから、悔しくても雨宮先輩に何も言い返すことができないでいた。
白石先輩は指を震わせながら目尻にたまった雫を拭うと、力無くつぶやいた。
「……私の力不足よ。みんなの頑張りに応えられない、不甲斐ない部長でごめん」
すると、鶴松先輩はいつもの何か企んでいるみたいな含み笑いをしながらつぶやく。
「まあ不甲斐ない部長ってことには全面的に賛成だが……話は終わっちゃいない。文芸部は廃部にならんからな」
「お前、僕の話を聞いてなかったのか? 生徒会内ですでに文芸部の廃部に関しては決定事項だと申し伝えたはずだ」
「そう。文芸部の廃部は決定している。……生徒会の中だけでな」
「何が言いたいんだお前。決定は決定。あとは校長先生の承認をもらえれば……」
「鈍いな雨宮。だから、その校長先生が廃部は無かったことにするって言ったんだ。そうですよね――校長先生」
鶴松先輩がそうつぶやいたタイミングでぬるっと現れたのは、我らが校長先生その人だった。鶴松先輩は校長先生と目配せすると、一枚の紙を取り出して雨宮先輩に見せた。書類の文面を読んだ途端、雨宮先輩の顔色がみるみる変わっていく。
「なんで!? 僕らが話を持ちかけたときには承認すると仰っていたはずだ! そうですよね、校長先生!」
「私自身の目で文芸部の活動を拝見したところ、廃部にする必要はないと判断したまでだよ」
「そんなバカな……! 鶴松、お前どんな手を使った……!?」
「別に俺は何もしちゃいねぇ。やったのは全部、そこにいる高野だ」
え……僕!?
先刻までの態度とは打って変わって、雨宮先輩は鋭い眼光を僕と鶴松先輩に向けて睨みつける。だけど、そんな目で睨まれても、僕としては身に覚えがない。校長先生との接点なんてほとんどないし、せいぜい朝、校門の前で立っている校長先生に挨拶するくらいだ。一方、鳴瀬さんはここまでのやりとりを聞いただけで全ての事情を把握したらしい。合点がいった顔で話し始めた。
「……ふぅ。ま、鶴松先輩のことだから、何かしら暗躍してるんだろうとは思ってましたけど――今回のビブリオバトル、先輩は校長先生と一緒に観戦していたんですね」
「……ご名答。さすが鳴瀬だな。校長先生を連れ出すのには苦労したが、高野と久方のおかげで上手く行ったんだ。全く、お前ら二人には救われるぜ」
鶴松先輩によれば、校長に白城野学園創立祭に行く提案をしたところ、最初は断られたそうだ。生徒会からの提案で文芸部の廃部は決まっているし、もう覆ることはない、と。
「どういうことだ!? お前が言っていることは意味が分からない」
「俺も全く知らなかったが、こいつら二人は授業中に堂々と学校を抜け出してコンビニに買い物に行くくらいの不良でな。以前から校長先生も目を付けていた問題児二人が他校で問題を起こさぬよう、また何か起きたときにすぐに対処できるよう、創立祭に来てくれることになったんだ」
話を聞いた久方は自分が校長に目を付けられていたと知って青ざめる。かくいう僕も背中を嫌な汗が伝うのを感じた。思い当たる出来事を思い出して、吐きそうになった。
「俺らそんな授業サボるなんて一昔前の不良みたいな真似してないですって!」
「……待て、オタキング。不本意だけど、事実だ。ほら、君のサバゲー特訓と称して鳴瀬さんからミッションを出されただろ」
「……鳴瀬ミッションのことか」
僕らの中で鳴瀬ミッションと呼ばれる悪魔の出来事は今なお色濃く脳裏に焼き付いている。
「ともかく。その出来事がきっかけで校長先生はこの創立祭でビブリオバトルを観てくれることになった。お前の発表を見て気が変わったらしい」
「そこからは私が話すとしようか」
我らが校長先生がゆらりと前へ進み出る。正直、面と向かって話すのは初めてだったから緊張する。
「高野悟くん、と言ったね」
「はい」
「君の発表は素晴らしかった。本というものに対する情熱がこれでもかとにじみ出ていて、私も年甲斐もなく胸が熱くなったよ。素晴らしい体験をありがとう」
校長先生は僕の手を取って熱く握ると、涙ながらにビブリオバトルの感想を語った。ビブリオバトルを観るのはこれが初めてだったそうだけど、いたく感銘を受け、ぜひとも我が校の文化祭でも実施したいと息巻いていた。大人が人前で涙を流しながら話す様を目にするのは初めてだった。自分の発表がここまで人の心を揺さぶった事実を目の当たりにして驚愕すると同時に、校長先生と同じように、自分までもなんだか胸が熱くなった。
校長先生は柔和な顔で僕と久方に微笑みかけると、空を見上げてぽつりとつぶやいた。
「高野悟くんと、久方和也くん。あの日……学校を平然と抜け出していく君達を見た時、自分の若かりし頃を思い出してある種の懐かしさを覚えると同時に呆れもした。まだ一年生で入学したばかりにも関わらず、あまりにも学校をナメ腐った態度じゃないか。正直、自分の学校経営に対する自信を失ったよ」
あの日の一連の出来事は全て、そこでにやにや笑っている鳴瀬さんが考案したものなのだけど、それを今言っても、変な雰囲気になりそうだから僕も久方も黙って校長先生の話を聞いていた。そんな僕らの様子を見て、校長先生はニッと笑って僕らの肩に手を置く。
「だが、今日のビブリオバトルを観て、私は君たちの校長でよかったと思えた。はっきり言って君たちが、読書にあれだけの情熱を持っているなんて思いもしなかった。だからこそ余計に感動したよ。これだから教育は面白い!」
校長先生は豪快に笑って、続いて雨宮先輩の方に視線を移す。
「雨宮くん。君も見たんだろう、今日のビブリオバトルを。誇るべき活動だと私は思ったし、ぜひとも校内でも活動を広めてほしいと思っている。少なくとも廃部なんてもっての他だと思うがね」
「校長先生……しかし、もう生徒会内では文芸部の廃部は決定しています!」
「君もいい加減に彼らの活動を認めたまえ。誰が見ても文句なしに立派な活動をしていると思うがね。そもそも生徒たちの活動を生徒が主体となって支えるのが生徒会の一番大事な役割だ。違うかね副会長?」
「それはそうですが……」
「フッ……それでは、私はこれで帰ることにするよ。君達もあまり遅くならないようにね」
そう言って、校長先生は去っていった。その背中が不思議といつもよりずっと大きく見えた。僕たちが何を言っても通じなかった、生徒会の考えを正面から強引にひっくり返した。校長先生の登場で、まるでオセロの逆転劇みたいに、完全に風向きが変わったのだ。
鶴松先輩は意気揚々と雨宮先輩に尋ねる。
「……というわけだから、雨宮。文芸部の廃部はナシってことでいいんだよな?」
「……ああ。そういうことになる。良かったな」
悔しそうに歯噛みし顔をゆがませる雨宮先輩。見ているこちらが苦しくなるような悲痛な表情を向けると、先輩は肩を下ろして出口の方へと歩いていく。
こういう時、なんて声をかけるべきなのか、僕にはわからない。久方も鳴瀬さんもじっと雨宮先輩を見つめている。白石先輩は拳をぎゅっと握って何か言いたそうにしているけど言葉は出てこない。そんな中、鶴松先輩がぶっきらぼうに口を開いた。
「なぁ雨宮。顔上げろよ」
「……バカにするなら勝手にしろ」
「何も言ってねえだろ! ……まあいい。お前の魂胆はわかってたよ。俺を連れ戻すつもりだったんだろ?」
その問いかけに、雨宮先輩は何も答えずただどこともない場所をぼんやり見つめている。
重苦しい沈黙があたりを支配する中、口を開いたのは鳴瀬さんだった。
「いっけない! ウチ約束があったのすっかり忘れてた! 二人とも行くわよ!」
僕と久方の袖をつかんで強引に連れ出す。
「ちょっと待ってよ鳴瀬さん! 約束ってなんのこと!?」
「委員長! 俺は断固拒否するぞ!」
「残念だけど、君たちに拒否権はないわ!」
僕と久方は鳴瀬さんの約束とやらのため、強引に連れ出されることになった。
そんな約束、何も聞いてないんだけど……。
去り行く僕らを見つめる白石先輩の瞳はどこか寂しそうだった。
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