17.厄介者の妹と身勝手な男

a nuisance sister and a selfish man

 二人が病室を訪ねたとき、片山祐樹は覚悟を決めていたようだった。

「――ご迷惑をおかけしました」

 刑事たちが折り畳み椅子を広げて腰を下ろすと、片山は静かに言って頭を下げた。

「お話ししていただけるんですね」鍋島が言った。

「はい。すべてお話しします」

 この日の朝、片山から署に連絡が入った。、警察に事情を説明するとのことだった。もちろん鍋島も芹沢もそれを真に受けてはいなかった。おそらくは昨夜、芹沢が樫村の妹の友達であるキャバ嬢を訪ねたことを、キャバ嬢が片山に連絡でもしたのだろう。それで、これ以上黙っているのは自分にとって得策ではないと判断したのではないか。だとしたらしょうもないやつだと鍋島は思ったが、それでこの茶番劇の幕が降りるなら文句はなかった。

「ではまず、単刀直入にお訊きします。足の怪我は誰にやられたんですか」

「……樫村さんです」

「蓉世さんですか、それとも妹の――」

「姉の方です」

「間違いありませんね?」

「ええ、間違いありません。ただ、こうなったのは全部僕が悪いんです」

「そのあたりの事情はこれからゆっくりお伺いすることにします」

 そう言うと鍋島は芹沢に振り返って頷いた。芹沢も小さく頷き、立ち上がって病室の隅っこに行って携帯電話を取り出した。すぐに樫村蓉世に事情聴取のための任意同行を求めに捜査員を手配してもらうよう、刑事課に連絡を入れるためだ。

 その様子を不安げに見ている片山に鍋島が言った。「どうぞ。お話しくださいませんか」

「あ、はい」片山は頷いた。「……付き合って一年半経って、そろそろ結婚って話になって――両親に会う前にまず、妹を紹介すると言われました。ちょっと変わった子やけど、自分たちは仲のいい姉妹だからきっと気に入ると思うって」

 ここで電話を終えた芹沢が戻ってきた。鍋島に「大丈夫です」と言うと椅子に着き、片山に手を差し伸べて「どうぞ、続けてください」と言った。

 片山は頷き、咳払いを一つした。

「ところが、会ってみると僕には全然受け入れられる相手やなかった。姉とは違ってわがままで奔放で、知性のようなものもまるで感じられない。すれっからしと言うか――」

 片山はちらりと視線を上げ、二人を見た。彼らの反応を確かめようとしているらしかった。

「とにかく印象は最悪やった」鍋島が言った。

「ええ、その通りです」

「それがどうして、その妹のお腹の子の父親になるって展開になったんです?」

「そんな話にはなってません」

「え? だって――」

 芹沢が言った。片山は芹沢に振り返った。

「たぶんそれは、蓉世が尚央さん……秋山さんに話した内容でしょうけど、そこは全くの作り話です」

「何のために?」鍋島が訊いた。

「僕を陥れるためです」

「なんで?」

「僕のことが許せへんかったんでしょう。あれだけ毛嫌いしてたくせに、一度だけの過ちとはいえ、その――」

「関係を持ったことが?」

「……ええ」

「分かりました。じゃあなんでお姉さんはそうしてまで秋山さんに打ち明けたんやと思いますか」

「やっぱりそれは、秋山さんの僕に対する心証を悪くさせて、会社の中でも悪者にするためでしょう。僕への復讐です」

「あんまり必要性を感じないんですけどね」

「僕もそう思いましたよ。確かに僕は間違いを犯した。けど、妹を妊娠させたのは僕やない。妹には男がいて、そいつがお腹の子の父親だ。今となっては彼女もそれは認めています。けどその男はまた別に女を作って彼女を捨てた。つまり、僕よりもっと悪いのはその男やないですか。せやのになんで僕がそこまで糾弾されなあかんのや、ってね」

「まあね」鍋島は苦笑いした。

「……でも、蓉世にとって許せへんのは確かに僕なんです」と片山は項垂れた。「わざわざ両親よりも先に妹を紹介したのは、僕やったらきっと妹を嫌うと分かっていたからやそうです。彼女はこれまで、ずっと妹に振り回されてきた。子供の頃も、学生時代も、そして社会人になってからも。万引きや夜遊びなんて序の口で、警察沙汰ギリギリのことばっかりやらかして。そのたびに家庭がめちゃくちゃになって、両親の不和はひどくなるばっかり。それが怖くて、せめて自分だけは迷惑かけへんようにって真面目にやってても、しばらくするとまた妹が全部帳消しにしてしまうのやと言うてました。それでも両親は妹の尻拭いに心血を注ぐのやそうです。そのあと決まってひどい夫婦喧嘩になることが分かってても。せやから僕には最初に分かっておいて欲しかったんやと思います。妹は家の疫病神やということを」

「それやのに結局はあなたにまで裏切られたと思ったんですね」

「そうです。『結局はみんなあの子の手に堕ちるんやね』って言うてました。せめて妊娠させたのは僕やないってことを証明しようと思って妹の友達を突き止めて、その友達の勤めるキャバクラに行って本当の話を聞き出したけど、そんなことはもう蓉世にとってはどうでもええことやったんです。刺された日の二日ほど前に淡路島のお婆さんのところから戻って来たときは、何らかの覚悟を決めている様子でした」

 片山は言うとふうっと長いため息をついて自分の右足に手を置いた。「……その結果が僕のこの足です」

 しばらくの沈黙があって、鍋島が静かに言った。

「刺されたとき、どうして秋山さんのところに行ったんです?」

「秋山さんなら、何もかも黙っててくれると思ったんです。ある程度事情を知ってるみたいやったし、僕の傷の処置にも手を貸してくれるんやないかって。その上ですべてを胸の内にしまっておいてくれる人と言えば――あのときは尚央さんしか思い浮かばへんかった」

「でも、彼女は女性やし、あんたのやったことは言わば――」

「ええ、女の敵の仕業です。せやから僕も最初のうちは後藤という男性の先輩に話をきいてもらってました。でも、先輩はちっとも深刻に受け取ってくれなくて……淡路島から戻って来た蓉世から連絡が入って、ひどく思いつめた様子で……それでもう、八方塞がりになって、思い切って尚央さんに打ち明けようとしました」

「刺された二日前にも彼女の部屋を訪ねた、そのときのことですね」

「はい、そうです。あのときもかなり怒られて追い返されたけど、それでも僕は尚央さんならすべて呑み込んでくれる思ってました」

 片山は項垂れた。「刺されたときも、迷わず尚央さんのところへ行きましたた。あの人なら黙っててくれるという確信があったんです。ぼくが誰にやられたか聞いたら、きっと」

「なるほどね」

「もちろん、無関係の尚央さんを巻き込むことに躊躇いがなかったわけやありません。けど尚央さんは今までも何かと蓉世の相談に乗ってくれてたみたいやったし、僕にとっても頼もしい先輩でした」

 そう言うと片山は二人の刑事を見た。「本当に強い人なんです」

「どうかな」

 と、ここで芹沢が言った。鍋島が振り返り、片山は意外そうに目を見開いた。

「そう見えるだけなんじゃねえの。もしくはあくまで一面っていうか」

「……そうかもしれませんね」と片山は頷いた。「僕――秋山さんのことが好きなんです。もちろん、恋愛感情とかそういうのとは違います。人間として。強いんだけど柔軟やし、厳しいけど甘いところもある。ちょうどいい具合にバランスが取れてるっていうか――一緒にいると実に居心地が良かった」

 そして片山は小さく首を振った。「その点、蓉世は秋山さんとは正反対のタイプです。せやからこそ、僕が裏切ったらあかんかった」

「なのにどうして、まるで受け入れられないって思ってた妹と?」

「……何でやろ。魔が刺したんかな」と片山は呟くように言って芹沢を見た。「刑事さんみたいな人には分からへんでしょうね」

「え、どうして?」

 意外なことを言われ、芹沢は純粋に驚いて訊き返した。

「だってモテるでしょう。女性に言い寄られるなんてこと、めずらしくないって感じやけど」

「まさか」と芹沢は呆れたように顔をしかめた。「じゃああんたは、それがめずらしくて妹の誘いに乗ったってわけ?」

「あるいは、生真面目な蓉世のことが窮屈やったのかも知れません」

「……分からないでもないけど」と芹沢は言った。「でも、勝手だな」

「そうですよね」

 片山は大きくため息をつくと足元の一点をじっと見つめた。そして再びゆっくりと顔を上げると訊いてきた。

「蓉世は逮捕されるんですか」

「ちょっと殴ってかすり傷を負わせたとかいうのとは違うから。痴話喧嘩程度のことやったら警察は手を引けるけど、ナイフで刺して、全治二十日間の怪我を負わせてるんやし――黙って見過ごすわけにはいきませんね」鍋島が答えた。「とりあえずは話を聞くことになるでしょうね。ただ、その先は我々にもまだ分かりません。不起訴になるかもしれないし」

「……そうですか」

 片山は諦めたように頷いた。



 この日、警察で事情を訊かれていた樫村蓉世は婚約者の片山祐樹を刺したことを認めた。

 一昨日、蓉世は北新地のスペインバルに片山を呼び出した。待ち合わせ時間に少し遅れて現れた彼女は四十分ほど片山と話して、謝るばかりの彼に失望して店を後にした。そして自宅から乗って来ていた自家用車をコインパーキングに取りに行き、片山が店から出てくるのを待ち伏せた。三十分後、店から出てきた片山を車に誘い、十分ほど車の中で話の続きをして、今度は片山が開き直りのような態度を見せてきたので、失望を越えて絶望に至った彼女はやがてバッグから包丁を取り出し、彼の右足に突き立てた。最初から刺すつもりで用意していたのかと捜査員に訊かれた蓉世は頷き、しかしすぐにその首を振った。片山と心中するつもりだったと答えたという。



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